食事

 らららーらー♪
 らーららららー♪

 いたって呑気な声音で紡がれる唄が聞こえてきたのは会議から何度目かの朝が過ぎた頃のことだ。
 裂け谷は時の止まったような秋の気配に包まれているが、無論のこと陽はめぐり月が照らし、日々は確実に過ぎてゆく。
 太陽昇ればお腹も空く。

 じゃがじゃがじゃが~
 じゃっがっいっも♪

 外から聞こえる唄は軽やかに部屋に近づく。隣の部屋で気配が動き、唄が止まる。
 ついで何事か会話が聞こえ、ふわりと鼻をくすぐる匂いに、フロドは少し微笑む。

 焼きじゃが 茹でじゃが 潰しじゃが~♪
 揚げじゃが 煮じゃが 炒めじゃが~♪

 呑気な歌声が遠ざかると同時に、サムがなんだか妙な表情で入ってきたので、フロドはますます笑みを深くする。
「ご機嫌なようだね」
「……あのお人はたぶん、いつもご機嫌だと思いますだ」
 複雑な声で答えると、サムはフロドの前に温かな食事を並べていく。フロドはシチューを覗き込み、顔を見せている芋をつん、とつついた。
「良いお弟子様だね?」
「妙なお方ですだよ、まったく」
 サムは口を曲げたが、それでも喜色が滲んでいるようにフロドには感じられた。
「さあ、お前が教えた心尽くしだ。頂こうか」
「はい。フロドの旦那」

 サムワイズ殿ですね!お会いしたかったんです!!
 呑気な歌声の主はそう叫んでサムの手をがっしと握りしめたらしい。妙な顔をして語ったサムの話を繋ぎ合わせるにそういうことになる。
 フロドがなかなか目覚めないものだから、心配で居ても立ってもいられなくなったサムは「裂け谷の台所」を捜しに出かけた。いくらエルフが雲か霞を食んでいるような顔をしているとは言っても、サムのように裂け谷を訪れる客人は少なくはない。ビルボ大旦那もいらっしゃるし、その昔の冒険の時だって大食漢のドワーフを13人ももてなしたではないか?
 フロドの旦那が目覚めた時に、消化が良くて滋養のあるスープか何かをお出しすることはできるだか…
 そんなことを考えながら見つけだした厨房に、いたのが彼、呑気なじゃがいもの唄の作り手だった。
 そのままサムは厨房でもてなされ、フロドへの特製メニューを協議し、最終的には木の実の焼菓子を両手に山盛り持ってそこを出た。
 最初はそんなものだった。
 ほどなくサムからメリーとピピンへ厨房の場所は伝わり、3人で繁々と通うことになった。
 ホビット達はいつだって彼に大歓迎されたし、目覚めたフロドは美味しいスープを飲んで会議に臨めた。
 彼は料理人である。エルフ達は「みくりやさん」と気軽に呼びかけている。
 けっこうお爺ちゃんなんです。と真面目に言う彼はエルフらしく年が感じられず、だが極端なことを言えば重々しさもなかった。若者ではないのだろうが、例えばエルロンドの持つ深みやはっとする叡智、それによる恐ろしいほどの目の光は彼からは伝わらず、つまりはたいそう気安かった。
 気安さのあまり主にピピンは少々礼を欠くと見られる振る舞いもあったようで、厳格な顧問長がトゥックの坊ちゃんを捕まえたのはさほど日をおかないでのことだった。
 エレストールは「みくりやさんを怒らせるとおやつ抜きになりますよ」とホビットにとっての死活問題を断言し、エルロンドも苦笑しながら間違いないと同意したので、ピピンはすっかり震え上がり、何日かはおとなしかった。
 料理人の彼からしたらホビットの食べっぷりは歓迎こそすれ厭うものではひとつもなかったのだが。

 食べられる時に食べるのは実に良いことです。温かければなお良い。
 サムワイズ殿、良い道具ですね。あなたと主人を守り、支える、いのちを作る道具です。
 旅は、私にとっては遠い思い出になりました。どうかつつがなく行かれませ!
 帰って来たその時には白芋の御礼に、甘芋をごちそうさせて下さいね。

「じゃががあればなあ」
 ぽつりと呟いたサムは、もう随分と遠い事のように裂け谷のことを思い出す。
 少しのどかなように思える陽光は料理人の彼の明るさを蘇らせた。
「食べられる時に食べる。それだ」
 サムは頷き、シチューをくるりと掻き回す。
 香草の香りがふわりと立ち上った。呑気な歌声が聞こえたような気がした。