特に仲が悪いわけでも避けてきたわけでもないが、相容れないという言葉がしっくりくる従弟とふたりきりになった時、ケルゴルムは落ち着かない。
フィンロドと相対していると、ケレゴルムは高い空を思い描く。
それはきっと届かない青さをしている彼の瞳のせいだと思う。フィンロドの瑠璃の瞳はむしろ海の青と評されることが多かったが、ケレゴルムは空を感じている。海は他にもうよく知っている。
「どうしてナルゴスロンドだったの?」
奇妙な緊張感を孕んだままの空気を破るようにフィンロドが言った。ケレゴルムは少しだけ首をかしげて、決めたきっかけを思い出す。灰色の大地に乾いた風が吹いていた。血の匂いがそこかしこでしていた。黙り込んだ弟に、何かしたいことがあるかと訊いた……
「クルフィンが“綺麗なものがみたい”と言ったからだな」
弟が夜な夜な訪なうのがこの従弟の部屋だということを、ケレゴルムは知っている。作業場ではない。この光のような従弟はとても優しくて、しなやかに強い。頑なで脆い弟が惹かれるのはよく分かる。
そう、とフィンロドは何だか腑に落ちないという顔をしながら頷いた。
「君とオロドレスの仲を聞いたけど、君はどう思ってるの」
「あいつのこと?」
「うん」
オロドレスは俺との関係をどう話したのだろう。
関係と言えるほどの何かがあったわけではない。ごく普通の親戚関係だと言って言えなくもないだろう。
松の浜辺で何度か時間を過ごした。それでずいぶんと心は軽くなった。
ケルゴルムはフィンロドの瞳を見た。天上の瑠璃はたいそう清廉だ。この従弟の強さはそのくすまない清さにある。
「泣かせたくはないな」
オロドレスに何を望んでいるわけではない。
「ただ、」
言葉を切ると、フィンロドは小さく息を詰めた。俺は今どんな顔をしているだろうか。
「瞋恚がどれほど美しいかと夢想することはある」
フィンロドは数度唇をわななかせた。探しあぐねた言葉よりも雄弁に、瑠璃の瞳に複雑な色がよぎる。
「……私は君が恐ろしいよ」
絞り出すような声に、ケレゴルムは笑う。
「真っ当だな」
フィンロドはきゅっと眉を寄せた。
「どうしてオロドレスは君を容れるんだろう」
「どうしてクルフィンはお前に容れられるなんて幻想を抱くんだろう」
ぶつけた言葉に、フィンロドは小さく頭を振った。
「お前の愛はここになく、求める愛は手に入らないのに?」
君の言葉は鋭すぎるよ、と従弟は疲れたように言った。
「君は、……手に入らないかもしれない愛を求めることはしない?」
いや、ケレゴルムは真摯に答える。
「手に入らずとも求めてしまうのは恋だ」
沈黙。
ケレゴルムは空の青さを思い出す。目の前の従弟一家が親しんできたのが海であるように、ケレゴルムは大地と空に親しんできた。その広さを駆け回って知った。海のことは知らず、波の音は荒涼たる浜辺で聴いた。
無性に松籟が聞きたくなった。
「お前のとこって、脱皮するだろ」
「…え?」
フィンロドは夢から呼び覚まされたようにこちらを見た。
「脱皮。変わるだろ、劇的に。変容って言えばいいか」
花の開いたようとは言わない。目の前の従弟には似合うだろうが、外見のことではない。ただその心の変化によって、驚くほどに印象が変わる。
最も顕著なのはたぶん恋で、それは伴侶を得たオロドレスに会った時に確信した。
「トゥアゴンはバカだな」
ケレゴルムは笑った。フィンロドが瑠璃の瞳を瞬く。この従弟の脱皮不全は本人すら気づいていないだろう。
「お前の変容を見逃しても良いんだな」
恋でなくても心を定めたなら変容は訪れる。光のようなこの従弟の変容をケレゴルムは見ようとは思わないが、挙げたように違う家の従弟や、もしかしたら弟は見たいのかもしれない。
「麗しの従弟どの、俺と寝てみる?」
「イヤだよ」
「お前、俺には即答するのに」
クルフィンには甘いんだな。
つつくと、フィンロドは愁眉を解かぬまま、少し笑った。
「君はオロドレスの脱皮を見てるの?」
ケレゴルムは記憶の中の松籟を聞いていた。光をざざと返すのは波の色。薄い、青の。
「俺は見たいと思った。それを何と呼ぶのかは知らない」
去っていくフィンロドを見送って、ケレゴルムは夢想する。思い出している。あなたは時々獣の眼で見るね、と囁いた従弟を。
海なら良く知っている。そしてもう、他にはいらない。