こうさぎのロンド

 フェアナーロ、こうさぎをもらう

 父上から、こうさぎをもらった。
 父上がだっこしておられるから、その白いのはなんですか、と聞いたら「こうさぎだよ」とおっしゃられた。
「世話役はもういるのだけれど、君に差し上げようか」
 かがみこんでわたしと目をあわせた父上は、こうさぎのふわふわの毛をちょっとなでた。
「話し掛けてやると言葉を覚えて、そのうち喋り出す。そういう、こうさぎなんだ」
 それはおもしろいです、と言ったら、父上はこほんとせきばらいなさって、わたしにむかって、おもおもしくおっしゃった。
「ではクルフィンウェ、そなたに、このこうさぎの面倒は任せよう。世話役がいるのだから勉学の妨げにはなるまい。喋るようになったら私にも教えておくれ」
 はい、と言ってわたしはこうさぎをうけとった。
 白くてふわふわしたこうさぎは、長い耳をねかせてねむっている。
「ねえフェアナーロ、この子の名前は何だと思う?」
 こうさぎを見ていたら、父上がそうたずねられた。
 わからないので首をかしげると、父上はにっこりほほえまれて、こう言った。
「“フィンウェ”と言うんだ。可愛がっておくれね、フェアナーロ」
  ………え。
 わたしがびっくりしている間に、父上はさっていかれた。

   フェアナーロ、こうさぎを呼ぶ

 こうさぎが父上とおんなじなまえなのは、ちょっとヘンだとおもう。
 だって、それならわたしは、このこうさぎをなんて呼んだらいいんだろう?
 と、とつぜんこうさぎは目をさまして、わたしのうでからとびだして、はねていってしまった。
「あ…」
 父上のおなまえを呼びすてにするのもはばかられて、どうしようかまよっているうちに、こうさぎは角をまがって見えなくなった。
「ま…まてっ」
 あわてておいかけていくと、角の向こうから「ぎゃー」という声がきこえた。
「お知恵ちゃんちょっとあんた!お知恵さんから逃げて来たの!?」
 角をまがるとそこには――
「んもー悪いこうさぎだなっ!めっ!」
 大きなこげ茶色の目をした女の人が、こうさぎをつかまえて、ゆかにぺったんとすわっていた。……こうさぎはなついている。
 わたしがちかづいていくと、その人はかおを上げて「あ」と言った。
「あー、クルフィンウェさま、こんにちは」
「そなたはだれだ?」
「こうさぎの世話役です。ユージュと申します。お見知りおきを。……お知恵ちゃんなんかしましたか」
 ユージュはこうさぎをだっこしたまますわりこんでいる。立ってもたぶん、ふつうのおとなよりずっと小さいせたけだろう。
「そのこうさぎは、わたしが父上からいただいたのだ」
 ユージュはへえ~、と言った。
「呼びにくいですよねぇ」
「え」
「名前。叱りにくいですよ“こらフィンウェ!”って。ねぇ?」
 わたしはあたまがちょっとぐるぐるするのをかんじつつ、うなずいた。
「なので私はこの子を“お知恵ちゃん”って呼ばせていただきます。良いですよね?」
「お知恵ちゃん…」
「フィンウェさんがお知恵さんなんで。ちっちゃいフィンウェさんつまりお知恵ちゃん」
「お知恵ちゃん…」
 わたしはもう1回つぶやいた。こうさぎがユージュのうでから出て、足元によってきた。
「あ、定着しましたね。あー良かった。フィンウェって呼ばないと反応しなかったんですよこの子。フィンウェさんが楽しそーに呼びすてするから」
「よびすて…?」
 しかめつらをしたわたしのまえで、ユージュはまくしたてた。
「そーです。そりゃもう楽しそうにフィンウェフィンウェ呼びすてしながらむぎゅっとしたりなでなでしたり。ご自分の名前呼んで何が楽しいんですかねぇ」
 わたしのあたまの中ではそのこうけいが、かなりしっかりおもいうかんだ。………。
「父上のかんがえていらっしゃることは、たまに、よくわからない…」
「クルフィンウェさまもわっかんないんですね。んじゃ私がわかるわけないですね」
 わたしはしみじみ言うユージュのまえで、こうさぎの“フィンウェ”……お知恵ちゃんをだっこした。

   フェアナーロ、こうさぎを怒る

「お知恵ちゃんって言うより愚かちゃんだ!」
 言うと、ユージュがケタケタわらった。
「そりゃ、めざめたてなんですから全然愚かちゃんでしょーよ。怒っちゃダメですよ。忍耐ですよクルフィンウェさま」
 そう言われたからまってみることにはしたが、やっぱりこうさぎのフィンウェはお知恵ちゃんと言うより愚かちゃんだ 。
 つついてみても、何を言っても、つぶらなひとみでわたしをじーっと見つめて「むにゃむにゃ」しか言わない。このまえ、ねむってるときにつついてみたら(おなかがひこひこしててかわいかった)、「ZZZ…」だって。ちょっとあきれた。
 でも、そのよくわからないむにゃむにゃ声でも、ほんのちょっと父上に、にてる、気がする。
 ………せいちょうが、たのしみかもしれない。

   フェアナーロ、こうさぎを構う

 ちょっとずつしゃべり出した、と言うので、かまいに行ってみた。
『薬?』
 くすり、は、べつに用もないのでもってない。
『席?』
 どこに行きたいのだ、このこうさぎは…。
『目ー!』
 さけばれても、こまる……。
 しばらくかまっていると、そのうちねた。
 やっぱりひこひこしているおなかをつつくと、
『腕…むにゃむにゃ』
 どんなゆめを見ているのやら。

「なーんか、日常会話が耳に入んないみたいなんですよ」
 むー、とせいだいにうなってユージュが言った。
「んで、今、策を講じ中なんですけど、………実験的にですね、語りを聞かせましたらあーゆー感じで喋り始めたんですよ」
「何のかたりを聞かせたのだ?」
「何でしたかねぇ。イロイロですよ、イロイロ」
 ユージュはじぶんにつごうがわるくなると、“イロイロ”でごまかす。またきっとヘンなはなしでも聞かせたんだろう。

 しゃべり出したこうさぎは、たんごでしかものを言わないので、いまいち声がどうの、とかはわかりにくい。
「日常会話の方が聞けるようにイロイロやっておきますから♪」
 とユージュがようきに言った。
 こうさぎをむぎゅっとしたら
『本気♪』
 と言った。じつは聞こえてるんじゃないかとおもう。

   フェアナーロ、こうさぎの寝言を聞く

 こうさぎはよくねる。で、ねごとが、ヘンだ。
『フィンウェ…』
 わたしはびくっとした。こうさぎのねごとはとつぜんはじまるので、かなりどきっとする。
『名か…』
 大あたりだが、どうなんだろう、このねごとは。
 こうさぎはむにゃむにゃと、わたしのひざの上でかおを上げると、
『息子♪』
 と言った。………。わ、わたしは、こうさぎを父上にもったおぼえはなくってだな…(でも、わ、わるくは…ない)。
『顔…声…顔…むにゃむにゃ』
 どうしようかとおもっているうちに、こうさぎはまたねた。
「あれー、さっきはうさぎに拘ってたんですけどね?」
 ユージュがつんつんと横からこうさぎをつつく。
「ちょっとお知恵ちゃん、さっきアナタ面白いこと言ってたでしょう。また言ってくださいよ。せっかくクルフィンウェさま居るんですから」
 こうさぎは言った。
『うさぎが…本…うさぎは…フェアナーロ…むにゃむにゃ』
 ………わたしはうさぎではない。ユージュはにこにこしてさらにつつく。
『うーん… つまり…うさぎが…フェアナーロ…うさぎ…うさぎ…』
「………お、…お知恵、…ちゃん、…わたしはうさぎではないぞ」
『うさぎが…うさぎは…こは…つまり…むにゃむにゃ…』
 こ!? 子か!? 子なのか!?
 こうさぎは父上のお名前をもっているので、わたしとしては気になる。
『うさぎは…こ…』
 だからわたしはうさぎではないと言うに!おもったとき、こうさぎは、ぱちっと目をあけて言った。
『うさぎー!』
「ねー、うさぎに拘ってるでしょう?」
 口をまげたわたしにすりすりして、こうさぎはさらに言った。
『フェアナーロ♪うさぎ…』
 そのうさぎがついてなければもっとうれしかったんだが。わたしはちょっとわらった。
「お喋りでちゃんと覚え始めたみたいですねぇ。お知恵さんすごい勢いでクルフィンウェさまのこと話してましたからね」
「…え」
「でも、うさぎは何でしょね?」
 ユージュはたぶんちょっとうれしいかおになったわたしに、にんまりわらって言った。
「もしかしたら、“フェアナーロっていう名前のうさぎ”のこと話してたんだったりして…」
 !!
 わたしはいそいで、父上のところにむかった。

 ++ ので、ここからはフェアナーロは知らない話 ++

 ユージュは昼間にこうさぎに構い倒して去っていたフィンウェを目撃しているのだが(すきま時間の実に有効な活用法だと彼女は思った)、話の内容はなんというか、微妙に子どもには聞かせられない類のものも混じっていたと思う。いや、むしろ子どもでは分からないか?
 そんなことを考えながら、聞き疲れたか眠っているお知恵ちゃんをそっと突いたら、物凄くお知恵さんに良く似た声でこう言った。
『エルウェ…』
 クルフィンウェさまがいなくて良かった、とユージュは心底安堵した。眠ったままのこうさぎを抱き上げると、こうさぎはむにゃむにゃと更に言った。
『前提か…』
 ナニが前提でナニをする気なんだ。
 お知恵ちゃんってどのくらいお知恵さんと似てるのかなぁ…
 今度フィンウェさんに聞いてみよう、とユージュは思った。彼がマトモに答えてくれるのか、そもそも答えを知っているのかは置いておいて。

 フェアナーロ、こうさぎと計算する

 こうさぎが、さいきん、すうじをよく言う。
『 3♪』
 とか
『 24♪』
 とか
『 5と…15、6-!』
 とかだ。

「なんのはなしだ…」
 けいさんのべんきょうをしているところにユージュが来て「忙しいんでちょっとよろしくお願いします」とかなんとか言って、こうさぎをおいていった。
 わたしだってひまではないのだ。
 今日中に、99かける99までおぼえてしまおうとしているのに、どうしても97のだんでつまずく。つまずくから、いっそひょうにしようと思って、すうじときごうをかみにかいている。
 97かける56が5432で良かったのか、いっしゅんふあんになってるところで、こうさぎが言った。
『フィンウェが占ってあげるね♪』
 ……う、うらない?
『きょうのあなたは友人です』
 …………。
 ………じゃあ、明日のわたしは友人ではないと言いたいのだろうか…。
 ためいきをついて、わたしがかみにかおをもどすと、こうさぎは首をかしげて言った。
『準備?』
 じゅんびどころでなく、ほんばんまっさかりだ。このけいさんをやっつけたい。5432?これで良かったっけ?
『フィンウェ♪ うさぎ♪ 逍遥♪』
 こうさぎはきげんよく言うと、とびはねて、つくえからおっこちた。

 そういうことがあったのですと父上におはなししたら、父上はちょっとなさけなさそうなおかおをして、「数字は私が教えたんだろうねぇ」と言った。
 3と5と24、それと15、6?父上はいったいなんのおはなしをなさったんだろう。
「まあ、何て言うか…3+5+16で24だったわけだよ。夢の話さ」
 父上のおっしゃることは気になったけど、父上がちょっとかなしそうにほほえまれるので、わたしはそれいじょう聞かないことにした。
「今日は、99かける99まであんしょうしました」
「計算をしてたの?どうだった?」
「すうじでひょうをつくったのです。あれはべんりです」
「ああ――、そうか、計算は覚えなくっても良いよね…」
 父上がふっとためいきをこぼすので、わたしはなんだかどぎまぎした。
「………言葉も記号があればいいのに」
 ちいさなこえで言われたことに、わたしはぱっとなにかがひらめいたと思った。
「じゃあ、わたしが、つくってさしあげます!」
 せんげんすると、父上はびっくりしたように目をまるくして、そのあと、ふわっとわらった。
「フェアナーロ、本当に君は私の誇りだよ。愛してるよ!」
 おやすみのキスのまえに、ほっぺたにキスをもらった。うれしくてにこにこしていたら、父上はでもね、とわらった。
「無理はしちゃだめだよ?おやすみ、フェアナーロ」
 むりなんかしない、と思ってるうちにおやすみのキスがふってきて、それで、わたしは、ねた…。

「……5人の予定だったけど、うん、1人でもあんまり愛しすぎるなぁ…」
 てれてれしながらフィンウェはフェアナーロの寝室を去っていった。
 『夢』の内容は『幸せ家族計画』。
「父上と母上とわがひとで3人でしょ。こどもが5人でしょ。孫が15、6人で計24人の私の大家族♪」
 と、昼にこうさぎに語ったのだった。
 過程はだいぶ狂ったが、こども5人と孫16人の夢を、後々確実に叶えることを、フィンウェもこうさぎも、勿論知らない。

   フェアナーロ、こうさぎに翻弄される

 私が“文字”を完成させたのは、私が成年に達するよりも少し前のことだった。
 文字を造ってすぐに、勿論、できる限り早くに父上に恐れ多くもお教えさせて頂いたわけだが、
「フェアナーロはいい先生だね」
 にっこり笑ってそんなことを言われると、どうにも私の心臓は落ち着かなくなる。
 日に一度のその勉強時間に、父上とご一緒するようになって大分経った。
 父上は本当に覚えの良い方で(当たり前か。 でなければどうして今まで滞りなく政務が出来ただろう)、文字はあっという間に覚えられたし(少し悔しかったのは事実だ)、今は、勉強時間は、専ら発音と乖離した表記はないか、綴りに於いての細かい原則・例外の軽い討論と化している節もある。熱の入った討論は私とても非常に楽しい時間ではあるのだが、父上はある程度論が進むと「今日は終わり」と切り上げられることが多い。
「無理はしちゃダメだよ?」
 その言葉と共に頬に落とされる唇も、もう馴染みのこととなった。今でもその度に頬が熱くなるのを感じる自分に少し驚くほどだ。

 その日も暫しのお別れのキスを貰って、何となく動けずに座っていると、視界の端を白いふわふわした塊がかすめた。
『フィンウェほしいの? 先生♪』
 ぎく、とした。
 はっきりと、父上そっくりの声がそう言った。
 と、身を竦めた私の膝に、白い塊が飛び乗った。
「………お、知恵、ちゃん、か…」
 少し、久々に会ったような気がする。こうさぎもティリオンに住んでいるから、私がどこかへ出かけている間は絶対に会えないわけだが。
 私の膝の上でこうさぎはもぞもぞと動いた後、上目遣いで(!)こちらを見て、言った。
『遊びに聞いたわけですが?』
 ……な、なんだ、突然のこの小憎たらしさは…!?
 立ち上がりかけると、それより先にこうさぎはぴょん、と私の膝から飛び降りた。捨て台詞付きで。
『フェアナーロ遊びって愛しすぎー!』

 私は久しぶりに、こどもらしく全力でこうさぎを追いかけた。

 追いかけている途中でユージュに会った。
「ユージュ!なんだあの、お知恵ちゃんの小憎たらしい発言は!」
 大体、こうさぎはもっと単語で話すものじゃなかったか?
 ユージュはへらっと笑うと、
「あー、文章しゃべる。それは成年になったってことじゃないですか?クルフィンウェさま」
 と言った。
「お知恵ちゃんお知恵ちゃ~ん。出てらっしゃ~い」
 くるっと私に背を向けると、こうさぎに呼びかける。柱の陰からこちらをじーっと見ていたこうさぎは、ユージュに呼びかけられると、ととととと、とやって来た。
「せっかくですからクルフィンウェさまを占ってさしあげて下さいな」
「何?」
 ユージュが変なことを言い出すと、こうさぎは耳をぴこっと動かした。
『ニュアンス運わるそう』
 なんだその運は…?
『全くうちのお知恵さんは本当にニュアンスつくくらい酷い思考回路でしょう』
 ……………。
 ユージュが大爆笑した。
「ヒ!ひ、酷い思考回路ですって!お知恵さん!…当たってるー!」
 笑うな。父上はそんなことは無くって、聡明さも慈愛も過ぎるような方で、民の間の噂も、…いやちょっと聖視されすぎてるきらいもあるような…う…。
『噂も違うようなとか言ってみる♪』
「こ、この…っ」
 私は衝動的にこうさぎを掴まえた。
『びっくり♪』
 こうさぎは私の腕の中で暫しじたばたした後、抜け出せないと分かったのか、しゅん、とうなだれてまた言った。
『びっくり…』
「あークルフィンウェさまが泣かしたー。悪いんだー」
「な!?」
 ユージュが茶々を入れてくる。いや、うさぎって泣くのか!? 一瞬焦った時にこうさぎが言った。
『悪いごもっともー!』

 むっつりと黙り込んだ私に、こうさぎはすりすりと懐くと、囁くように言った。父上に良く似た声だった。
『こ先生が愛しいんだよね♪』

 それだけでうっかり機嫌が治りかけた私に(結局、父上に関することには弱いのだ、私は)、こうさぎは強烈な発言を残して去っていった。
『めるこ先生としようかと思ってるの♪』

 私がその後ユージュを問い詰めたのは言うまでもない。

   フェアナーロ、こうさぎと酔っ払う

 こうさぎが王宮の廊下でもしゃもしゃと、何か食べていた。びっくりした。
「お知恵ちゃん!そなた何を食べているのだ」
『先生♪』
 くるんと振り返ったその口には銀のような白いような花がくわえられている。
 ……銀の、花?
『あまあまなのー』
 こうさぎは何だかふるふるしている。私は花をこうさぎから取り上げる。
『フィンウェおいしいの!』
 どう見ても、銀色の花に見える。私が知る限り、銀色の花はひとつしかない。
『二つの木うっとりー!』
 こうさぎが叫ぶ。…テルペリオン。なぜ花が王宮にあるのかは謎だったが、こうさぎも食べていたことだ。私はかねてからやってみたかったことをすることにした。つまり。
 ぱくり。
「…………。」
 こうさぎは嘘つきだ。全然甘くない。
 銀の花は物凄く、苦い。そして、熱…い?

 私はくらりと視界が揺れるのを感じた。立っていられない。馬鹿らしいほどへたへたと座り込むと、こうさぎが飛びついて来た。
『フィンウェいる?』
「いるに決まってるだろう…」
『父上は笑うと !? 』
「いつも以上にお美しい…」
『両親ほしいの?』
「父上だけでいい…」
 自分でも少し愚かしいことを言っているような気がする。だけどやたらと周りがふわふわして、なんだか熱くて、ぐるぐる渦を巻いている。どうせ相手はこうさぎだ。
 ふふふ。何故か笑いがこみあげてきた。膝の上からこうさぎが誰かに抱き取られ、色のないヴェールが降りかかる。
 奥の方に熱を帯びた輝きが見える。
「これはどうやってつくるのだ…」
 手に触れたヴェールをさぐりながら言えば、白金の輝きは笑った、ようだった。
「これとはどちらのことでしょう?」
 ヴェールを引っ張ったらするりと落ちた。光が強くなる。
「ぜんぶ…」
 ぼんやりした声を出したな、と少し思った。
「世界、ぜんぶ、何でできている…」
「歌で。貴方もご存知のはず」
『住んでいるからとか言ってみる♪』
 こうさぎが横から答える。輝きがますます笑う。
「そうね、賢いこうさぎですこと」
『一緒かな?』
「お名前の通りだと言いましょうか?」
 私は霞む視界で瞬いてみる。銀の花がたくさん見える気がする。どうしてここに?
 誰かがもうひとり、来る感じがする。どうしよう。少し、恥ずかしいかもしれない。立ってみようと思ったが、視界が完全に渦巻きになって、果たせなかった。
「あれ、」
 すごく大好きな手に触れられた気がした。
 ぐるぐる回る思考の中で、こうさぎが元気いっぱいに言った。
『最終的には悪いことがあったわけではありませぬ』
 いきなりかっこいいぞ、どうした、こうさぎ。

 目が覚めると、父上が何だかにこにこしながら私の髪を撫でていた。
 枕元でこうさぎが寝ていた。
「銀の花で酔っ払ったね?」
「……あれは酔うものなのですか」
「花はね」
 父上はそう言って、銀色に光る液体の入った杯を差し出した。
「飲みなさい。すっきりするから」
 私はおとなしく飲み干した。目が覚めた。
「花は食べると酔うよ。光の雫はこうやって、すっきりするけど…」
 そこまで父上が言うと、かぶせるようにそっくりな声が言った。
『他は例外も…あぁ…あって…むにゃむにゃ』
 寝言だ。
 父上は笑うと、今度アリエンに訊いてみなさい、と言った。

 後日、あの時会ったのはアリエンだったと知った。失態だ。私は好奇心は恐ろしいと思った。迂闊なことをすると痛い目を見る。
 今後は気をつけよう。
『でもだいじょうぶー!』
 ……横で、こうさぎが無責任発言をして煽るのだが。

    フェアナーロ、こうさぎと謳を詠む

 こうさぎは、謳を詠むらしい。
 王宮内を縦横無尽にひょこひょこ駆け回っているので、見かけた者は何だかんだと話しかける。すると、こうさぎはそういう生き物であるからして、話しかけられた言葉を覚える。
 で、最近は謳を詠むらしい。そう聞いたものだから気になって、私は朝からこうさぎを探して歩いていた。
「…………。」
 これが、探そうとすると見つからない。普段は用もないのに私の周りをとたとたしては、やっぱり何度聞いても物凄く父上に良く似ている声で色々と言い放って行くのだが。
「……お知恵ちゃん」
 ぼそ、と呟くと、静まり返った廊下にやけに響く。空しいわ恥ずかしいわで、私は何だかムカっときた。
 ええい、こうさぎめ。
「お、お知恵ちゃんっ…!」
 前よりかは少し大きい声で呼ぶ。と、柱の影に白いふわふわの塊が見える。
 いた。私はさっさと距離を詰める。こうさぎはたたたと寄ってくると、私を見上げて言った。
『こ先生はおっきいんだよね?』
 ……は…?何の話だ。
『こうさぎはおっきすぎない♪』
 言い捨てて、またひょこひょこ駆けていく。待て。そんなことを言うということはこうさぎは狭い所に潜り込むつもりだろう。私は屈んでこうさぎを抱き上げる。
『恐れ多い馴染み♪』
 こうさぎは暴れもせずにそう言った。
「…お知恵ちゃん。謳を詠んでみろ」
 告げると、こうさぎは耳を、ぴこ、と動かした。
『先生…うーん…かっこいいー!』
 私は顔が熱くなるのを感じた。
「私を褒めるんじゃなくて、謳だ謳」
『勉強時間に思ってるとか言ってみる♪』
「だから謳を詠まんか」
 こうさぎは耳を動かしながら楽しそうに言った。
『超漠然と良く見えましたー?』
 ……こうさぎは、私を怒らせたいのか何なのかたまに分からなくなる…。
 ムカっときたので耳を小さく引っ張ってやると、
『愛情ー!? 』
 驚いたようだった。

 そんなふうに構っていると、しばらくして不意にこうさぎは言った。
『あの仲間 定義されたし 古典かも』
 おお、詠んだではないか。私は少しわくわくしながら続きを待った。
 ………待てど暮らせどこうさぎは下の句を詠もうとしない。
「こら、お知恵ちゃん。何とか言え」
『唯一や 創作すなる あたりかも』
「…下の句はどうした」
『その美形 くらくらされる しようかな』
「半分でやめるとはどういう了見だ?」
『あのつくり 書かれてません 考える』

 こうさぎは謳を詠んだ。半分だけ。
 何度聞いても下の句を詠もうとはしなかった。これで良いと思っているのだろうか。
『言葉って遠いよね!』
 そんな自信満々に宣言しなくていい。…きっと、こうさぎのことだ、こうさぎルールで動いているのだろう。
 私の腕の中でひとしきり喋ると、こうさぎは、ぽん、と腕から飛び降りて言った。
『自分って偉いよね!』

 こうさぎは着実に、自意識過剰に育っている。