リンドンには型破りな赤子がひとりいる。
「えぇ~おん!」
赤子の元気な声が響いた。
まだ少年にしか見えない上級王は、菫色の瞳をぱちくりさせて、赤子を見つめ返した。
「……えぇ~おん…」
赤子は違った意味で珍しい紅の瞳を相手と同じように瞬かせると、泣きそうな声でもう一度言った。
「陛下? 大丈夫ですか?」
ゆりかごの傍にいる女官が気遣って声をかけてくるのに、ようやっと正気づいた上級王は、ぎこちない指で赤子の頬を撫でた。
とたんに赤子は嬉しくてならないといった顔で「う~ふ~」と言った。
「えぇ~おん…」
エレストールは手を止めて、顔を上げた。赤子にはほど遠い声が、舌っ足らずな響きを生真面目に呟いた。
「………えぇ~おん。…やっぱり」
「何がやっぱりなんです?」
主たる友人は何やら呟いている。エレストールは彼に近づく。
「陛下? ギル=ガラド?」
とんとん、と肩を叩いても、こちらを見向きもしない。窓の外から、赤子のいる部屋の方ばかり眺めて「どうしてだろう」と言った。
「悩み事でしたら守り役に相談しようとか考え付いて頂きたいのですけどね?…エレイニオン?」
菫色の瞳が弾かれたようにエレストールを見つめた。
「それ!」
「何がです」
「私の名前だ!」
「……そうですね」
返しながらエレストールは、年下の主で友人の眺めていた方を見やる。
「あの子が私の名前を呼んでるんだ。この前からずっと」
「そのようですね。良かったですね、妹御に好かれて」
言った途端、髪を引かれてエレストールは顔をしかめる。
「なんです、ギル=ガラド」
「嬉しい」
「そうですね」
「でも変だ」
「どうして?」
上級王は苛立たしげに守り役の髪をつんと引いた。
「誰も呼んでないのに。君以外。…教えた?」
エレストールは微笑しながら、髪を手から取り返す。
「さて、どうでしょうね」
「えぇ~おん!」
今日も赤子は上級王の姿を見るたび満面の笑みで叫ぶ。