「意外な人と意外な場所で遭遇」

 エルフの眼がどれほど見えるのかは、かつて養い子たちによく訊かれたことだ。とはいえ見るのも聞くのも、意識していない時にそれほどはっきりしているわけではない。意識して凝らせば、おそらく人の子にとってはどこまでもと言いたくなるくらいの広さだろうが。
 だからヴァリノール側の岩礁近くに小舟がひとつ流れてきたのは、人の子であっても見えただろうが、小舟に誰が乗っているか見えたのはエルフの眼のおかげだった。トル・エレスセアまではあと少しといったところだが、岩礁まで泳いでいくのには少しばかり苦労することをエルロンドは知っている。あの岩場は館の塔からも見えたな、と思い出す。もちろん塔よりはこの浜辺の方がよほど近い。
 明らかに流されてきた小舟はゆるやかに何度かぐるぐる回り、岩礁にこつんこつんと当たって止まった。小舟の人物は座り込んで俯いたまま身動きもしなかった。エルロンドはしばし声をかけにいく手立てを頭の中で巡らせたが、動く前にもう1隻小舟が現れた。
 櫂のない小舟に堂々立ったギル=ガラドは、少し険しい顔で前方を睨んでいた。それが岩礁の小舟を見つけてほんのり緩み、ぐんぐんと近づくと鳥が羽を休めるように静かに停まり、それはもう心底気の抜けたといった声で言った。
「じじさまいた~」
 小舟の人物はそーっと俯かせていた顔を上げて、まるで迷子の声を出した。
「あぁ……、エレイニオン…」
 エルロンドは自然と耳を澄ませていた。さきほどギル=ガラドと目が合ったから、別に聞かれて困る話ではないだろう。じじさまと呼ばれた相手がフードを下ろしたので初めてその赤毛が見えた。編んでいるからか、そんなに鮮やかには見えないな、とぼんやり考えた。
「こっち乗ってください。帰りましょう」
「俺が舟を移るなんて出来ると思うか…?」
「うーん。なら私がそっちに乗っても良いですか」
「揺らさないなら良い」
 ギル=ガラドはフフッと笑うと気軽にマハタンの小舟に乗り移った。
「揺れた!!」
「私そんなに軽くないので」
「揺れた!!!」
「舟は揺れるものですよ」
 小舟にさらにしがみつきながら叫ぶマハタンを後目に、ギル=ガラドは櫂を取り出して乗って来た小舟をこつこつ突いた。乗り手のいない舟は羽ばたくようにくるりと回った。
 軽く頷いたギル=ガラドは今度は岩礁に櫂をついて、不満気な声音で同乗者を見下ろす。
「仲直り早めにしてください。キアダンが落ち込むと困る」
「……それはノォウェ殿次第だ」
「謝りたくって岸辺で待ってるーーと思いますよ」
「そうかな…」
「じじさまが舟なんかに潜り込むから」
 白昼夢のような心地でいたが、ふとギル=ガラドが軽く手を上げて、ついでにウインクをしてきたので現実らしい。いや、現実か? エルロンドの最近色々と修正されたギル=ガラドのイメージとしてはやりそうなことに分類できたので現実ということにしておく。エルロンドはおそらく百面相をしていたので、ギル=ガラドが微笑んだ。
「じじさま、今振り返るとかわいいものが見れます」
「動いたら落ちるよ俺は」
「落ちない落ちない」
「落ちる」
「エルロンドがいたんですけど」
「えっ! それなら戻、いや、う~、」
「戻ります?」
「うぅ、今度ノォウェ殿に連れて来てもらう……」
 ギル=ガラドは、あっはは!と声を出して笑い、舟は見る間に櫂のない小舟を引き連れてヴァリノールへ遠ざかった。仲直りは存外早く叶うかもしれない。

 と思った翌日に、百煙突の館でエルロンドは、マハタンと顔を合わせた。
 仲直りしたんだな、と、船旅は順調でしたかと問いかけると、マハタンはきょとんとした。
「いや、船ではなく…」
「船ではなく…?」
「アウレがこうぎゅっとしてぱっと」
「ぎゅっとしてぱっ…」
「たまにあるんだ。ところでつまりここはトル・エレスセアか」
 ええ、はい、そうです…。エルロンドはそれから楽しく会話を続けたはずだが、何も覚えていない。今後どこで誰と会っても不思議はないのかもしれない。そうしたら…。
 マハタンの帰り道もアウレがぎゅっとしてぱっとしていったので、エルロンドはヴァラールの自由さにつくづく驚く日になったのだった。