躍る小馬亭

 あら、雨が降ってきたわね。忙しくなるわ――降れば土砂降り、だもの。
 雨の日は『とりあえず』が良く出るわ。スープの用意は平気?
 ここらの雨は降ると夜通しよ。だいたいのところ。それでうちは客入りがよくなるってわけ。
 看板を見てきてくれた?そうよ、入り口をよく開けといて…

 雨の日は『とりあえず』のビールにはちょっとだけこの粉を入れるのよ。
 そう、『とりあえず』ね。ベッツィ大女将が作ったのよ。雨の日ってやっぱりちょっと料理の出方が変わるのよね。雨に濡れて入ってきて、乾くまでもじもじして、一息ついてそれから――長居もするでしょう?
 だからまず黒パンとオリーブとチーズ、それからビールにはこの粉ね。
 ちょっと甘くなってぽかぽかするやつ。
 腰を落ち着けたらスープね。どうせその頃までにあの固いパンを食べきってる人はいないから、それからで大丈夫。
 そこらまで入れるとあらどうでしょう、肉とか、もっとビールとか、そういうものが欲しくなるってわけ。
 冷肉はどう?今日は多めに切っておいていいわ。
 そうね、チーズももう良いわ。
 ああ、ビール樽はどうなの?雨の日はひとつ多く出して良いのよ。蔵の方を見てきて…

 どうしたのよ、変な顔して。え?あのひとが怖い?
 あのひとってどのひとよ…
 え?
 あらやだ、あんた馳夫の顔ちゃんと見たことないんでしょう。
 良い男よ。あんまりそうは言われてないけどね。まあ、ちょっと、その、かなり、……あやしいかもしれないけど。
 あやしいってのはあの目つきよね。
 大丈夫よ、だいたい定位置でフード被ってパイプふかして――あら、それが怖いの。
 別に馳夫はあんたを取って食いやしないわよ。
 まあちょっと、だいぶ、何言ってるか聞こえなかったりもするけど…
 なんか浮いてるのよね。でも悪い奴じゃないわよ。妙な特技がたくさんあるみたいだけど…

 ああもういいわ、今日来たらあたしが行くから。
 あんたは個室の方をよろしくね!