大事に大事にしている「鉢植えの花」の前でうとうとしていた顧問長を見かけたのは午後のことだった。
であるからして、宵の口にエルロンドがエレストールを訪ねたのは必然と言えよう。
館の主を自室に迎え入れて、エレストールはくすりと笑みをもらした。
「あなたの方が休息の要りそうな顔をしていますよ」
「……そうか」
「ええ。まあ」
お互い様ですね、囁くと、エレストールはまるで踊りに誘うように軽やかにエルロンドの手を引いた。
「では今宵は私に卿をひとりじめさせて貰いましょう」
導かれたのは寝台だったが、様子が常とは違っていた。薄い掛布が幾重にも渦を巻くように重ねられたそこは、鳥の巣によく似ていた。
あ、と声が出る。見覚えがある。
「みなしごの巣へようこそ」
かつてそう言ったのはエレストールではなかった。
「リンドンの頃のようだな」
「懐かしいでしょう。……そんな気分だったんです。今日は」
エルロンドを“巣”へ招き入れながらエレストールはとろけそうに遠い目をする。
「唄ってくれますか?」
え、と固まったエルロンドの傍らにエレストールはころりと転がってみせた。
「子守歌を」
寝転んだそこから見上げてくる眼差しは悪戯をもくろむこどものようで。
見たこともないその表情に、思い出されたのは遠い記憶だ。
おやすみなさい
私の愛しいこどもたち
月と陽と星の光
夜に安らいで
空と海の輝き
大地のぬくもりを感じて
幸いに抱かれて
唄いながら次に浮かび上がったのは、子守歌を聞き覚えた記憶ではなかった。同じ旋律のうたの記憶だ。
唄うのは、養い親の伶人のもの。けれど今心にたち現れたのは、そう、この顧問長の唄うそれではなかったか?
問うと、エレストールはくすくす笑いながらエルロンドをぐいと引いた。巣の中にふたりして納まっている。
“巣”の中では、ふたりは等しくみなしごだ。
おやすみ
私のこども
愛しい宝物
しろがねにこがね
光る時に安らいで
果たしてエレストールが唄い出したのは違う言葉を紡ぐもので。
続けられた詞にエルロンドは胸を騒がせる。
深い闇をみなければ
遠い海を渡らなければ
星のもとへはゆけない
「……元は恋歌、だったそうですよ」
まるでかつて最後の上級王を見つめていたような眼差しで、エレストールはエルロンドの髪を撫ぜる。
「最も、あのひとも伝聞でしたけれど。あなたもそうでしょう。かの伶人殿はそうは言いませんでしたか」
エルロンドは答えなかった。耳に残る歌声は、もうひとりの養い親のものだろうか。それとも、エレストールの友にして主君のギル=ガラドのものか。
エレストールのひやりとした手が瞼に触れて、エルロンドは目を閉じた。
遠い記憶か、それとも現か、せつないうたが聞こえる。
怖い夢をみなければ
暗い森を通らなければ
君のもとへはゆけない
額への口づけ、みなしごたちの休息。
だが怖い夢はみなかった。
あくる朝、顧問長はたいそうすました顔で現れ、エルロンドも神妙な顔で迎えた。
目が合って、お互い浮かべた微笑みは追憶の名残のようなもので。
次の瞬間にはふたりとも、美しい今と輝く未来を見つめているのだった。