結婚というものを意識したのはいつだったろうか。
トゥアゴンがやたらとその手の知識を仕入れるのが早かったのは知ってる。ただあいつが知っているということを聞いたとき、すぐに分かったのだから、その頃すでに知っていた。ということになるだろう。
知っていた。と思っていたのは「結婚というものは、好きなひととずっとずっと一緒にいることができる関係になるもの」ということだ。何かが間違っているような気がするが、概ねのところは間違いではない。長じて後、とはいえ結婚できない相手もいることを知った。
知ったと思っていた。例えば近い身内。例えば同性の者。結婚できないと思っていた。また、好意なしに結婚しているという例もあると知った。
いつか、結婚すると思っていた。誰かはわからない。もしかしたらもう出会っていて、見逃してしまったのかもしれない。そう思ってそわそわした時もあった。好きの最上級の表現が結婚に繋がるなら、家族以上に好きになるひとがどこかにいるのだと思った。
そして家族以上に好きなひとに出会った時、結婚したいという気持ちが分かった。このひとと離れたくない。その気持ちの現れは、確かに結婚という言葉と結びついた。
だから私にとっては結婚とは、独占欲の現れだ。
そんなことをくだくだ言うカランシアを、フィンロドは曖昧に微笑んで見つめた。
カランシアは機嫌の悪い顔をして見返してくる。
「おまえはどうなんだ」
「わたし?」
「おまえには恋人がいる。誰もが知ってる。……婚約してない。それも知ってる」
「わたしにとって結婚は」
遮るように言うと、カランシアは苦いものを噛んだように黙った。
「よくわからないものだった」
結婚の定義を知ってる? そう、知っているという話だったね。知ったとき、驚いたでしょう。わたしも驚いた。
結婚は、こどものためのものだった。
「子に対する親である両者が結び、子の養育の義務を負うもの」だ。なんて堅い言い方だね。
つまり、子どもを持つ親たちのつがいが、夫婦と呼ばれるというわけだ。
驚いたね。じゃああの仲睦まじい両親は、わたしたちがいなければ夫婦じゃないのか? そんなことを考えた。
そして色々調べたら、もっと驚くことが出てきたよ。
あなたも知ってるでしょう。湖のことだ。クウィヴィエーネンの我らクウェンディの習慣の話。
湖では結婚なんてものはなかった。親たちと、親になるものたちと、こどもたちがいた。
「結婚なんて無いとは大胆に言ったもんだな」
些か荒い語調のフィンロドに言うと、彼はまた曖昧に微笑む。
「でも、その制度はなかったんだ」
カランシアは記憶を辿る。フィンロドの言う、結婚なるものの実体を知ったときのことを思い出す。
「子のない夫婦はなんと呼べばいい?」
ひどく冷たい声が出た。フィンロドは笑みを崩さない。
「子を失った夫婦は?」
無いか。確かに無かったようだ。
結婚という言葉は、その制度はアマンのものだ。ヴァラールのものだ。子を持つものたちは当然夫婦と呼ばれる。だから持つであろうものもまた然り。結婚をして、認められた夫婦が子を持つ。こういうことだ。
我らが王はなんて賢いんだろうな。
結婚は子を持つ親たちと、親になるべき者のすること。
子を持つなら当然結婚してあるべきだ。
ならば子を望むふたりは結婚すれば良い。
子を持つふたりも結婚すれば良い。
そこに性別も、子との血縁も関係はない。
私たちが知る以上に、自由な「結婚」は多いんだろう。
だから、
「だから兄上も、悩むことなんかないのに」
カランシアは悲しげな声で言った。フィンロドは今度は慈愛深く微笑んだ。
「でも、同じ法に禁じられてることがある。近親との結婚だ」
カランシアは歪むように笑った。
「フィンゴンが良いことを言っていた。父上と叔父上が異母なことに感謝すると。ああ、もっともじゃないか?」
フィンロドは笑みを深くする。
じゃあカランシア、どうだろう、わたし達ふたりで、マエズロスとフィンゴンは結婚を禁じられた近親ではないと証明してみようじゃないか。
ここはアマンじゃない。
わたし達はヴァラールの法の下で暮らす必要はない。
そうしたら、遠い湖の慣習を思い出すだけだ。
クウィヴィエーネンで、こどもたちは母に属する。父の存在は取り沙汰されない。
たくさんのきょうだいがいただろうね。
異父きょうだいは確かにその意味でもきょうだいだ。同じ腹から産まれたものたちだ。
ならば異母きょうだいは?そうだ、湖ではきょうだいとは数えないんだよ。
それならば、このベレリアンドで、わたし達はもはや従兄弟ではない。
乱暴な意見だ。カランシアはなぞるように言った。
「ずいぶん荒れているな」
「そうかな」
「ああ。たぶんらしくないと言われるだろう」
フィンロドはうっとりと瑠璃色の目を細めて言う。
「嬉しかったんだ」
「ああ」
「何ひとつ傷を入れたくないって」
「僕もだ」
「だから、うまくいくって信じてる」
「ああ」
カランシアは頷いた。自分の傷を重ねているだけかもしれない。それでも幸せを願う気持ちは本当だったから。
「マエズロスの真意は分からないよ。わたしに訊かれたのは、シンダールの法はどうかということだった」
「どうなんだ」
「同じさ。アマンと。わたし達は当然恋をして、結婚して、こどもが出来ると思ってる。疑ったことがあった?」
カランシアはフィンロドを探るように見た。いささか険のある語調で、その顔は、驚くほど穏やかだった。
「もっと乱暴な意見を言おうか」
フィンロドがとっておきの良いことを告げる顔で言う。カランシアは促す。
「こどもが出来たんだから、当然あれは夫婦だよ」
カランシアは笑った。声をあげて笑った。
そうして、杯を掲げて、飲み干した。
こんな戯言は今夜だけだ。
曇天が晴れて産声を聞いた。
カランシアは蹲った。嵐明けの産室。だが今は、産声が聞こえる。
聞いたことがない、それは、世界に上げる歓呼の。
「……ッ、」
カランシアは叫び声を押さえるように丸くなった。
ああ。ああ。生きている。生きている!
抱え込んだ記憶が、ほんのり明るい光で照らされたような気がした。