このひとの情はまったく逆に止めを刺す。
マンドスに書庫が出来たというのであからさまにうきうきして出かけて行ったトゥアゴンは案の定、紙やら本やらで見事に壁を築いて篭城していた。つくづく篭城の好きな方だ。
「……ナルシリオン…」
呟きと共に紙の壁の隙間から指がのぞく。つまみ出そうとして上の重なった束がぐらぐら揺れる。
「手助けいたしましょうかトゥアゴンさま」
囁く声音で言って上の紙束をのけてやるとふいに抵抗のなくなった指先はつるんと紙を取り出して、ああ有難うと礼を言うがこちらを向きもしないので、手に持った紙束をいささか乱暴に床に下ろしてみる。
するとびくりと顔が上がる。私を見止めるとその見事にノルド的な灰色の瞳がちらりとひらめく感情に染まる。言うなればそれは嫌悪に似ている。
「あなただったのか。人が悪い。マエズロス」
さて最も人が悪いのはどちらだろうか。私は笑ってみせる。
+++ +++
考えなくても分かることだった。私の思考を中断させない手助けなどは、生憎、どれほど時を経てもこのひとしか出来なかったのだから。…時を経て、とはいったがそれほど長い時が過ぎたわけではない、それは確かだけれども。
兄の恋焦がれた美しい顔が、静かに笑みのかたちになる。私はこのひとが嫌だ。向こうもおそらくそうなのだろう。
うわべを取り繕ったりせずに剥きだしの心を比べたら、伯父と父の諍いの根よりも深いところに我々の根はあるだろう。
「何か用か」
私が積み重ねた紙の壁、その向こうからじっと見つめてくる従兄に問うと、つまらなさそうに細めた目で彼は言う。
「嫌がらせだ」
「充分嫌がっているから出てってくれ」
「君が悪い。相手をしたのだから」
そう、確かにそういう論理でいけば私が悪い。このひとは唯一私の思考を邪魔しない相手で、だというのに思考を中断して声をかけたのは、私の方なのだから。無視しようと思えば出来たのにも関わらず。見つめてきたからといって、放っておけば良かったのだ。昔とてこのような「嫌がらせ」はよくしてきたのだから。
「………言いたいことを思い出した」
「どうぞ」
別に今言わなければならないことではない。そして、今さら言ったとしても何が変わるわけでもない。
私の声は真っ直ぐな矢になる。
「あなたが情をかけた相手は必ず滅びる。知っていたか」
目の前で従兄はゆっくりと目を伏せた。
「……そんなような気はしていた」
矢を射込まれた心臓が、燃えるような嘘を吐く。いや、あなたは知らなかった。何も感づきすらしなかった。
そしてそれはこのひとの罪ではない。
書庫の扉がざわめく。誰かが来る。従兄はすべるような所作で踵を返す。
+++ +++
「どこへ行くんですか」
呼び止められてマエズロスは振り返る。この従弟は人がいると途端に口調を改める。それは自分だとて同じであるのに、トゥアゴンのそれをマエズロスは嫌う。
「決まっている。引き篭って、さめざめと嘆くのさ。己の因業な愛を」
浮かべた笑みは冷ややかであるとマエズロスは信じている。
「………だからあなたは嫌だというんだ」
トゥアゴンは舌打ちしたい気分で呟く。ああいう笑みは魂を生け捕りそうに魅力的だ。他の者が見てもそうなのかは賢者とても知らぬことだが。