愛の所在のこと

 長い時が経ち、フィンウェはクウェンディで唯一、二度の結婚をすることとなった。二度目の妻に選んだのはヴァンヤールのインディスであった。この結婚が初めての別氏族婚ではないことを、フィンウェは知っていたが、イングウェはまだ知らなかった。

 さて、エイセルロスはフィンウェとミーリエルを出会わせたのだが、フィンウェとインディスを出会わせたのもかれがきっかけであった。インディスはイングウェの姪にあたり、アマンで産まれた初めての子どもであった。
 かの女は二つの木の光の恩恵を存分に受けて育った。力も心の在り様も強く、足が速く、幸いの満ちる声でよく歌った。かの女は、足が速く身の軽い義理の従兄をたいそう慕い、たびたびエイセルロスの後をついていった。エイセルロスも主筋の姫を可愛がり、かの女を連れて伝令の役割を果たしていた。
 その頃にインディスは、賢く優しい言葉を持ったノルドの王を見知り、恋をしたのだが、そのことは従兄以外の誰にも言わなかった。

 フィンウェとインディスの結婚は各々の氏族に波紋を呼んだ。これぞ幸いの最たるものと言う者もいれば、前例の無いことに不安がる者もいた。
 イングウェは、姪と友との結婚を良くは思わなかった。かれの懸念を聞いたエイセルロスの心はまたざわざわと波立っていた。結婚する当人たちそれぞれの思いを知る身としても、また妻と離れたわが身としても、心を波立たせるには充分な話題であった。
 ましてや懸念を示したのはイングウェであった。かれの主君であり、父であり、忠誠を誓った者であり、また何よりも愛し崇める者である。エイセルロスは確かめずにはおれなかった。かれの妻は別の氏族だからである。

 「イングウェ様が反対なさる理由は何でしょうか。2度の婚姻だからでしょうか。それとも別の氏族だからでしょうか」
「どちらでもあり、他にも問題はある」イングウェは言った。「だがそなたは特にそのふたつが気にかかるようだ」
 エイセルロスはしばらく押し黙った。やがてかれは力なく口を開いた。
「氏族の違う婚姻は不幸を呼ぶとお考えですか」
 イングウェはかれを包む霧を透かすように答えた。
「断言は出来ぬが可能性はある。同じ氏族でさえ個人の習慣の違いに悩むのだ。ましてや別の氏族であれば」
 するとエイセルロスは、いよいよ霧の中に彷徨いこんだような表情をした。
「個人でさえそうも食い違うのなら別氏族ならば当然のことでございましょう。それを分かってさえいれば問題ではないとは思いませぬか」
「それも可能性でしかない」

 またしばし、沈黙が続いた。やがて再びエイセルロスは言った。
「イングウェ様は考えたことはございませぬか。
 例えば分かちがたいほどに魂が呼びあった伴侶がいて、かの女と再会を望めぬ遠くへ引き離されてしまったら?我らとしても長い時が経ち、子は育ち、わたしこそは世界にただひとり残されていると感じてしまったら?幸福を望むのを誰が止められましょう」
 エイセルロスは言葉を切った。「そう」かれは言った。
「かの女の選択がわたしの幸福でなく、わたしの幸福はかの女を傷つけるとはっきり分かった時に、それでもここを離れられないのなら他に何を望めと言うのですか。この至福の地でミーリエルさまはただひとり、永遠になったのです」
 エイセルロスは何かを恐れるようにもう1度繰り返した。
「永遠に。亡くなられた。悲しいことです。とても、悲しい」

 イングウェはふと霧の晴れるのを感じた。
 エイセルロスが隠そうとしたことは誰の目にも明かせるものではなかったが、この時、その覆いが揺らぎ、内を覗かせたのだった。
「そなたは失くしていないと言いたいのか」イングウェは何かに操られたように付け加えた。「まだ」
 エイセルロスは黙ったまま、何も答えようとしなかった。その琥珀の目は常になく伏せられ、苦悩の影を宿していた。イングウェはその苦悩をわがことのように感じることができた。かれは養い子に言った。
「そなたはずっとわたしに隠し事をしている。秘密がそのままそなたの悩みとなっているのであろう。そして此度のことは秘密に関係がある。そうわたしは思っている」
 エイセルロスは俯いて、一言も口をきかなかった。
「ローメンディル」イングウェは囁くような声音で言った。
「そう、その名も秘密に関係があるのだろう。そなたが秘めたことはわたしには明かせぬが、秘密があることはわかる。そのせいでそなたの気が塞ぐのであれば、わたしは心配だ」
 エイセルロスはやはり黙っていたが、その顔からは血の気が失せていった。
「中つ国へ帰りたいか?」
 イングウェは憮然として続けた。
「わたしはそなたを手放したくはないが」かれは心の声に耳をすませるように瞑目した。「だが」
 イングウェはしばし黙し、繰り返した。
「だが」
「いいえ」エイセルロスは弾かれたように顔を上げ、答えた。
「いいえ。けれど、」
 そう言って、ローメンディルはまた口を噤んだ。ヴァンヤの王は養い子をじっと見つめた。
 エイセルロスは俯いた。琥珀の瞳から涙が1粒、2粒、転がり落ちた。
「あいたい」かれはどっと涙を溢れさせた。
「ただ、あいたい、あいたいのです。わが君」

 そしてイングウェは、ようやくエイセルロスから真実を聞き出すことに成功した。すなわち、かれには中つ国に妻と子がいることである。短くはない話を聞き終えて、イングウェは軽く息をついた。
「そなたの気が塞ぐわけだ」イングウェは言った。「そなたの愛は中つ国にあるのだな」
「いいえ、ここにもございます」
 エイセルロスは言った。イングウェは微笑んだ。
「ではわたしもフュイと同じことを言おう。待つのだ、エイセルロス。そなたはいつか、中つ国へ行くやもしれぬ。また、かの女がこの地へ来るやもしれぬ。それともまた別の道が拓けるやもしれぬ。今決められることではない。時を待つのだ。それは誰も同じこと。そう、ローメンディル、そなたも。そしておそらくはわたしも」
 ローメンディルは主君を仰ぎ見、小さく頷いた。イングウェは続けて言った。
「わが子よ、訪れる未来を誰が知ろう?我らが例えば視るものにしても、決まったものではない。定まってはいないのだ。定めるのは我ら自身、この先の生を肯ってこそのこと。待ちなさい。そして生きなさい。イルーヴァタールの御心のまま、なるようになろう」
 エイセルロスは微笑んだ。
「では、フィンウェ様のこともなるようになりましょう。情け深き世界を成さしめられたイルーヴァタールに称えあれ!」
「情けか」
 しかしイングウェは、小さくかぶりを振った。
「その情けが正しくあって欲しいものだ」