「………良い槍だね」
エレイニオンは絞り出すように言うとちらっと向かいを窺った。残念ながら続けて?と言わんばかりの視線が返ってきた。
「馬が可愛いし……星空が綺麗で……、……竪琴ひきがここにいるのも良いなあって…」
向かいから笑顔と頷きの気配が伝わってくる。エレイニオンは言葉を探す。
「盾の星も兜も美事だと、えーと、思う、Gの意匠としてもわかりやすいし、その……」
エレイニオンはついに顔を覆って叫んだ。
「題材が『ギル=ガラドの討死』じゃなかったらもっと褒めやすかった!!」
向かいでマエズロスが声を上げて笑った。
定期的ではないが名付け親に会いに行ったら近況報告になる。名付け親のマエズロスは父のフィンゴンと一緒にいるので、父たちのご機嫌伺いというのがしっくり来る。エレイニオン自身はアマンの奥地に住んでいるので、離れ島まで行こうと思えば必ずティリオンの都は通る。そうしたら、特に顔を出さない理由の方がない。
仕事の違いでくくれば良いのか、マエズロスはほぼ必ず王宮にいてくれるが、フィンゴンがいるとは限らない。エレイニオンも父たちのどちらかに会えればまあいいか、と思っているので、あまり追及はしない。
それと、マエズロスはエレイニオンと一対一だと茶目っ気の増した態度でいることが多い。……最近自覚したのは、それに釣られるのかエレイニオン自身もだいぶ「こどもっぽい」態度になってしまうことで、少し悩んだが、結局はふたりきりの時に発症するのだから良いか、と思っている。
「最近、彩飾書写にハマっていて」
マエズロスが切り出した時には素直に気になった。もともと器用な名付け親だが(本人は否定する)、右手のある今、さぞや――と思われたからだ。曰く、やはり細密画は性に合ったらしい。書き物が増えたから、とは言うが、書き物ばかりしていても字しか書きたくない者もいる。何を隠そうエレイニオン自身のことだ。
「これは良く画けた」
と、渡されたのが件の1枚――『ギル=ガラドの討死』を鮮やかに彩った、うつくしい書だった。
「『フィンゴンの勲』とか画けば良いでしょうに…」
エレイニオンがじっとりと睨み上げると、マエズロスは素直に頷く。
「うん。あれは上級者向きなんだ。今画いてる」
「父上喜ぶだろうねー…」
「フィンゴンは私がこういうの画いてるのは知らないぞ」
「嘘でしょちゃんと教えてあげて」
うん――、とマエズロスが気のなさそうな返事をするので、エレイニオンは気が気ではない。それより、とマエズロスはぱちりとエレイニオンと目を合わせた。
「アイグロスはどういう形だったんだ?」
エレイニオンは視界が弾けたように思った。アイグロスは――アイグロスは。
「……教えない」
物凄くかたい声が出たな、と思った。マエズロスがどんな顔をしているか見えなかった。エレイニオンの視界はずいぶんと昔を見つめていた。
「私の成年祝いに手ずから意匠を考えた槍を注文しておいて、私のおとなになった姿も見なかった名付け親になんか教えないっ」
エルフにとってもはるか昔のような時から凝った声が飛び出した。エレイニオンは今度は自己嫌悪から俯いた。
「マエズロスが画けるひとなの、知ってた」
言いながら、目を瞑った。震える息を吐いた。
「……剣は、父上が贈るからって遠慮したんでしょう。だから、これは、……合ってるよ」
顔が上げられなかった。マエズロスを見るのが怖かった。
だから、エレイニオン、と静かな呼びかけに早口で答えた。
「ごめん。癇癪起こした」
それでも俯いたままでいると、気配が隣に近づいてきて跪いた。
「エレイニオン。――ありがとう」
その声があまりにも真っ直ぐ心に染み入ったので、エレイニオンは顔を手で覆った。うう、唸りと共に一言呟いた。
「泣いちゃう」
傍らのおとなは静かに頭を撫でてくれた。
それで、エレイニオンはその書を持って離れ島まで行ったのだ。
離れ島の百煙突の館で迎えてくれたエルロンドは、感嘆と共に書を眺めた後、前から言おうと思ってたんですけど、と話を切り出した。
「『ギル=ガラドの討死』をかいたものを集めただけで部屋が1つ埋まってます」
「えっ」
「これも加えて良いですか?」
エルロンドが真っ直ぐ聞いてくれたので、エレイニオンも素直に答えた。
「この書は、私のものだから、私が持っておく」
エルロンドは微笑んで、あなたのものが増えて良かった、と言った。