それはすばらしく晴れ渡った日だった。
マンドスの館を出て、さえぎるもののない平原を歩く。うなだれる花々を分けて進める、歩み。
道はない。止めるものもない。ただ、空の青さがこみあげるようで、その眩しさに恋い焦がれるように進んでいた。
ああ、いつか。マイグリンは思い出す。こんな空を見たことがある。
あの時は、決して届かないもので、慕わしくて呪わしくて愛しいものだった。
今は。
満ちる。
ほうと息をつき、マイグリンは歩みを止める。澄んだ空の遠く、ぽつ、と染みのような影を見つけて目を細めた。雲ではない。それは。
「―――ッ」
まるで青い空を切り裂くように、それは、みるみるうちに近づいてきた。
昼の空には決して溶けぬ漆黒、光をつるつると弾くなめらかな鱗を持つ、鋭い牙と爪をもつ、何よりも巨きな翼を持つ、それは。
マイグリンは立ち尽くしたまま動かない。あまりに空が綺麗で、あまりにそれが現実のこととは思われずに。
とはいえここは紛れなく死者の世界であるのだが。
ああ、僕、死んだな。
そんな気持ちで見上げた先で、それは、体に見合った大きな口を開くと、鳴いた。
――あの空。
あの美しい空に凛とたつ都で、呼べなかった名前がある。
時を重ねれば重ねるほど、呼ぼうとして躊躇し、やめた数は増えた。
その名をこのドラゴンが呼ぶ。マイグリンは閉じていた目をゆっくりと開いた。
黒い巨きなドラゴンは、ばかみたいに綺麗な青い空と緑の野原に、なんてなじまず座っていた。
伸ばした鼻先でマイグリンを掠め、おそらく匂いを嗅いで、ごくごく細くまた鳴く。ぐるりぐるりとドラゴンは、首を伸ばし身体を伸ばし、瞬きの間にマイグリンを抱きこんだ。
壁のように囲んだ鱗を見て、マイグリンは手を伸ばした。
触れる指のためらいは伝わっただろうか。
「………誰が、母様だ」
顰め面で、鱗に額を当てて、呟いた言葉は力ないものだった。
ドラゴンはまたひどく音楽的な響きで鳴いた。
こんな夜の鱗をしているくせに。
こんな死者の世界まで飛んで来て。
その爪も牙も、内に秘めた焔さえ、マイグリンは知っていたから。覚えていたから。分かってしまったから。
顔を上げるとそろそろと囲みは緩み、巨きなドラゴンが虹色の瞳で見つめてきた。
マイグリンはドラゴンの鼻面を撫でた。今度はためらいはなかった。