「夜が明けた」
 長い長い話を終えて、フィンウェはぽつりとそう云った。
 マンドスの一室にも光は射す。――フィンウェの『部屋』には大きな窓があった。その向こうが様変わりしていることに、フェアノールは少しも気づかなかった。
 フィンウェは子の手をとった。
「日の過ぎるのを見にゆこう」
 フィンウェはフェアノールの手を引いて部屋を出た。廊下を抜け、広間を越えて――物珍しげな、または警戒した視線に微笑み、そして引く手をすこし、強くする。
 温もりもすこし強まるのを感じながら、フィンウェは館の正面の扉を開いた。
 フェアノールは外界をほとんど知覚していなかった。ただ、つないだ手の奇妙なつめたさを、ひどく懐かしく思っていたのだった。

 フェアノールの手を引いて、フィンウェは歩む。――世界を。
「空をごらん」
 広い原は守りの山脈の影の中にある。未だ暗い大地を往きながら、フィンウェが云った。
 フェアノールは空を見上げた。
 淡く透明な青は、ほんのりと白んで明るい色をしていた。山脈に近づくにつれて、それは明るさを増した。影の中を歩む身には焦がれる明。
 白い岩があった。フィンウェはそこに腰かけた。フェアノールも座った。
「さあ、待とう」
 フェアノールは山脈と空の境目をじっと見た。
 やがて、じわりと明るさが滲み、その瞬間に眩いまろい黄金が山を形取って流れ、溢れた。
 フェアノールは、つないだ手をきゅっと握った。指のつめたさを感じながら、彼は長い話をゆっくりと思い返し――考えはじめた。

 日の過ぎるのを。
 フェアノールは考えて過ごした。フィンウェはいつしか手を放して、――歌っていた。ゆらゆらと、歌っていた。
 日没、それはアマンにあっては、金の光がだんだんと強まり、明るすぎるまばゆさに満ち、そしてふっと失われることを指す。外なる海は赤々と輝き、燃える火の色で鮮やかに世界を濡らした。
 海から遠いこの場所では、赤い輝きは遠ざかり、かつてのように金の光が降り注いでいた。――かつて、フェアノールは金の光の中で、父の言葉を聞き逃した。フィンウェはこのように金の光に包まれる時、たびたび何かを云いかけた。フェアノールはいつも、それを捉え損ねた。
 歌が途切れ、フェアノールは伏せていた目をあげる。
 金の光の中で、父は、ささやかな言葉を紡ぐ。

「ああ、満たされている」

 光は空を満たしている。
 この方は生を正しく肯っている。

 金の光は急速に薄れた。残照は空から引いていき、守りの山脈の向こうから、遠くおぼろな銀の光が打ち寄せる。
 フェアノールは立ち上がった。手を差し出す。その手の内につめたい指がすべりこむ。
 広い原は、ぼうと明るくまた暗く、ゆらゆらと、揺らぐ歌のようだった。
 ふたつの姿が往く。遠い光でも影はつくられ、目の前に落ちていた。長い、長い……
 振り返った。父が微笑んだ。
 過ごしてゆける。
 ふと萌した、それは予感だった。
 過ごしてゆける。時の果てるまで。旅の終わりまで。
 フィンウェの手を引いて、フェアノールは歩んだ。
 再びの夜、星の下、――世界を。