アマンのノルドールを治める上級王である父が、たいそう大事にしている本がある。
本とは言うが実のところ、見た目はただの紙束だ。何度も開かれ閉じられ、書きこんだりしたのだろうそれは、年数に応じた古び方をしていたが、穴が開いてぼろぼろというわけではなかった。
「はは、まあ、重要書類なんだけどね」
のんきな声で言うと、今日も父はそれを広げる。
初めの頁を開き、そこに書かれた文章を撫でて、ほんのりとした笑みを浮かべる。
それから頁を繰って行き、目的のところを探して猛然と仕事にかかる。
事例集のようなものだという。
見るなと言われたわけではないが、中を見たことは一度もない。
皆には「王の御守り」で通っている。
御守りを暴いたらいけないような気がしてならない。
という話をマエズロスにしたら、赤毛の従兄は今まで聞いたこともないような声で「はあ?」と言った。
「それでお前は中を見てないのか?こんなに時間があったのに?」
「うん、……なんだか見る気にならなくて」
「見れば良かったのに。本当に事例集だぞ。おじいさまの政治の」
「それは知ってる」
『御守り』と呼ばれるのはフィナルフィンが「私これが無いと王やってける自信なんかこれっぱかしもあったもんじゃないね!」と言いふらすからだ。父上、色々ぶっちゃけましたね。
「でも父上にとって『御守り』なのって、事例のところじゃないでしょう」
マエズロスは視線を落として件の『御守り』を手に取った。
「フィンロド」
「うん」
「あいつ、何て?」
目線を合わせない従兄に微笑む。
「何も」
マエズロスは深い溜息をついた。
父とマエズロスは幼なじみでとても仲が良い。以前は隠していたようなその仲の良さを、今はもうふたりとも隠さない。
「『御守り』っていつも言っているけど。宝物だよ。ほんとのところ。そういう感じで、大事にしてる」
何かを言葉にしたわけではないが、見ていればわかる。時々凄い勢いで最後の頁を開いて、顔を埋めて唸るのもその一環だと思っている。
告げるとマエズロスは「あンの…っ」と唸り、苦いような照れ臭い表情を見せた。
それから近寄って来ると最初の頁を開いて見せて来た。
―――碌でもない事態に陥ってこれを開いてる君へ――
文言に笑みが零れそうになる。
「…………あなたの手蹟に似てるね」
見なれたものとは少し違う筆跡に言うと、マエズロスは肩をすくめた。
「ああ。正真正銘私の字だとも。右手のな」
「ああ!右手の」
「そうだ。右手の」
言い合って、目が合う。と同時にお互い吹き出した。
「まさか、本当にとんでもない事態で読まれるとは思っていなかったんだがな」
懐かしそうな目で「右手で」文字を撫でると、マエズロスは『御守り』を渡して来た。
「私はちょっと用が出来たから。中を読んでみると良い」
「最後の頁には何を書いたの?」
受け取って尋ねると、マエズロスはやんわりと笑った。
「『君の治世に幸あれ』と」