ケレブリンボールの不作法な手出しとエレイニオンの異常な寛容

『ちょっと待って』と3度目に言われた時にケレブリンボールは待つのをやめた。
 瑞々しい果実を携えて傍らに寄っても、ハトコどのは手元の書類に夢中でこちらを見もしなかった。
 赤い果実をつるんとひとつ飲みこんで、戯れにエレイニオンの口元に差し出せば、彼は見もしないで果実をぱくりと食んだ。
「―――っ」
 ケレブリンボールは暫し硬直した。エレイニオンはそんな様子には気づきもせず、果実を飲んでふう、と小さく息をついた。少し覗いた舌が唇を舐める。
 ケレブリンボールは水色の眼を瞬かせる。疼くように目覚めた好奇心に後を押され、もうひとつ果実を差し出した。
 エレイニオンの瞳はとても変わった色をしている。海辺の岩にしがみつくように咲く菫の色だと本人は言うが、陽の遠ざかるころの夜の帳の端を刷いた夕べの空や、暁のふわりと浮かぶような澄んだ空の色を思い出すものの方が多いだろう。その赤みを帯びた紫が、こうして考え込んでいる時や、落ち着いている時は青みを強くする。
 その、好きな色を見ていながら今は別のものに気を取られている。赤い果実ほど赤くはなく、しかし何か目を引く、……
 何度めだったか、差し出した果実と一緒にエレイニオンはケレブリンボールの指を噛んだ。
 彼の手から音をたてて書類が落ちて、驚いた顔がこちらを向いた。
 エレイニオンは片手で自分の口元を押さえ、急いで果実を飲みこんだ。
「ごめ、ンッ」
 言葉はひきつれて終わった。ケレブリンボールが彼の口に指を突っ込んだからだ。
 驚いて閉じようとした唇は一瞬ケレブリンボールの指を食み、困ったように開かれる。縮こまる舌を撫でるとわななきが分かる。逃げる舌を摘むと、息まで縮んで喉の奥がひう、と鳴った。膝に下ろされていた片手がぎゅうと自らの服を握りしめた。
 舌を掴む。少し引くと、困惑したように揺れる眼でこちらを見る。ケレブリンボールは至って上機嫌に微笑むと、そのまま掴んだ舌を引きずり出す。
 エレイニオンは怯えた色を瞳に過ぎらせて、ひとつ大きく瞬いた。早くなった息づかいを震える舌を掴む指に感じる。
 やわやわと、ざらついた舌の表面を指で撫でると、エレイニオンは掴まれた舌を見るように目線を下に落とし、それから懇願するようにケレブリンボールを見上げてきた。握りしめていないもう片方の手がためらうように伸ばされるのをケレブリンボールは掴んで押さえた。
 溢れた唾液が下唇と指を伝ってぽたりと滴を垂らす。エレイニオンが肩を震わせる。見えない下をちらりと見てまた上がる瞳の色は、少し青が濃く、困惑に満ちている。
 余った指でしとどに濡れた下唇を撫でる。乾いた上唇を震わせて、エレイニオンは血の気の引いた顔で唸った。また滴が散った。
 舌を伝うようにケレブリンボールが指を進めると、今度こそはっきりと眉根を寄せて、荒れた息で喉を鳴らした。掴んだ手が上がるのを感じて、ケレブリンボールは名残惜しげに彼の舌から指を放した。
「な、――」
 ようやくあえぐように声を発したエレイニオンは、光るように滴が落ち、自らの口とケレブリンボールの指を繋いだのを見て息を飲む。まるで白い顔の中、瞳が一瞬にして赤みを帯びる。
「ごめんっ」
 慌てて袖で指をぬぐってくるのを、ケレブリンボールはいっそきょとんとして見返した。エレイニオンは今さら気づいたように自分の口元もぬぐうと、次いで頬に血の色をのぼらせた。
 椅子を蹴立てて立ち上がり、常ならぬ騒々しさで部屋を出ていく。
「…………」
 ケレブリンボールはぬぐわれた指を見た。それからすこし口をとがらせると、残った果実をつまんで食べた。
 飲みこんで、自分の指を食んでみる。もちろん何も愉しくなどなかった。