架空の嘘

 フィンゴンがマンドスに来て、案内人の次に会ったのは、なんとトゥアゴンだった。

 フィンゴンはぎょっとして「お前いつ死んだ!」と叫んだ。トゥアゴンはにこりともしないで「遅かったですね」と言った。
「太陽の第1紀が終わったのは知っていますか」
「全然」
「……エレイニオンが即位したのは」
「うわー、やっぱり?悪いことしたなぁ。あんなにちっこいのに」
「……ちなみに今、エレイニオンが幾つなのかは」
「え”。……まさかもう成人しちゃったー、とか」
「かれこれ1000年ばかり前に」
 ぎゃ、とフィンゴンは叫んだ。
 死んでからここまでにどれだけ寄り道したんだおれは!記憶にないけど!!

 そのフィンゴンの1週間後にマエズロスが来た。来たと聞いてすごい勢いで駆けつけたフィンゴンをきょとんとした目で見て、マエズロスはしみじみと言った。
「ああ、そうか。そういえばお前、死んでたんだったな」
 フィンゴンは泣いた。酷い!と文句をつけ、しかしそう言いながらマエズロスを抱きしめて離さなかった。
 マエズロスも自分と同じように「もう死んでいる」と聞いてからこの1週間、フィンゴンにとっては永遠なみに長かった。
 だってそうだろう。死んでないならそりゃ少しでも長く生きていて欲しいが(それがマエズロスにとって幸せかどうかはいつも考えることなのだが、どうマイナス面を考えてもフィンゴンの結論はいつも「でも生きてろ」なのだった)もう死んじゃったのであれば早く会いたかった。ストレートに本音だ。

 さて感動の再会を方々で果たして、やっとふたりきりになれたのはそれから1ヶ月は経った後のことだった。
「――で、マエズロスはどうして死んだんだ?」
 マンドスの扉の広場――“マンドス”の中心に位置するそこの、隅の方にふたり並んで腰掛けて、何から話そうか、と少し悩みかけたマエズロスに、フィンゴンは笑顔でそう言った。
 マエズロスはとりあえずフィンゴンを殴った。

 右手で。

 殴った方も殴られた方も固まった。
「……わーお!あんたの右手!久しぶり!」
 フィンゴンは叫ぶと、貴婦人にするようにその右手の甲にちゅ、と口づけた。マエズロスはというと、右手はそのままフィンゴンに任せきりで、自らの左手をしげしげと眺めて「しまった」と呟いた。
「何が“しまった”?」
「ナーモに聞きそびれた…!」
 マエズロスは言うと、やおら立ち上がってあっという間に走り去った。
「聞きそびれたって…会ったのか?」
 おれまだだけど、とフィンゴンは呟いた。完全に取り残された身では愚痴を言うくらいしかすることがなかった。

 それから軽くひと悶着あったのだが、ようやく落ち着いた(と言っても良いだろう)マエズロスは、ぶつぶつ唸りながら、手紙を書いていた。
 自室でなく、わざわざ広間に来て書いているのが愛情だと信じたい。マエズロスが自室に引っ込んだが最後、フィンゴンは立ち入り禁止だ。相変わらずというか、生前よりいっそう酷く互いの家族が邪魔してくださる。
 勢い良く書き上げると署名して、畳んで、ふー、と息を吐く。横でおとなしく待っていたフィンゴンは、何だかわくわくしながら一連の動作を見ていた。
 物憂げなマエズロスは、遠い目で前を見つめると、ふいにきゅっと眉間に皺を寄せた。
「…結局、マンドスとは何だ?」
「うん、あんたのいる所」
 マエズロスは無言で手を振り上げた。フィンゴンは慌てて手をかざす。
「わ、暴力反対!」
 振り上げた手をマエズロスは拳にした。軽く首をかしげ、目を細め、にっこりと笑う。
「溜まったんだ。抜かせろ」
 んぐ、とフィンゴンは目を白黒させた。
「い、今すっごいあんたらしからぬ下品な言葉が」
「そういう意味でとるな阿呆。今夜襲うぞ」
「結局そっちのネタじゃんかー!」
 マエズロスはにっこりを冷笑に変えると、拳をぱっと開き、フィンゴンの頬に手をのべる。
「………ストレスが溜まったからお前で発散させろと言っている」
 きゅ―――っと頬を引っ張られたフィンゴンは、間抜けなことに、マエズロスに見とれていた。冷笑であるにも関わらず、たいそう綺麗な笑みだったのだ。
「…はんらほんはひほーろふへひはっへ」
「何を言っているのかわからない」
「はらへ、ほっ」
 強引に振りほどくと、フィンゴンは頬をさすりながら続けた。
「あんたこんなに暴力的だっけって聞いたんだよ?」
「ん?ああ…」
 頬をつまんだカタチのまま空中を掴んでいたマエズロスは、つまらなさそうに手を開く。
「だってお前、被虐趣味があるというか、嗜虐趣味が好みなんだろう?」
「例えそれが好みだったとしてもあんたに今さらそうなってもらわなくて良いから!もう好きだから!好みドンピシャだから!!」
 マエズロスは至極真面目に言った。
「いや、だから今さらではなくて素で暴力的なんだが」
「嘘つけ!」
「嘘ついてどうする」
 フィンゴンは腕を掴んでマエズロスを引き寄せた。薄い鋼の色をした瞳がフィンゴンを見る。

「そーいう所でいきなり嘘つきになるのがあんただよ、マエズロス」

 鋼色が波打った。マエズロスは小さく息を呑み、何か言いたげに唇を開き――軽く頭を振って口をつぐんだ。フィンゴンはマエズロスと額を触れ合わせた。
「マンドスが何かだって?……おれにとっては幸せの場所だけど?」
 目を閉じて、微笑んで言ったフィンゴンに、マエズロスはごくりと唾を飲み下す。
「――至福の地だからな」
 震えそうな声を整えて答えると、輝く夜の手前の色をした瞳が開く。呆れた様子でフィンゴンが言う。
「あーもう本当に厄介だなあんた!そんなの、あんたがいるからだよ。当然だろ?」
 マエズロスはふいと顔をそらした。妙にこどもじみた仕草に、フィンゴンは笑いたくなる。
「……まぁ、それも、悪くない」
 ぼそっと呟かれた言葉がまた見事にこどもじみていて、悪戯っ子の気持ちが揺り起こされた。
「それが良いって言え」
 肩をおさえて言うと、マエズロスはちらりと横目でフィンゴンを見る。
「悪くない」
「良い、だろ」
「悪くない」
「良い、だったら」
「わるくな、……」
 離れた唇をぺろりと舌で舐めると、また拳固が降ってきた。痛い痛いとうめきながらフィンゴンは笑った。マエズロスも笑った。そのうちフィンゴンが抱きしめてきた。
 幸せの場所、それで良いじゃないか。

 嘘つきは抱きしめておけば良いというのが、どうやらフィンゴンの持論のようだったので、マエズロスはおとなしく抱きしめられていた。
 嘘はつきたくなかったので、ただ黙って、長い間。