ビーストアイ

 どうしてこうなったのかわからない。
 灼ききれるような熱さに浮かされている、思いが、そうして渦を巻く。
 やめて。
 やめて。
 心を抉りとって、もうあなたは持っているのに、何を、
 詰まった思いが言葉にならず、視界がぼやける。
 滲んだ世界の中で従兄は笑っているのだろうか。ぷつり、糸が、切れる。

 見開かれた薄青に浮かんだ涙を舐めた時に、ひときわ大きな震えが開かせた身体に走った。舐め取れなかった涙がつうと目尻を伝い落ち、瞳の光が暗く落ちる。
 より深くに欲望を注ぎ込んでも、意識のない身体はただ柔く温かいばかりで、ケレゴルムは吐息をひとつ洩らして、自身の楔から従弟を一度解放する。
 喉の骨に齧りつくように唇を這わせる。意識のあれば声にならない叫びを震えて伝えてくるそこも、今はか細い息を吐き出しているにすぎない。
 びっしょり濡れた額から好きな色の髪へ指を通しながら、乾いた上唇に目線がいった。
 ついぞ意味を成す言葉を紡ぐことはなかったが、おそらくオロドレスの喉に潜んでいたのは何故という言葉だろう。
 どうしてかは明確な言葉では答えられない。
 ただ、ずっとこうしたかったような気がする。
 ケレゴルムは記憶と共に力ない肌を辿る。頬から首、温かい脈の潜むそこを舐めて喉を食み、ここを噛み破る夢想にひたる。
 獣の眼で見ると言ったのは他ならぬこの従弟で、だが言った時にこんな事態を考えたはずもない。ケレゴルムもそんなつもりはなかった。身に潜む獣の存在は重々承知していたものの。
 肌の匂いを辿る。鎖骨、肩、脇から腹へ、舌で舐めると鈍い震えが走る。怯えをねじ伏せ、丹念に開かせた身体は、気をやっても熱の全てを手放したわけではない。
 胸を弄り、肉の下の肋骨をなぞって舌を進める。
 腹からうなだれた性器へ、その奥へ……
 ケレゴルムはオロドレスの放り出された腕をとる。掌から手首へ何度か舌を這わせ、指を甘噛みし、ふと身を起こす。
 オロドレスの爪にかちかちと歯を当ててみる。下の歯で味わう指の腹がどれほどそっと物に触れるのかを良く知っている。
 何本かの指をまとめて食みながらケレゴルムは膝立ちになった。見下ろせば、指と腕を差し出して、仰のいた喉から顎までの白さが目を射る。
 自身はとっくに力を取り戻していたが、今したいのはそうではない。
 食んだ指と合わせて自分の指を舐め、オロドレスの片腿を挟んで膝を開く。自身の奥に指を伸ばしてつぷりと埋める。鼻から息を抜く。
 指の一本を口でねぶる。指の一本を奥へ進める。
 オロドレスには嫌になるほどじっくりと始めたものだが、今は何よりも性急さが勝っている。
 口の中の指を吐き出して、手首から指先へ舐め上げなおす。自身の奥への指を増やし、揺らして、快楽の源を探す。
「ン、」
 指の一本をしゃぶりなおした時に奥の指も核をついた。背筋を走った震えにケレゴルムは熱の籠もった息を吐き、うっそりと笑んだ。
「いつまで見てる、クルフィン」
 声を投げてやれば、帳の向こうの闇が揺れ、そこから黒髪の弟が現れる。昏さを孕んだ瞳が烈しく睨むのを、ケレゴルムは美酒を飲むように受け止めた。
 蹂躙したオロドレスの腕を、最後に指先をひと舐めして放り出すと、今度はケレゴルムは自身の膝で挟んだ片脚を抱えあげた。奥の指を動かし、勃ちあがった自身をオロドレスの脛へ擦り付ける。
「ぅっ、ン」
 駆け上がった震えに背を反らし、唇を舐める。
 は、と息をついたその時、放り出されたオロドレスに触れる手を見咎める。
「触んな」
「兄上」
 弟の手を叩けばクルフィンはいっそう猛った目で睨めつける。
 ケレゴルムは渋々指を抜いて、オロドレスを丸く抱えあげた。涙の痕をなぞって、虚ろな瞳に瞼を下ろさせる。
「……家令ごときに」
 クルフィンの吐き捨てるのをケレゴルムは笑い飛ばした。
「お前は見てるだけか?」
「兄上、ッ」
 足で差してやるとクルフィンは噛みつくように口づけてきた。息を奪われて引きつるような笑いがこみあげる。
 上衣をたぐって剥ぐようにする最中に、クルフィンは脚を持ち上げて腿の裏を舐めあげる。そのまま肩に脚を掛けられて、ケレゴルムは顔をしかめる。
「そんなに我慢ならなかったか?」
「うるさい」
 手早く寛げて押し入ってくるのを半ば呆れたような気持ちで受け止めた。
 仰け反った背に手を添えた弟は、律動を刻みながらケレゴルムの手首に噛みつく。
「ッは、痛、い」
「我慢ならないのはあなたのくせに、」
「はは」
 笑い声を放つと、クルフィンは今度は肩に歯を当ててくる。がち、と耳元で音が鳴ったかと思うと、首筋にほとんど熱い痛みを感じた。
 ああ。
 俺は今獣の眼をしているに相違ない。

 耳元で名を呼ばれたような気がした。
 開いた視界には色のない影が躍り、どこか遠い記憶で知っている香りが掠める。
 熱い。
 オロドレスは眩暈のような世界に目を閉じる。吐いた息が熱くて、ここは熱くて、動けない。
 動けない、と思った瞬間に耳を後ろから舐めあげられて、熱い息が喉で引き攣った。
「起きたか」
 すこし掠れた熱っぽい声が耳元でした。途端に記憶がはっきりとした。
 悪夢がまだ続いている。オロドレスは背後に押し当てられた熱塊に改めて恐怖する。
 従兄の名を呼んだと思った。舌は震えるばかりで何の音も生み出さなかった。
 後ろから抱きしめられている。何も纏わぬ生の背中に、鼓動が触れて、と思う間もなく力強い腕が腰を離れて頬を撫でた。
 撫で方は酷く優しいもので、柔らかな記憶と同じで、だというのにうつぶせたその姿勢で触れる熱がその優しさを裏切っている。
 オロドレスは振り向こうとして失敗する。頬を撫でた指はオロドレスの唇をついと押すと、荒い息をつく口に滑り込み舌を挟んだ。
 途端、自分の身体がすっかり高められていることに気づいた。悪夢は続いている。恐怖とないまぜになった快楽で以て、従兄はオロドレスを征服したのだ。
 心は軋んでいるのに、身体ごと苦痛に逃げ込むのは許されなかった。
 自分の意志で動かすのが難しく感じられる舌を、手を動かして身をよじった。ケレゴルムの指はすぐに口から抜け出したが、逆の手がオロドレスの目を塞いだ。
「見るな」
 熱に浮かされた思考が違和感を拾う。優しかった思い出とはまた違う何か。
 どうして、と今度こそ声を出そうとした時、ケレゴルムはまるで泣き声のような叫びを小さく洩らした。
 目を覆う手が外れ、振り返った先に潤んだ漆黒の瞳を見たと思った。次の瞬間視界は布で覆われ、真っ白に塗りつぶされる。目隠しの上から従兄が手を置く。熱い手が、震える瞼を撫でて、懇願するような響きがまた、見るな、と言った。
 求められたら捧げてしまうと、一度でも思わなかったと言えるだろうか。
 熱い。
 熱い。
 濡れた指が奥にするりと入りこむ。高められた身体はそれを自然に受け入れた。追い上げられる。引けないところまで。
「……っつ、こいっ」
 熱の遠くで苛立ったようなケレゴルムの声が聞こえた。
 指が抜けた、と思う間もなく身体が返された。咄嗟に伸ばした手が捕らえられ、指に指が絡められる。
「あああ、あァッ…!」
 衝撃に叫ぶ。入りこんできたものはあまりに圧倒的な熱で、わななく指をケレゴルムの指が押さえる。
 快楽が心を灼く。苦しく辛く、繋いだ指があまりに熱く、オロドレスは咽び泣く。穿たれる度に、揺れる、思いが揺さぶられる。
 緩み覗いた片方の目で、オロドレスはケレゴルムを見た。陶然とした漆黒の瞳。獲物を捕らえた獣の眼。
 見つめる薄青の目を舐められて、オロドレスはぐたりと微笑んだ。唇が唇にふれた。