星より遠い

「大っぴらに聞いて回るのはよしましょう…」
 怖じ気づいていた。
 そこそこ長年の付き合いであると言えるが、エオンウェはこの、そりゃあもうつけつけとヴァラールに物を言う図太いノルドールの王(本人曰くの廃王)が臆するところを初めて見た。
 なので面白くなってしまった。
「え、どうして。何かやましいの」
「やましくはないと思います……けど……?」
 フィンウェは物凄く感情の渦巻いている顔をした。お前、自分の離婚裁判の時だってそんな複雑そうな顔したことなかっただろ。
「正直ヤンデレはひとりで勘弁してほしいって言うか」
「……ん??」
 エオンウェは首を傾げた。
 聞き取り調査なのである。通常ならばナーモが直接のところではあるが、ことフィンウェに関しては面倒……特例がすぎる……真面目に死んでるとも言い難い……などのけっこう赤裸々な心情をナーモからぶっちゃけられて「エオンウェに頼みたい」の指名が来た。なんでだよ。エオンウェは「だからよろしく~」とか言ってきたマンウェにひとしきり何考えてンですか??みたいなガンを飛ばしたがとりあえずは承諾した。分かってる。どうせこれクセつよマイア案件だからまとめてやった方が良いみたいな話なんだろ。
 聞き取り調査の内容は確かにマイア案件である。アイヌア感覚でもかなり昔と言える頃に中つ国に行ったマイアがひとり帰ってきたと思ったら、とんだ騒動を巻き起こし……巻き起こしかけているからだ。
 恋愛案件。生死案件。職務放棄……とは言えないらしかったのでちょっとだけほっとした。
「エルウェとメリアンの話をしてますよね」
「そうだよ何で君の大変な御子の話?」
 フェアノール(この世の何より父大好き男)についてもすったもんだあったが、マンドスでは好かれすぎてる父が責任持って好かれ続けるままでこう何とかしていこう……みたいな現状になった。なお当のフィンウェは別に苦にしている様子もなく繊細な息子(と言われて「それはそうなんだけど何か素直に飲みこめない……」と思った者は枚挙に暇がない)とわりとイイ感じに暮らしている。ほぼ隔離なので本当はどうなってるか知ってる奴はいない。でこの父大好き男がしでかしたあれこれがあまりに破壊的かつ病的だったので、病みながらデレデレするんじゃない目指せ健康で均衡のとれた生活、略してヤンデレである。
「エルウェはほぼヤンデレみたいなものなのでメリアンに引き取ってほしいです」
「ウソだろ!?」
「エオンウェは話聞いてどう思いました? むしろ話はどう聞いてるんですか?」
「待ってお前がエルウェをヤンデレと判断するに至ったきっかけを僕は聞きたいなあ!?」
 えぇ…とフィンウェはあからさまに顔を曇らせた。
「そもそもルーシエンがマンドス通った時の話なんですけど」
「なんか意外なとこ来たな」
「あの娘に妙な親近感を覚えたというか…」
「ああまあ似てるもんね」
 エオンウェが何の気なしにそう言うと、フィンウェはかちっと表情を固めて、じめじめした声を出した。
「その判定は聞きたくなかった…」
「何でさ黒髪美人」
「………。だからルーシエンがかえった後に孫たち呼んで聞いてみたんですよ。もしかしてメリアンは私と顔が似てたりする? って。そうしたら」
 アングロドとアイグノール、フィンロドは黙って物凄い目配せを交わし合った。
「初めてドリアス行った時、おじいさまかと思って心底ビビりました」
「おじいさま女性だったらこんな感じなんだーって思いました」
「ウチのきょうだい、全然おじいさまに似てなくて良かったなって思ってます」
 フィンウェは、ふう、と溜息をついた。エオンウェはこの聞き取り調査すごい有効な気がするぞと思って気合を入れ直した。
「エルウェそんなに私の顔好きだったのかって…」
「あ!?」
 驚いたので結構な声が出てしまった。
「え?」
「違うよね。顔だけの話じゃないよね」
 エオンウェはかなり真剣に言ったのだが、フィンウェときたら一笑に付した。
「まさか! エルウェが好きだったかもしれない私なんてとっくのとうに死んでますよ。幻ですよ。そこまで夢見てないでしょう」
 エオンウェは顔を覆って天を仰いだ。そしてここにツッコミを入れていると仕事が進まないことをつくづくと思い知って、様々アレコレをひとまず飲み込んだ。
「ん~~~あ~~~、え~、ええと、それで?」
「で、その、そもそもエルウェと顔合わせるのもけっこう気まずかったんですがこの前顔を合わせまして」
「おお」
「好きって言われたのでそれ幻想だよって話をしまして」
「んん!?」
「そうしたら、わんわん泣かれてしまって、それがまたこどもみたいな泣き喚き方だったのでこれはまずいなと。保護者の方~って思ってたのでメリアンが引き取ってくれたらそれが良いかと」
「あ”~~~!!」
 エオンウェは致命的な事件がすでに起きていたことを知って叫んだ。
「とっくに病んでる…!」
「そうなんですよ。こども返りですかね。エルウェの後追いがまた始まったら困るなって」
「また!?」
「ええ、後追いというか、初めてヴァリノール来た時ってべったりだったので」
 フィンウェは何を思い出したのかちょっと眉根を寄せた。
「もうすでによく来るんです、エルウェ。私は特に話すこともないし会わないんですけど、そうしたら最近シンダールの方々に見ていられないから口利いてあげて貰えませんかって言われるようになってしまって」
「手遅れ!!!」
「そういう話を聞いてきたんじゃないんですか?」
 エオンウェはどんよりした目でフィンウェを見た。フィンウェは困った感じでちょっと微笑んでいた。
 重苦しい溜息が出てしまいそうな気がして、エオンウェはしばし無駄に口を開け閉めした。
「メリアンがヴァリノールに帰ってきたってことは聞いているよね」
「ええ、だからエルウェを迎えに来たのかなって」
「合ってるけど問題山積みなんだよ」
 今度はフィンウェが首を傾げた。
「問題とは?」
「まずメリアンは亡骸を抱えてきた」
「エルウェの?」
「そう」
「…………ええと、」
 フィンウェは想像したのか少し上を見て、ぁあー、と声を出した。
「ローリエンで保存ですか」
 エオンウェはむっつり頷いた。
「そうだよ」
「じゃあ…、今度エルウェに身体あるって良かったねって言っておきますね」
「言うなよ!」
 エオンウェがそこそこ睨みを効かせると、フィンウェはほんのり唇をとんがらせた。
「良いでしょうすぐ蘇れて」
 お前はご丁寧に亡骸残さなかったもんな!心中で絶叫したら深い溜息が出てしまったので、そのぐったりした気分のままエオンウェは恨みがましく続けた。
「そうだよそれからすぐにメリアンはマンドスに来てね!」
「エルウェのお迎えに来たんですね」
「すぐ来たってすぐ還せるわけないだろう」
「どうしてです?」
 本当に分からないみたいな顔をしてフィンウェが言い放ったので、エオンウェは眉間に深い皺を刻んだ。
「どういう理由ですぐ還せると思うの」
「裁定を待たせる理由もないし、蘇りを禁じられることもエルウェには無いと思いますけど」
「お前には問題そこだけなの?」
「他に何が」
「メリアンは夫の魂迎えに来たわけだけど」
「至極当然ですね」
「で僕はお前に聞き取り調査に来たわけだけど」
「一応準管理者みたいな感じですからね。それで?」
 エオンウェは調子が戻ってきた(珍しく臆してるかと思ったら一瞬だった!)フィンウェをじっとり見つめた。
「そもそものメリアンのエルウェに対する……あーまあ求婚が、自由意志に反してはいなかったかが取り沙汰されてるわけだけど」
「えッ!?」
 フィンウェは心底驚いたような声を出した。
「エルフの監禁洗脳の疑いがあるんだよメリアンに」
「ええ……」
 まったくもって不可解であると書いてありそうな表情をしたので、エオンウェはここに突っ込むべきか、と腹を決めた。
「確かエルウェの行方が分からなくなったのってエルフ大半ベレリアンドに入ってからだったよね」
「そうですよ。オルウェから列の最後尾ベレリアンドに入ったお知らせと一緒に『エルウェを見てないか』訊かれたので確かです」
「その頃、メリアン曰くの『恋に落ちてた』ってことで、ナン・エルモスの森が茂った。森が茂るのは僕らだってそこそこ時間経ったなって思うよ」
「まあ……そうです……ね?」
「お前に、会いに行く、途中だったよね」
 エオンウェはゆっくりと言ったが、フィンウェはその前から浮かべていた笑みをちっとも変えずに、エオンウェの言と同じようにゆっくりと瞬きをした。何がとは言わないが開始の合図だった。
「そうですね。よく来ていましたから」
「それが突然行方不明になったわけだ」
「ええ。まあ何か面白いものでも見つけたのかな、と」
「のんきな判断だ」
「もうベレリアンドにいましたからね。平和なものです」
「ナン・エルモスの森の中で何があったのか見解があるなら言いなよ」
「見解も何も。恋をしていたんでしょう? 至極当然ですね」
 フィンウェはたいそう冷静な声で答えた。エオンウェは強めに続けた。
「姿を変えて、相手を閉じ込めて、心変わりをさせるのが?」
 ぱちり、音が鳴りそうに。フィンウェは再びゆっくりと瞬いた。
「好きなひとに好いて貰いたいのって当たり前だと思いません?」
 囁く声と共に、もともと底から光るフィンウェの瞳が、ぞっとするほどきらめく。
「貴方好みに装い、貴方好みの話をして、貴方の視線をここに留めて――できるなら、なんだってするでしょう。恋だから。悔いるはずもない」
 それからフィンウェはすこぶる魅力的な微笑みで言い切った。
「……罪でもないですよ。だからこの話はお終いです」
 遠くから聞こえる幻のような声だった。エオンウェは「死んでる」んだったなと思い出した。やっぱりナーモが直接聞き取りした方が良かったんじゃないか。煙に巻かれた気もしなくはない。
「それに」
 フィンウェは瞳を伏せて言った。
「私はエルウェに何か言うほど近くもない」
「とぅわー!!!!」
 渾身の叫びが出た。フィンウェはびくっとした。
「え、何。なんですか」
「それまさかエルウェに」
「いえ別に? だからそれほど近くないから」
「言うなよ! 絶対言うなよ!!」
「はあ…?」
 ぞぞっと背筋を冷たいものが走った気がしてエオンウェは身を震わせた。すでに泣かせてるのが致命的だったと思ったが、それどころじゃない悪寒だった。
 報告の内容は決まった。実に有意義な聞き取り調査だった。

 メリアンには「待て」だ。大体のところこの「待て」の判決はあらゆることに最も多い。たぶん明確に「時間」はアイヌアの領域じゃないからだろうな、とエオンウェは思っている。
 ところで致命的かつ手遅れなヤンデレ2号を抱えつつあるノルド王の、あいつ本当どうしてくれようのその後の対処はというと、考えてみれば当たり前だが思いもよらぬところからエオンウェに報された。
「なるようになるから放っておいて大丈夫です」
 最初の報告してメリアンをメッして2度目の報告をしてナーモに懸念事項をまとめましたよと報告しましたよ報告の帰り道だった。イングウェに声をかけられてエオンウェはちょっと跳ねた。
「ンッ何?」
「フィンウェは根に持つけど、エルウェが泣いてたから放っておいて大丈夫。時間が解決します」
「ほんとにィ…?」
 エオンウェはイングウェの論理展開がさっぱり分からなかったが、そこまで懐疑的でなく返事した。イングウェのこと自体は信頼しているのである。何かとマンウェの軌道修正してくれるし。
「経験則ですが。私はあれらの親友なので。フィンウェとエルウェのことはよく知っているので」
「泣いてる方がまずいかなと思ってたよ」
「いいえ。シンゴルは泣かないけどエルウェは泣くんです。そういうことです」
 エオンウェはぽかっと口を開けて、少しの間沈黙した。
「……あの、星より遠い距離感なのに…?」
「めげないので。泣いていますけどね」
 断言されたので、そうなのかぁ、とエオンウェは腑に落ちない色々を飲み込むことにした。何せめげないと言えばこの上なくめげないマイアの対処で手一杯だったので。
 なおその後、話すたびに号泣して帰ると聞いたその中身が、「エルウェが訪ねてくる、フィンウェが少し話す、エルウェがわんわん泣く、それを泣き止むまでフィンウェが見ている」だと知った時に、エオンウェは「時間が解決する」を深く納得した。複雑怪奇なので今後できれば近寄りたくないところである。

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