ある日、ヴァルダが夫のところへ行くと、マンウェはかんしゃくの後のようで、床に転がって拗ねていた。
重いが柔らかい空気の塊がそこら中にごろごろとひしめいていて、マンウェはそのうちのひとつをしっかと抱きかかえて、グレている。
「どうなさったんですの?」
ヴァルダは慌てず騒がず尋ねた。マンウェはぶぅ、とふくれて上体を起こすと、ぎゅうっと塊を抱きしめて、上目づかいでヴァルダを見た。
「……わからない」
「……?」
空気の塊を押しのけて、ヴァルダはマンウェの前にぺたりと座った。
「何が、ですの」
聞いた瞬間、輝く空のように明るい青い瞳が、みるみる曇った。
「わたしはメルコールがわからないよ…」
マンウェが肩をがっくり落とすと同時に、そこいら中の空気の塊がぼふんと消えた。
「メルコールが、また何かなさいましたの?」
ヴァルダはうなだれるマンウェの髪を撫でながら、優しく訊いた。
声は穏やかで手つきも静かだが、顔は悪鬼の形相だった。…幸いマンウェには見られなかったが。
「何もしてないけど…」
「ならどうして、突然そんなに気に病むのです」
マンウェは深い溜息をつくと、すっと顔をあげた。
「いきなりじゃないよ。ず――っと考えてたんだけど、わからないから、訊きに行ったら、わからないことばかり言うんだ」
「……会いにいったのですか!?」
「うん」
あっさりと頷く夫に、ヴァルダは内心脱力した。
この方は、周囲がどれだけメルコールに注意して、身を守ろうとしているか分かってないのか。
「メルコール、わたしのこと嫌いかなぁ…」
嫌っているでしょうよ、とヴァルダは心の中でメルコールを力いっぱい罵った。
どうしてくれるの。殿が落ちこんでるじゃない!
「口利いてくれただけマシかなぁ…」
メルコールの得意技は、聞こえなかったふり、見えなかったふり、知らなかったふり。
とことん避けられ続けて、ろくに顔も思い浮かばないヴァルダは苦々しくそう思った。
はぁ~、とまた重苦しい溜息をマンウェはついた。
「ほんとに、メルコールがわからないよ…」
長い年月の後に、アマンにて、同じように兄がわからないと嘆くエルフがいることを、まだ誰も知らない。