波恋い

「海に行きた―――――い!!!!」
 と叫んでエアレンディルは甲板を蹴り、波間に飛び込んだ。船からはどっと笑い声が上がった。船長今いるここは何なんですかぁ、と間延びした声がかけられる。
「海だな!間違いないな!しょっぱい!!」
 顔を出して叫び返すと、また歓声が返って来た。それに手を振ると、エアレンディルは波の下へ潜る。
 もう日暮れも近いので、水はだいぶ冷たくなっている。光も少ないからたゆたう水景はすぐに色を濃くして、だんだんと夜を足元から這いあがらせる。
 いちめん青い世界に漂っていると、自分のちっぽけさが良くわかるのだ。
 ちっぽけな自分が、求めるものがはっきりする。何もかも抱きしめるように包まれて、憧れだけが真っ直ぐに見える。
 そういう時間が必要なのだと分かっていた。誰かを率いて、何かを担って進む時には、迷いも躊躇いも飲みこんで行かねばならないのだから。
 水面に浮かび上がる。西に向かう太陽が、赤く目を灼く。

 海に行きたい。
 天つ海でそんなことを思っても、ここでは飛び込むわけにもいかない。
 いろいろ考えるでしょう、と太陽のマイアに微笑まれたのはいつだったろうか。
 ヴィンギロトは隅から隅までまばゆい火に満ちていて、眩しすぎる。眩しすぎるのだ。海にいるように全くひとりぼっちなのに。
 ちっぽけな自分も変わりはしないのに。
 いちめん眩しい世界では、何もかもがくらんでしまって、求めるものも見えない。
 時間が使い尽くせぬほどあっても、お役目を忘れはしなくても、何か、今は、飲みくだせない。
 見据える先には夜が広がっているのに、くらんだ目を慰めようとはしない。

 空をゆく船で波を恋しがるのは何故だろう。この満天下で。海を漂いたがるのは。
「海に行きたい、な」
 エアレンディルは海の味を思い出している。指で拭ったその滴と、同じだったような気がしている。