けっこん

「フィンロドとけっこんする!!」
 いつも静かな次男がそう激しく言い放った時にフィンゴルフィンは、(来るべき時が来たか…)と遠い眼になった。隣で長男は盛大にむせて咳き込んでいる。
「トゥアゴン、それは…」
 ともかく窘めようと声を掛けると、次男はちいさな身体を精一杯いからせて立ち、こちらを見上げてくる。
「それは、出来ないことだ」
「どうして!」
 重々しく告げると、トゥアゴンはますますいきり立った。
「どうしてけっこんできないとおもうのさ!」
 まるで地団駄を踏みそうな……ふと、違和感に気づいてフィンゴルフィンは内心首を傾げた。
 出来ないということに怒るにしては、少しらしからぬ激昂ではなかろうか。
 咳の止まったフィンゴンは実際に首を傾げた。
 ……と、兄はふくれる弟ににやりと笑った。なあトゥアゴン、
「もしかしておまえ、決闘て言いたいの?」
 ちいさな弟は動きを止めた。口がぱっかりと開く。
 そのままじわじわと顔が赤くなっていくのを父と長男はじっくりと見守った。
 そ、言いかけてトゥアゴンはきゅっと唇を噛んだ。顔がますます赤くなり、俯きそうになって止まる。
「そうだよ!けっとう!!」
 睨みつけてくるのもふんぞり返って宣言するのも何もかも可愛らしかった。フィンゴンは遠慮なく吹き出して、ぽこすかとちいさな拳で殴られた。

「決闘で良かった」
 いや良くない、いや良かった、ぶつぶつと呟くのは弟だ。
 フィナルフィン曰わく、同じ頃フィンロドも同じように言い出して、しかもそれがきらきらな笑顔での発言だった為に修羅場になったらしい。主にフィナルフィンの胸中が。
 決闘というのは弟が解説するに『崖から飛びこみ素潜り対決』であるらしく、アルクウァロンデのテレリ男子には外せない通過儀礼でもあるという。とはいえ勿論ちいさな子がやるには危険すぎる。却下せねばなるまい、とフィンゴルフィンは考えた。
「しかし結婚と決闘とはまるで違うだろうに」
 呟いたと同時に隣に誰かが座る気配。フィンゴルフィンは、ちらりと横を見てぎょっとした。
「同じ場合もあるぞ。特に夜は」
「……あにうえ、その頬の手形って…」
 フェアノールの左頬は指の痕もくっきりとした手の形に腫れていて、どこからどう見ても叩かれた証拠だった。
 あまりにはっきりした痕にフィンゴルフィンは思わず自分の頬に手を当てる。腫れてない。良かった。
「妻からの贈り物だが何か?」
「い、いたい」
 異母兄の発言に、向かいの弟はぱっと両頬を押さえた。
「兄上の所はもう5人もいるでしょうに」
 フィンゴルフィンが呟くと、フェアノールはつい、とこちらを見て、腫れた頬でそれは婉然と笑いかけてきた。
「そうだな、異母弟殿。結婚の意義がそれだけとでも?」
「なっ」
 寝台の上で結婚だか決闘だか良くわからない事態になったひとに言われたくはない。
「それだけじゃないですけど第一義でしょう?」
「そなたはもう少し励め」
「言われなくても仲良しですよ。叩かれないし」
 フィンゴルフィンが唖然としている間に、兄と弟は微妙な会話を繰り広げだした。
「叩かれたが私が勝ったぞ」
「賭けでもしてたんですか?」
 そうだ決闘をやめさせなくては。結婚でも勿論やめさせるが。フィンゴルフィンはどう言えばむくれた次男を宥められるか考える。それにしても結婚と言い出した時には目の前が真っ暗になった。すでに「離れられないふたり」の様相を成してはいたが、そもそも従兄弟であるし、別に制度でわざわざ関係性を決めなくてもずっと一緒にいるだろうし、だいたい今だって始終あちらに入り浸って帰ってこないのでは結婚した日にはどうなることか、………
「フィンロドとトゥアゴンどちらが勝つか賭けるか?」
「決闘なんかさせませんよ!」
「結婚なぞさせるかーッ」
 突然叫んで立ち上がったフィンゴルフィンに兄弟のあっけにとられた視線が突き刺さる。
「フィナルフィン、トゥアゴンは婿にやらんぞ。兄上、フィンゴンもです」
「いや、するのは決闘ですって」
「どういう妄想をしたらそうなる」
 うちの子にはまだ早い、早すぎるとぶつぶつ言いながらうろうろ歩き回るフィンゴルフィンを、フェアノールは少し面白げに眺めた。
「息子でこれなら、娘でも出来たら見ものだな」

 フェアノールやフィンゴルフィンが、その後、妻と結婚だか決闘だか良くわからない事態になったかはそれこそわからないが、フェアノールの次の子は双子の息子たちで、フィンゴルフィンは娘だった。報を聞いて何だか妙な表情で黙った兄をフィナルフィンは見ている。
 あにうえもしかして娘が欲しかったのかな、とフィナルフィンが思ったのはずいぶん後になってからで、フィンゴルフィンが親バカぶりをわかりやすく発揮したのもあの一度だけで、フェアノールが始終上機嫌でいたのもあの日だけだった。

 ちなみにちびっこ達の決闘は、規模をだいぶ小さくして行われた。引き分けだった。
「もういっかい!もういっかいけっとうする!」
「あれ、結婚じゃねえの?」
「け、け、けっとう!」
「トゥアゴンも言い間違えてたのか」
「あ、あにうえのばか!あにうえのばか!!」
「いてててて」
「それよりウニたべよう~?」
 至福の地は今日も平和である。