エルダールの三氏族の性情と関わりのこと

 エルダールの性情は各氏族、あるひとつの傾向を持っている。それは、他者に向ける愛、とりわけ伴侶とのものに著しい。

 ヴァンヤール族は男性の数が多かったが、かれらはほとんど伴侶を見出さず、独り身のままであることが多かった。この氏族は精神の安定性が高く、基本的には他者に依ることを必要としなかったからである。
 一方で、ひとたび伴侶を見出し結ばれると、その結びつきはどの氏族のものよりも深く、伴侶を失えば自らの身を滅ぼすことがあった。
 その傾向は男性の方が強かった。暗闇の遠くへさまよい出て帰らぬ妻を追い求め、ついに自らも帰らなかった夫のなんと多いことだろうか!
 伴侶との結びつきは個々として限りなく強かったが、子との関わりは個々のものではなかった。
 ヴァンヤール族の子は氏族全体の子であり、親族が最も近くに在るものの、子自身は氏族の幼きものとして扱われた。氏族みなが子の親であり、また子には親などいないと言えば言える関わり方である。
 ヴァンヤール族の愛は生涯冷めることはない。
 愛し続けるか、はじめから愛さぬか。
 決めてしまえば揺らぐことはなく、その決断も、迷うことなく速やかに行われるのである。

 テレリ族は最も数多き民であり、男性も女性も、独り身のままである者は少なかった。
 ほとんどが成年と共に結婚し、子を多くもうけた。家族の結びつきは強く、ひとたび身内に入れた者へは非常に心をくだいた。また、氏族全体を大きな身内とみなし、子は非常に大切にされた。テレリ族の子も氏族全体の子ではあったが、テレリ族は特に血の繋がりを重視し、家族、親族、一族郎党の集まりを多く開き、個人の交流は一族の交流となった。
 テレリ族の愛情の門は狭いが、内は広大である。
 愛はかれらの内に湧きいづる泉であり、時に歌となって迸る。
 かれらの愛は包み込むものであるが、身を尽くし捧げつくす愛でもある。
愛そのものがすなわち心である。かれらには愛することと愛されることは当然のことであり、心に従えばそれで、揺らぐことも迷うこともなかった。

 ノルドール族の性情は、定命の者に最もよく似ていた。かれらの気は深いが移ろいやすく、愛は強く激しいものだったが冷めることもあった。無限の命を持ちながら、その愛は必ず終わりへ向かった。愛の深さはかれらを縛り、その激しさはかれらを灼いた。そのため揺らぐことも、迷うことも頻繁であった。かれらは博識であり、手先の巧みさはエルダール中最も優れていたが、精神の在り様は最も不器用であった。
 その拙さをこそ、ヴァラールも、ヴァンヤール族も、テレリ族も愛したのである。

 かくのごときがエルダールの性情の、各氏族の特徴である。ヴァンヤールのイングウェとテレリのエルウェは、氏族の違いもさることながら、個人として反りが合わず、会えば諍いを起こすことも珍しくはなかった。
 好意を抱かぬゆえではなかったが、大部分において相容れぬものと双方とも割り切っていた。
 フィンウェのもとでふたりはたびたび顔を合わせたが、それ以外では殊更に交流を持とうとはしなかった。

 だがそのようなかれらも、ただひとつ、フィンウェに関することでは常に意見が一致した。
 それぞれに、ノルドール族の気の移ろいと不安定を案じたのである。
 それらを束ねるフィンウェは確かにノルドらしからぬ穏やかさと静かさを持っていたが、同時に、誰よりもノルドらしい炎に似た激情をも併せ持っていた。
 その激情がノルドール族を、フィンウェを滅ぼしはしないかと、かれらは愛ゆえに案じた。そして方法はいささか違えど、共にかれに気をつけるようになったのだった。