華を編む

「あ、花髪さんが帰る」
 外を眺めていたエルロスが言った。エルロンドにはすぐ彼のことだとわかった。
 シリオンのロドノール館には来客が多い。もっとも双子がギル=ガラドと共に住んでいる場所にはほとんど誰か来ることはない。となると逆に、そこまで入って来るのは、双子にとって重要な人物か、ギル=ガラドのよほど親しい人物か、どちらかだ。
 彼は西側から…海の方から来るひとだった。バラール島からの来客も数多いが、その中で彼は双子にとって印象的だった。誰かの漕ぐ船でやって来て、黒髪を編みまとめている小柄なひと。
 その後ろ頭の編み髪が、とても複雑な花のかたちになっていることがある。
「今日は?」
「大きいのひとつ」
 エルロンドもいそいそと窓辺から覗き込んだ。
「すっごい」
「あれ、どうやってるんだろ?」
 双子は幸いふたりいるので、お互いの髪をいじってみたことはある。そもそも以前マグロールとマエズロスと暮らしていた時は、一応マグロールが双子の髪を結ってくれていた。ただ、伶人は手先の器用さをその分野には発揮できなかったようで「向いてないんです」とぼやいていたのをよく覚えている。ちょっと結んでくるっと回す。それだけが微妙なことになる。あんまりな出来の時はマエズロスが頭痛をこらえるような顔をして直してくれたこともある。片手なのに弟より遥かに上手かった。
 とはいえ、結うのであって編むのではない。
 シリオンでも全面的に編んでいるひとはほとんど見ない。稀に半分でくくった後ろ頭が複雑な編みの形になっているひとは見ないわけではないが。その中で、髪全体をまとめている上に芸術的な仕上がりの『花髪さん』はとても気になる存在だった。
「三つ編みくらい練習する?」
 エルロンドがぼんやり言うと、エルロスがもどかしそうに空中を掻き混ぜる。
「なんか……なんかさ…やりたいんだけど自分で身につくのか想像つかないっていうか……あれって本当に三つ編み?」
「四つ編みかも。それか二つ」
 エルロスはいちいち四つ!とか二つ!とか咆えた。
「だいたいギル=ガラドも編んでないしさぁ」
「そうだね…?」
 ギル=ガラドは大概不思議な色味の黒髪をしているが、その胸ほどまでの髪を何もせず解き流している。髪飾りすらつけてないな、とエルロンドは思い出す。
「でもギル=ガラドの髪をめちゃくちゃ複雑に仕上げるのは楽しいかも」
 エルロスはまた空中を空想の形に掻き混ぜる。エルロンドは冠とか? と想像する。

 「花髪さん」の名前はエレストールというのだった。そんな会話をしてからほどなくして、ギル=ガラドから紹介された。
 キアダンのところのひと。ひんやりした朝みたいなひと。
 紹介された時の髪は一段と凄く、正面から見るとごくおとなしいまとめ髪だが、後ろから見ると細かい薔薇が幾重にも咲いていて、とても華やかだった。
 エルロスが好奇心丸出しの顔で近寄って行って後ろを見ると、エレストールは苦笑した。
「ああ。このひとが編むんですよ。いつも」
 エレストールはそう言ってギル=ガラドを示したので、双子は揃って大声をあげた。
「どういうこと!?」
「ギル=ガラド髪編んでることないじゃない」
「編めたの? なんで?」
 ギル=ガラドは問い詰められて、ほんのり首を傾げた。
「ええと…趣味?」
「あなたのこれは特技では」
「そうかな」
 のんびりした会話から、気心知れた仲なのが分かる。エルロスは地団駄を踏みそうな勢いで「趣味と特技の違いってなに」と吐き捨てた。
「労せずして出来るのが特技、労してもしたいのが趣味、かな」
「すごい明確な答えをありがとうギル=ガラド、それを訊きたいわけじゃないよ」
 エルロスがぐいぐいギル=ガラドに詰め寄った。エルロンドは、エレストールに目線で訊かれた。いつもこうですか? 片割れがすみません。ギル=ガラドはええ…と目をうろうろ彷徨わせた後にそろっと答えた。
「我が父上は、金を交えた偉大なる編み髪をしてらしたの、で?」
 虚を突かれたように一瞬黙ったエルロスは、次の瞬間には物凄い勢いでギル=ガラドを抱きしめた。
 エルロンドは、エレストールと目線の会話を繰り返した。いつもこうですか? 片割れがすみません。
 知らないよ、教えてよ…ぶつぶつ言っているエルロスをギル=ガラドは優しく撫でた。エレストールは肩を竦めると、やれやれ!と声を上げた。
「エレイニオン、また来ます。私の髪ばっかりお花にしてないで、あなたも双子に髪の編み方でも教えて息抜きしなさい」
「次は蝶々にする」
「はいはい」
 船着き場へ向かいながらエレストールはエルロンドに微笑んで手を振った。エルロンドは、そうしたら来る時のエレストールは花髪じゃないんだろうか?等と考えながら手を振り返した。

 とんでもなく複雑な編み髪はギル=ガラドの所業であるらしい。そう思って見てみれば、あの、半分でくくった後ろ頭が複雑になっているのは、ギル=ガラドの手紙を持っていく伝令隊のひとたちばかりだ。上級王の使いは髪型が凝ってる、とか噂になってるんじゃないかとエルロンドは思った。エルロスはつまりお使いに行くひとの髪はギル=ガラドが編んでるってこと? ご褒美じゃん、と拗ねていた。
 『金を交えた偉大なる編み髪』については、教わった身としてはありとあらゆる種類があった、と言う他ない。編み方って物凄く細かい種類があるんだな。ギル=ガラドはちょくちょく言い淀んでやめていたので、おそらく教わった以上に種類があるのだろう。
 ちなみにエレストールは来る時もきっちり編んだまとめ髪で、花のようではないものの、編み方を教わったばかりの双子には充分に複雑で凝った編み髪に見えた。自力でその腕前に行きつける日が来るかは定かではない。
 そう言うとエレストールは笑った。趣味ならともかく、あなたが自分で結う必要はありませんよ。
 それでも双子は地味に練習を続けている。いつかギル=ガラドの髪をとんでもなく華やかに編んでやるつもりでいる。