テレリ族の到着とクウェンヤのこと

 テレリ族への迎えはすぐに出されたが、その島が、エルダマール湾にただひとつ立ち、トル・エレスセアとなったいきさつはすでに語った。
 エレスセアのたよりは遠く、曖昧だった。ウルモは黙して滅多に口を開かず、マンウェの風も詳しいことを伝えはしなかった。ただ岸辺に立って、光を背に島を臨んでいる時、エイセルロスの耳には時折テレリ族の歌が聞こえた。
 それで、かれは相変わらずたびたび岸辺へ足を運んだ。伝え聞くことからするとかれの求めるものはエレスセアにはいないかと思われたが、半ばそう悟りながらも諦めることは出来なかった。

 エイセルロスはフィリエルに会えないことを恐れ、また、再会することをもどこかで恐れていた。
 クウェンディに与えられた無限の時が、ある時にはかれには無性に恐ろしく感じられた。
 美しい都と至福の光にあってなお、かれの心は薄明の地を思い起こした。フィリエルはあの地にいるのだとエイセルロスはたびたび思った。そのたびに慌ててその考えを打ち消すのだった。あいたかったが、いざあえた時には、そしてあえなかった時に自分がどうなるのか、かれには分からなかったのである。

 そうして長い時が経っていくにつれ、テレリ族の気持ちは変わり始めた。事は動いた。
 ある日テレリ族は数多の白鳥と共に海を渡り、此岸の地を踏んだ。
 その日もエイセルロスは岸辺から海を、島を臨んでいたので、テレリ族を真っ先に迎えたのはかれであった。
「リンダールの方々、とうとうおいでに!」
 かれは感極まって叫んだ。そして期待と恐れとに囚われつつ、かれらと話しに近づいた。

 ところがトゥーナに住まうエルフたちとテレリ族とは離れて久しかった。かれらの言葉は変わり、かけ離れてしまいつつあった。かれらは互いに戸惑い、少しの間黙り込んだ。
 エイセルロスはしばし悩んだが、また口を開いた。
 今度かれが言ったのは今トゥーナでかれらの使う言葉ではなく、かれにとってはまだ鮮やかに思い出せる、目覚めの湖で使われていた言葉だった。
 テレリ族の中ではざわめきが起こった。
 やがて、かれらの間から進み出てきたひとりのテレリに、エイセルロスは見覚えがあった。遠い昔にフィリエルと共にテレリ族のもとまで行った時、言葉を交わしたことがあったのである。
 かれはゆっくりと、だが確かに湖の言葉で返答をした。エイセルロスはほっとしてかれと話した。どちらも日常的に使う言葉ではなかったから、少しの会話にも長い時間がかかったが、とにかく意思の疎通は成ったのである。

 会話を終えて、エイセルロスは飛ぶようにティリオンに戻った。
 そして今度は幾人かのノルドールを連れて岸辺へ行った。ヴァンヤール族とノルドール族ならばノルドール族の方が言語に習熟しており、テレリ族との共通言語とでも言うべきものを編み出すだろうと思われたからである。その考えは正しく、一度分かたれていた言語は再びすり合わされ、後にクウェンヤと呼ばれる、
 アマンの地でのエルダールの言葉の原型がここで生まれたのである。
 しかしテレリ族にしかない語彙も多く、それらは“テレリのクウェンヤ”と呼ばれた。

 エイセルロスは忙しくトゥーナと海辺を駆け回っていた。かれはすぐに新しい言葉を覚えたので、ここでも伝令の仕事をしていたのである。
 けれどもついにテレリ族が岸辺に居を定め、都を建設し始め(これには多くのノルドールが手を貸した)エレスセアから船がひとつも来なくなると、かれは考えずにいたことを考えずにはいられなくなった。
 テレリ族がやって来た時の初めての会話で、かれはエルウェがやって来なかったことを知った。遠いたよりは本当だったのである。その事が指しているのは明白だったが、エイセルロスは忙しさを理由に自らの心をあざむいていたのだった。
 フィリエルはいなかった。
 かの女は来なかったのだ。
 かれは海辺を離れると、ティリオンの横を抜け、ふたつの木を過ぎてなおも奥地へと駆けた。大勢の者がかれを見たが、誰もかれを留めることはできなかった。

 耳を打つのは風ばかりで、エイセルロスには何の音も聞こえなかった。何の歌も聞こえなかった。足は光の中を通り、豊かな地を通り、どこへ行くのかもわからないままに進んだ。どれくらい時が経ったのか、大地に身を投げ出して、かれはもはや走らなかった。足は重く、身体も重く、胸を塞ぐ重苦しい塊が、魂を軋めていた。

「フィリエル」エイセルロスは呟いた。
 光にあふれた空と大地は美しかった。至福の国にふさわしく、何もかもが満ち足りて輝いていた。けれどもそこにかの女はいなかった。
「あ、あ、あ、あ」エイセルロスはついに声をあげ、ひたすらに泣いた。
 銀と金の光のまじる空にそれは高く響いたが、エルダールの行くどこよりも遠くのその荒野の中に、泣き声を聞きとがめる者はいなかった。かれは心ゆくまで泣くことができた。

 やがてエイセルロスは暗い奈落に落ちてゆくかのように眠りに陥った。そして不可思議な夢をみた。