コドモの時間は短くない

「――さて」
 儀式めいたやり取りは双方の微笑で終わった。
「ここからは、たいそう私的な話になるのですが、陛下…」
 見事につややかな赤毛を揺らして、フェアノール家の長男は、窺うように玉座の王を見た。王は立ち上がった。
「ここで聞こう」
 言いながら階を降りて、彼は赤毛の甥の前に立った。にこりと笑う。
 赤毛の青年は表情を消して立ち上がる。
「フィナルフィン――」
 呟かれた王の名に、見守る民はどきりとした。叔父と甥。私的な話とは?
「この…」
 手が伸ばされた。

+++  +++  +++

「お調子者ッ!!」
 がつっ、と痛そうな音がした。
「い…痛ぁああああっ!」
 叫びがあがる。頭を押さえてフィナルフィンはうずくまった。
「い、い、い、痛いよーマエズロスー…」
 涙目で見上げたフィナルフィンを見下ろして、マエズロスは、はんッと鼻で笑った。
「泣くな泣き虫」
 その手が胸倉を掴んで引きずりあげる。
「よくもまぁ…こんなに早く呼び戻してくれたなぁ…!?」
 胸倉をつかまれたまま、フィナルフィンはえへらと笑った。
「怒るなよ~、同じ3代目の仲じゃん」
「纏めるな!」
「ええ~、だってアマンカウント私がノルド王3代目、正式カウント君がノルド王3代目」
「1度だってまともに治めてない」
「名は体を現したでしょ。兄上に譲った時点で継承してたも同義」
「う」
 マエズロスが怯んだ隙にフィナルフィンはちゃんと立ち上がった。
「それにフィンゴンより期間長いじゃない?こないだ年表とかいうの見せて貰ったんだけど」
「うっ…」
 もっと怯んでいる隙にさっさと衣服を直す。目を丸くして口をあんぐり開けている周囲の民たちにニコヤカに手を振ってみる。どうだー素のマエズロスとか初めて見たろー。そこの年長者達!
「――じゃない、違う、フィナルフィン!話逸らすな!なんでこんなに早く呼び戻したんだよおかしいだろ!?」
「なんで?」
「なんでじゃない僕の順番最後から2番目だって言ったろ!何千人飛ばしたんだか恐ろしくて考えたくない」
「……千じゃ足りなくない?」
「ぐ」
「まぁいいや。そういうわけで、お帰りマエズロス。君今日から私の補佐ね」
「ああ、ただいま……――違うッ」
 うん素はボケ度増してる気がするな~、などとフィナルフィンは考えていた。またマエズロスがわめいている。
「補佐ってなんだよ!わざわざ僕呼ばなくったってトゥアゴンもう起きてるし、ガラドリエルだって帰って来てるだろ!意味わかんないよ!!」
 ん~、フィナルフィンはくるりと目を回した。
「世代格差?」
「はァ?」
「そりゃね、私だって聞いてみたよ。だけどそのふたりに口を揃えて“それはマエズロスじゃないと無理。お手上げ”って言われたら、私の取るべき手段はひとつだと思わない?」
「…………」
「だからよろしく」
「………………」
「ね」
「………フィナルフィン…、……見ない間におじいさまに似てきたな」
「あー、ノルドの上級王なんてやってますとね、似せた方が良いことも多々」
 にっこり笑ってそう言うと、マエズロスは深い深い溜息をついた。
「もういい…。……ちくしょう…。僕の幸せ返せ…」
「ふふふー。拒否権ないのが君の罰~♪」
「歌うな!」
「いいよ、猫無くなっただけで私は満足♪」
「だから歌うな!」
「ひとりじゃ淋しかろうと思ってちゃーんとフィンゴンも一緒にってお願いしてあげただろー」
「…それはまぁ嬉しくないとは言えないけど」
「でしょ?」
 そんなやり取りをしながら、とっととフィナルフィンは退場した。広間がざわついているが、知ったことか。
「お疲れさま」
 アナイレが声をかけてくる。隣で気配が動いたかと思えば、マエズロスがフィンゴンに駆け寄ったところだった。ふと和らいだ雰囲気に、ああやっぱり一緒にして良かった、と思い、フィナルフィンはもうひとりの甥に声を掛けようとした。
「フィンゴン、――」
「叔父上が“天の下”だってホント?」
 フィナルフィンは笑顔のまま固まった。隣でアナイレが噴き出した。
「いやだ、もう…。フィンゴン、挨拶の前にそんなこと言うものじゃなくってよ」
「あ、そっか。叔父上、お久しぶり」
 フィンゴンの隣で、マエズロスが額に手を当てて、小さく溜息をついた。

+++  +++  +++

「……夢の上――――――ッ!!」
 数瞬の自失から回復した、と思われるフィナルフィンは心底からの絶叫を王宮中に響かせると、即座にマエズロスの胸倉を掴んで揺さぶり始めた。
「よくも!よくも…よくもよくもバラしたなこの野郎!何言ってんだよバカ!」
 掴まれた胸倉から手を離させようともしないでマエズロスは自分の耳を両手で塞いだ。塞いだまま怒鳴り返した。
「うるさいうるさいうるさい!良いだろうっかり口がすべっただけなんだし由来だって知れるわけないんだから!」
「良くないから言ってるんだバカ!バカバカバカ!器用貧乏!頭でっかち!考えすぎバカ!」
「考えすぎバカはヴァンヤだろ僕に振るな!」
「ツッコミ所が違うっていうかそこでボケるな夢の上の3回転半ヒネん坊!」
「意味わかんないよ何口走ってるんだよ!」
「気が動転してるんだよ君だって覚えあるだろ、バカーっ!!」
「バカって言うなバカ――!」
 とうとうマエズロスはフィナルフィンを突き飛ばした。お互い反動でよろりとして、けれどまったく舌戦は止まらない。
「バカだろ実際!肝心なところでいっつもすっぽ抜けるじゃないかバカ!」
「すっぽ抜けるとか言うな!いっつもいっつもいっつもいっつも気ィ張ってあの父上の長男であの弟どもの兄やってるんだよ疲れるんだよ限界だよいっそ代われ!」
「嫌だよエアルウェンは渡さないからね――!?」
「海月姫欲しいから代われなんて一言も言ってないわ――ッ!!」
 生前よりも、マンドスにいた頃よりも、確実に何かがキレたとしか思えないマエズロスを、フィンゴンはしみじみと眺めた。うん、これぞおそらく幼なじみ効果。言葉遣いなど、すっぽんとこどもの頃に戻っている、のだろう。何にせよフィンゴンは、マエズロスが気を張りすぎなことに対して常々不満だったので、今の状況はかなり満足だった。自分が直接関わっていないことがちょいと気にかかっていたが。
 永遠に続くかと思われた舌戦を止めたのは、傍でにこにこと笑っていたアナイレだった。
「ちょっと2人とも黙って頂戴」
 言うが早いか、すぱぱーんと後ろ頭を叩く。舌戦真っ盛りのオトコノコたちはかくっと前につんのめり、それをばっちり目撃したフィンゴンは、自分まで叩かれた気になって後頭部を押さえた。
「もういい加減に解禁する時期だと思うの」
「何がだよ!」
「絶対ヤだ!」
 アナイレの一言にふたりは即座に叫び、それからまじまじとお互いの顔を見た。なんかいつもと役割が違いやしないか。
 マエズロスはフィナルフィンが分かってないことに驚いた。フィナルフィンは、マエズロスがある意味で本当のこどもの時よりコドモじみたことに驚いた。
「“ヤだ”はないでしょいくら何でも」
「そのツッコミ世界一どうでもいい」
「…………年を考えなさいよふたりとも」
 耳に痛い沈黙が落ちた。
「年だって」
「年…」
「……な、何よその目は。やめて頂戴」
 ナニガイイタイノ?な顔はフィナルフィン。マエズロスは、なまじ定命の者と付き合いがあっただけに、なんとも身につまされて、がっくり落ち込んだ。
「えーええええぇ?夢の上ー、なんでヘコむの?」
 わかっていないフィナルフィンが訊く。マエズロスは頭を抱えたくなった。なんと言い返してやろうかと、口を開き――
「で、なんで“夢の上”と“天の下”なんだ?」
 黙った。
 振り向いた目の前で、フィンゴンが、ぅん?と首をかしげた。
「マンドスに戻って来る」
「もう行けないって」
 ぼそりと呟かれた言葉にフィンゴンは生真面目に返した。
「いや、絶望のあまりに絶望すればいける筈だ!」
「そんなやる気のある絶望がどこにあるのよ」
 ぐっ、とこぶしを握り締めたマエズロスに、冷たい目をしてアナイレは突っ込んだ。彼がマンドスで順調にボケ度を増している間に、こっちは突っ込みをマスターしたのだ。多分。
「アレがバレたら生きていけない」
「上の世代、全員知ってるじゃない」
「あああああ!そうだしまったどうして今までバレなかったんだろう」
 マエズロスは本当に頭を抱えた。
「呼んでなかったからでしょ、夢の上」
 アナイレがにっこり笑うと、マエズロスはふるふると頭を振った。
「じゃあもう呼ばない」
「じゃ、また猫被るのかよ」
「さっき豪快に脱ぎ捨てたのに?」
 フィンゴンの素直な問いと、フィナルフィンの呆れた、と言わんばかりの言葉に、マエズロスは呻いた。
「あああ、それもそれで微妙だ…」
「だから解禁時期でしょうに」
 すっぱり言うと、アナイレは息を吸った。

「このふたりが女装した時のあまりの美しさを表した言葉よ。あの愛称って」

「鳥篭姫―――――――っ!!!」
 マエズロスは絶叫した。
「女装…?」
 なんだかきらきらした声が耳を打つ。ああ、振り返りたくない。そう思いながらギギギとマエズロスは振り返った。……ああ、笑顔が眩しい…。
「見たい」
「やらん!」
「なんで?」
「イヤだからだ!お前だってイヤだろう!」
「やったことないから分からん」
「じゃあやれお前がやれ似合うだろう若いんだから!」
「…………その論旨でいくと私より絶対似合うよねマエズロス」
 何がなんだか分からなくなった発言に、フィナルフィンが突っ込む。ぐっと詰まるマエズロスに、アナイレがにっこり笑った。息子とよく似た笑顔だった。

+++  +++  +++

「はずかしがってるのがすっごくかわいい」
 でれれん、として言い放ったフィンゴンを、マエズロスは涙目で睨んだ。そんなところ祖父に似なくていい。
(ちくしょう)
 思えば、この人生最悪の思い出(ああ、その当時の人生のなんと平穏だったことか!…今でも最悪に並ぶほどイヤな出来事ではあるが)が出来た時、同じようにフィンディスたちに見事に飾り立てられた(しかし不釣合いに髪だけは解き流したままだった)祖父フィンウェは、あっさりと言ったものだった。
「あのねえ…。そこではずかしがるから余計にかわいいって分かってる?」
 欠片もはずかしがる様子でなく、そのまま公務に行って謁見視察その他もろもろをこなして帰ってきた祖父は、一言で言えば似合いすぎている上に堂々としすぎていて違和感がありすぎて違和感なく、しかし翌日どっと増えた嘆願書からすると、都に引き起こした衝撃は凄まじかったのだろう。噂はものすごい勢いでアマン中を駆け巡り、どっかに行ったっきり見事に音信不通になった父が帰ってきた。めでたいかもしれない。
「格好は格好。私は私。だから別にはずかしいことないよ」
 あの平然とした様子が演技だったのか素だったのかは定かではないが…今考えると、祖父のおかげで自分(たち)の方はバレなかったのかもしれない。素だったとして、祖父のどこかフっ飛んだ感覚に感謝すべきだろうか。
 しかし、今そのフっ飛んだ祖父はいない。
 そして目の前には「ッふ!」と噴出して顔を背けっぱなしのヴァンヤの伶人がいる。
 ちらりと横目で見やれば、丸っきり無表情のフィナルフィンが、エアルウェンにまとわりつかれている。見事な美少年と美女のカップルだ。黙って座っていれば。
「………エレンミーレ」
「…ふ、…っ。…す、すみません…ね。まさかここまで時間が経った後にまたそんな麗姿を見ようとは思ってませんで…っ」
「笑うな」
 マエズロスが呪いでも吐くような低い声で言うと、エレンミーレは笑顔のまま弁明した。
「いえ似合ってないわけじゃありませんよ、昔も今も変わらずお似合いですとも、ええ…っ」
「だから笑うな」
 こらえきれず噴出すのでマエズロスは余計に不機嫌になる。
「いいえー、昔の自分の、あまりに的確な表現に笑いがこみあげてくるだけですともええそうですともふふふふふ。これが笑わずにいられますかあー美人」
 早口で言うと、すかさずエレンミーレは、一緒に連れてきた彼曰く“ボケノルド”の後ろにさっと隠れた。ルーミルは、エレンミーレとは対照的に部屋に入ってきた時からぽかんと立っていたが(それでいいのか伝承学の大家中の大家)、
「すごい」
 と一声もらした。
「う…わーすごいすごいすごい綺麗!マエズロスさまもフィナルフィンさまもすっごいキレー!感動的だー!」
「そうでしょうルーミル、これが噂の黙って座ってれば美人なおふたりですよ綺麗でしょう?」
「噂って何だ!」
 褒められても嬉しくない上に実はあまり褒められていない。
「喋っても動いても失格です。“焦がれる夢の上を行く美しさの君”」
「失格でいい!もう、今度こそ、絶対に、二度と、ごめんだ!離れろフィンゴン」
 後ろから抱きついて項と肩のあたりに顔を埋めていたフィンゴンの手が不審な動きをし始めたので叩く。それを見てエレンミーレがまた笑う。
「ご立腹ですけど、そちらはどうですか?“天の下に並ぶ者無き美しさの君”」
「ああうん、いやね、フィンロドが大きくなるにつれて何かそうじゃないかなーとは思ってたんだけど、やっぱりあの子のアレって確実に私の遺伝も含まれてるよねそうだよねー…」
「ッ何現実逃避してんだ天の下!抵抗しろ!」
「抵抗?できるわけないじゃん。エアルウェンがこんなに楽しそうなのに」
 知ってるだろ。私、エアルウェンには全面的に弱いんだ。
 軽く遠い眼になり、エアルウェンの成すがままにいじられているフィナルフィンは、うつろな答を返した。マエズロスがきっ!と顔を向ける。
「いや、もう目的は達した!着替える!」
 乱暴に立ち上がり、扉に向かうが、――伶人の一言が突き刺さる。
「あれ、動いても問題なくなりましたね。恋でもしました?」
 マエズロスはがこんっ、と扉に頭をぶつけた。
「~~~~」
 そのまま色々な衝撃に蹲ってみる、と、目の前の扉が不意に開いた。
「父上、こちらにいらっしゃるの…、…あら?」
 金銀にきらめく髪が目に入った瞬間、マエズロスはその場から逃げ出した。

+++  +++  +++

 うっかり逃げ出して着替えるわけにもいかなくなったマエズロスは、飾りをぐいぐいと外している最中に、服の構造に気づいた。目的地目指して歩きながら、そっと飾りを外していく。どう考えても使いようのない飾り帯をぽいと投げ出すと、マエズロスはその“扉”の向こうに入った。

 何年ぶりだと言うも愚かな永い時の後の、久しぶりの現世にて実に久しぶりに会った幼なじみは、変わらず的確にお互いを見つけることができた。というよりも、今回に限っては実に簡単だった。王宮の、数え切れないほどの思い出を辿って、決まりきったひとつの道を進む。
 角の隅に髪飾り、通路に引っかかる飾り帯――
 アナイレが、気づいたみたいね、と笑った。放られた飾りを拾いながら歩く。扉の前で別れた。
 今日はあなたの番。後はよろしくね。
 フィナルフィンは深い呼吸をして、それから扉を開いた。
「マエズロス?」
 扉の向こうには広間がある。階があって、そして奥にはテラスがある。
「踊ってほしかった?」
 階の上、台の前にたたずんで、マエズロスが振り返らずに言う。フィナルフィンは少し笑った。
「踊ってほしいよ。今度」
「今度か」
 マエズロスは台の上の、黒い滑らかな石の表面に手をすべらせると、そのままにこちらを向いた。
「…ここがこうなったなんて、知らなかったな」
 ランプの光は炎ではないから揺れはしない。外の光は移り変わるから、この部屋は彩に色を変える――黒い棺も滑らかな表面に光を躍らせて、それを時折フィナルフィンは眺めた。だがテラスへは出ることがなかった。出られなかった。
「私にとって墓になるのはここだけだったからね」
 マエズロスはゆっくり目を伏せた。すっかり舞の衣装に変わった服がさらりと揺れた。フィナルフィンは怒ったような足取りで階を昇り、マエズロスに近づいた。
 黒い棺に手をすべらせて、早口で言う。
「私はナーモさまに“コドモの時間”が短すぎたって言った」
 マエズロスがゆっくり首をかしげた。
「多分、父上もそうだったんだろうけど――よく考えるんだ。君がコドモでいられたのはいつまでだったろうって」
 マエズロスは身を翻すと、足早に奥のテラスへ向かった。
 フィナルフィンは追いかけようとして、一瞬ためらった。マエズロスが言った。
「短くないよ」
「え?」
「コドモの時間。だって…」
 招かれて、フィナルフィンは歩み出すことができた。伸ばされた手を掴んで、その温もりに安堵する。
「…………こんな友人が出来た時間、だったろ。短くなかったよ」
 そっぽを向いての言葉に、フィナルフィンはきょとんとして、それから――とろけそうに笑った。
「今の王宮で、私が誇れることが一個だけあるんだ」
 向き直ったマエズロスにフィナルフィンは告げた。
「オトナが昔コドモだったって、みんな知ってる。わかってる」
 マエズロスは、少し黙った。
「なるほど」
 軽く頷いて、昔そうしたようにテラスから見渡して、彼はにやりと笑った。
「君らしい都だ。天の下」

+++  +++  +++

「ああもう愛してるよ!夢の上!」
「気色悪いよいきなり告白するな!抱きつくな!」
「“いいじゃん久しぶりだからー!”」
 笑顔のままの言葉に、マエズロスは少し眉をひそめ、それから言った。
「……“痛いなーもう”」
「あっはははは!それそれ!うん、やっぱり“コドモの時間”は捨てがたいね」
 笑いながらきゅうきゅうと抱きついてくるフィナルフィンの腕の中で軽く肩をすくめ、マエズロスは首を軽く傾ける。
「それで――、僕を呼んだほんとの理由は何だったわけ?」
「や、全部ほんと」
「…緊急事態でもないのに、ここまで早まる?」
「充分、緊急事態だよ。前の時は応急処置しかしてないから、今度こそちゃんと最後まで制定しないと、逆にみんな蘇れない。こっちが受け入れられない」
「それはまた、……」
 小さく溜息をついて、首を振ったマエズロスに、フィナルフィンはいっそう声を潜めて囁く。
「でも、もひとつ緊急事態があってさ」
「何?」
「――私の精神状態」
「……え」
 見開かれた目を覗いて、フィナルフィンは笑って見せた。
「正直に言おうか?君がいなくて淋しかったんだよ。だから呼んだ」
「…………。……また凄い口説き文句を」
「あ、口説かれた?」
「いや。慣れてる」
 そう答えながらの笑顔はいつか見た、穏やかなもので、フィナルフィンは何年ぶりだと言うも愚かな永い時の果てに、ようやくたどり着いた気がした。