ヴァリノールの夕暮れは太陽が最も近い。乙女アリエンの行く先は更に更に遠くの涯で、遠く、遠く、去りゆく間際の金色の光、それは確かに二つの木の輝きよりも重いものだ。
そんな、なんだか少し物悲しいような気がする夕暮れに、何かきらきらしたものが視界を掠めた。
マグロールは立ち止まり、打ち寄せる暗い波の端、象牙色の粒の広がる砂浜で“みずたまり”を見つけた。
きらきら、きらきら、赤みのヴェールを投げて遠ざかる金色の光の中、とろけた黄金のような色をして、みずたまりは動かない。
呼びかけようとして、思った。滅多にない、一度もない、水の王は動かない。
――こちらに気づいていないのだろうか。
気配も足音も息も殺して忍び寄る。ちょうど夕日はウルモの向こうで、影がざわめく心配もない。
途中で砂にまみれた木の枝を拾う。
背後(ということに便宜上しておく。不定形流動体のどこに目があるのかは分からない)に立っても水の王は変わらず蜜色をしたままだ。
マグロールはそっと腕を伸ばし、持った木の枝を延ばす。
つん、とあと一押しすれば届くところ、砂地に触れた木の枝で、そっと線を引く。さりさりさり、みずたまりはやはり動かない。
さりさり、さりさり、寄せては返す波の音に乗せて、息を潜めて、枝が地を辿る。
遠ざかる金の光は岸辺を同じ蜜色に染める。波頭を染めてもなお暗い波の向こうに、太陽はじわりと遠ざかる。マグロールもじわりと枝を進める。
砂に描いた線はくるりと水の王を一周し、今にも円の中に閉じこめようとしていた――いっそう深い金の光が波の遠くにふと消え、名残の蜜色を拭うように淡い青が打ち寄せる――マグロールは最後の線を引く。
その瞬間、蜜色をさざなみで追いやったみずたまりは砂に引かれた円を逃れた。
マグロールは笑う。
追いかけ、さりさりさり、砂地に線を描く。水の王も負けてはいない。するりと伸びた流動体がマグロールの足元を水の線で囲んでいく。きゃあ!こどものような歓声をあげてマグロールは水の線を砂で打ち消す。そしてまた枝を伸ばし、さりり、線は描かれる。
すっかり淡い青色に沈んだ浜辺で、どれくらいそんなことをしていたのか、やがてふたりは座りこむ。砂の線と水の線は重なっている。
マグロールは枝を投げ捨て、水の王に身を預ける。
涯の浜辺の夜は暗い。包むように広がった流動体の中、あぶくの如ききらめきが浮かび、消えた。