夏至の日の出来事と夏至祭に関するレポート

序 夏至とは

 夏至。midsummer。我々北半球の住人にとっては「昼が最も長く、夜が最も短い」日のことであります。
 中つ国ではさてどうだか…太陽が出る前はどうだったのか(そしてこの太陽は最初は無かった説は結局没になったのか否か)の問題がありますが、今回のレポートにおいては北半球基準な「昼が最も長く、夜が最も短い」日が夏至であるとしてお届けします。

1、夏至の日の出来事

太陽の第1紀
471年 ニアナイス・アルノイディアドの開戦【シルマリルの物語】

498年 トゥーリンとニエノールの結婚【シルマリルの物語】

510年 ゴンドリンの陥落【HoME2】

太陽の第2紀

870年 アルダリオンとエレンディスの結婚を祝いにアンドゥーニエにエレスセアからエルダールの船が来た日(おそらく)【終わらざりし物語】

太陽の第3紀
2941年 エレボール遠征、トーリンの一行、裂け谷を出発【ホビット】

2980年 アラゴルンとアルウェンの婚約【指輪物語 追補編】

3019年 アラゴルンとアルウェンの結婚【指輪物語 王の帰還】

3020年 フロド、庄長助役職を辞す。(庄長には小足家のウィルが復職)【指輪物語 王の帰還】

3082年 サムワイズ殿の妻ローズ夫人死去(第4紀62年)【指輪物語 追補編】

2、はじまりの日
 ざざっとくくって9個くらい大きな出来事があるわけですが、その中で「はじまりの日」と呼べるのがいくつかあるかと思います。

(1)ホビット庄の庄長選出について
 ホビット庄の庄長は、夏至当日であるライズの日、白が丘連丘で行われる自由市にて選挙されると決まっています。
 3019年、ホビット庄の掃討を終えたフロドは、閉じ込められていたウィル老が健康を回復するまで「庄長助役」の地位につきます。で、3020年、ウィル老は復職。フロドは助役から降ります。
 そして3021年、フロドは灰色港から旅立ちます。
 さて3082年にはロージー、サムワイズ殿の妻ローズ夫人が亡くなり、サムワイズ殿はその年の9月22日に灰色港から旅立つわけですが、それまでに7回、庄長職についています。
 庄長の任期は7年。ウィル老は3020年復職から任期開始と数え始めて3027年、サムワイズ殿は初めて庄長になります。そこから3034年、3041年、3048年、3055年、3062年、3069年と庄長になり、3076年は高齢のためおそらく辞し、その次の3083年の前に旅立つ…と。
 ホビット庄における役割を置いて、旅立つ準備を始めるにはふさわしい区切りの日なのかな?と思います。

(2)ニアナイス・アルノイディアドの開戦
 さて、出来事を眺めるとちょっとばかり浮いているニアナイスの開戦日。
 周知の通り(そしてこんな合戦名が付いている通り)悲劇的な結果に終わるニアナイスですが、なぜ夏至の日に始まったのか?
 ベレリアンド戦役において、モルゴスから仕掛けていない大きな合戦はこれだけだからです。
 最初の戦いはモルゴスが中つ国に戻って来て仕掛けたもの。
 ダゴール・ヌイン・ギリアスはフェアノール一党の中つ国帰還を受けて。
 ダゴール・アグラレブ、ダゴール・ブラゴルラハ、すべてモルゴスから仕掛けた戦いです。
 ですが、ニアナイス・アルノイディアドだけはエルダールから仕掛けた戦いなのです。
 ベレンとルシアンの勲を受けてマエズロスが連合を提唱、モルゴスを挟撃するべく選んだ開戦の日が「夏至の日」。
 太陽が最も長く輝く日です。
 勝利のイメージで選んだ開戦日なのが良くわかります…。

3、慶事
 わかりやすい慶事も何度かあるのが夏至の日。結末はどうあれ、結婚なんて特におめでたい日ですね。日本で言う大安吉日みたいなイメージがあるんでしょうか、夏至。

(1)アルダリオンとエレンディスの祝いは夏至かどうか?
 「おそらく」と付け加えた通り、「終わらざりし物語」に載っている「アルダリオンとエレンディスの結婚を祝いにアンドゥーニエにエレスセアからエルダールの船が来た日」は特に夏至だとは明記されていません。
 ですが、アンドゥーニエにアルダリオンとエレンディスが着いたのは「夏至の前」と書かれ、「祝いの日の朝」エルダールの船を目にするわけですから…これは夏至ととらえても良いのではないかな、と思われます。

(2)前夜の到着
 夏至も大事ですが夏至前夜も相当に大事にしているんだなと分かるのはアラゴルンとアルウェンの結婚のくだりです。
 アルウェンの一行がゴンドールに着くのが夏至前夜。宵のはじめです。
 フロドの「今ではもう昼だけが愛されるのではなく、夜もまた清められて美しく、夜の恐怖もことごとく消滅するのですね!」の台詞が響くところ。

4、夏至祭
 夏至前夜に言及したところで、中つ国において夏至祭がおこなわれている記述を拾ってみました。

(1)ヌメノールのエルライタレ
 ヌメノールでは王がメネルタルマにてイルーヴァタールを賞賛する日があります。
 Erulaitale(eにはウムラウト) エルライタレ エル礼讃祭
 夏至の当日です。他「春の最初の日」「秋の終わりの日」にも同じく祭祀がありますが、どれも同じく「メネルタルマ」にて「言葉を口にする日」です。
 メネルタルマでは通常沈黙が守られ、ただ祭祀の日に王が言葉を発する、との記述があります。
 白い服と花飾りを身につけ、大群衆を従えて「沈黙のうちに」山を登る…と。

(2)裂け谷にて
 「ホビット」においてトーリン御一行が裂け谷を出発したのがまさに夏至の日。
 エレボールの地図の「夏至前夜に書かれた月光文字」を読んで次の日に出発ですね。
 旅の計画を練り直し、アドバイスを貰い、夏至前夜に「よし、明日の朝出発だ!」てなことになったと書かれています。月光文字が読めたのは幸運だったわけで…。
 「ホビット」の邦訳は底本が2つありますが、岩波書店訳の1951年発行第2版も、原書房訳の1988年注釈版もここの夏至出発は変わりません。
 トーリン御一行は裂け谷について、14日間くらい滞在、夏至祭(前夜から)を見物して、夏至の朝旅立ちます。
 裂け谷の夏至祭について詳しい描写はありませんが、月光文字を読んでから「エルフ達の歌と踊りを見物して」とのことですので、夏至前夜から開かれていたもののようです。

(3)ゴンドリン
 「ゴンドリンの陥落」においてモルゴスが攻めてきたのはTarnin Austa【The Gates of Summer】夏の門、の祭の日。夏至前夜から夏至当日にかけての祭の最初の頃です。
 この「夏の門」の祭が夏至であるか否かは明記されていないので議論の対象な気がしますが、HoMEのゴンドリンの陥落該当部分のNOTEにmidsummerとmidwinterの真逆な記述が伺えます。
 ゴンドリンの陥落を束教授は何回か書きなおしてるのですが、A稿が鉛筆の下書、B稿が清書、C稿がタイプ打ちのものであるらしく、そのA稿でmidwinter…つまり真冬だったのを、B稿で夏に改めてるらしいのですね。
 それに伴って、脱出してから(グロールフィンデルがバルログと相討ちになってから)シリオン川に辿りつくまでの時間を半年→1年に変更しています。
 せっかく夏にしたし、お祭りなのなら夏至がふさわしいな、と思えるような…
 それにヨーロッパでは確か、夏至祭は「夏の始まり」として祝うものだったはず。ていうか日本語「夏至」も「夏至る」でここから夏の始まりですね。なら「夏の門」はやはり夏至で良いのではないかしら。そんなことを思います。

 でも、なんで夏至祭の最中にしたのかしら(ニアナイスの時はそもそもエルダール側が「有利」という理由で開戦日に選ぶくらい)とは引っかかりますが、この「夏の門」の祭りの作法、前夜の真夜中に儀式が始まり、夜明けまで「沈黙を守り」、曙光と同時に歌い出す…そんなものであるらしく。
 沈黙を守らなければならないなら段取りその他はものすごくかっちり決まっていたのではないかと推測されます。ただでさえ決めごとの多い(イメージがある)ゴンドリン…。たぶんきっちり決まっていればいるほど、警備の場所等が読みやすく、マイグリンが手引きしやすかったのではないかな、などと思えてくるところ。
 真夜中の儀式前、日が沈んだらさっそく攻めてきてますがね…。

結、夏至祭はゴンドリン発祥?

 ざっくり夏至の出来事を追ってみましたが「夏の門」の祭を夏至祭と解釈すると、ヌメノールの夏至祭、裂け谷の夏至祭とも、微妙に共通点が浮かびあがってきます。
 前夜から当日にかけて行われる祭。儀式の際には「沈黙を守る」。
 このふたつ、どちらもゴンドリンの「夏の門」の祭の変形ではないかしら。
 裂け谷の主はエルロンドだし、ヌメノールはエルロスが初代王だし。
 ゴンドリン生まれのエアレンディルの息子ふたりが祖である場所で、夏至祭が引き継がれているのかと思うと、なんだか納得がいくような気がするのでした。