天下夢上

   Ⅰ

「にーうぇ、せなか、ねー!」
「ねー!」
 にこにこと楽しそうに飛びついてきた双子は、マエズロスに纏わりつきながらそう言った。
「背中…?」
「せなかー、ひらひらー!」
「ひらひらー!ねー!」
 きゃーとか言いながら双子が去っていくと、フィンゴンはちょいとマエズロスの後ろに回って、彼の背中を覗き込んだ。
「紙が」
「え?」
 フィンゴンがマエズロスの髪を持ち上げると、すかさずカランシアがぺりっとそれを背中からはがした。
「兄上、これです」
 そう言って、何かが書かれた紙を手渡す。
 マエズロスはその紙をとくと眺めた――かと思うと、突然ぐしゃっ!と紙を握りつぶし、王宮の廊下にばしっ!と叩き捨てると、走っているといった方がいいようなスピードで去っていった。背中に怒りが渦巻いていた。
「……………」
「………」
 残されたフィンゴンとカランシアは、ぐしゃぐしゃになって捨てられている紙を拾い上げた。広げてみれば、そこには文字がつづられていた――たった2行。

 呼ぶ声に応え返らず天の下降りし雫に心の乱れ
 君や来ぬただよい沈む我が身ゆえ泥河の心ぞ夢の上なる

   Ⅱ

 すぐに水が無くなる、というか水が流れていない川は川と言えるのだろうか。ウルモさまに訊いてみる?などと彼は考えた。
 流れるのは泥。むしろ湿地。だって川というには川幅が大きすぎる。
 川べりの草をぶちぶちむしりながら彼は考えた。どうかな、気づいたかな、通じたかな?
 ここはティリオンからそう離れているわけでもない。
 来るならそろそろかな、彼はむしった草を放り投げる。ヤヴァンナに怒られても仕方の無い所業だが、幸いにも彼の馬がむしられた草を片づけた。
 ぱたっと後ろに倒れて彼は空を見た。長い金髪が草に広がる。背中に大地の感触が気持ち良い。空には金の光が満ちていて、ふわぁとあくびをひとつ、――と、軽い地響きと聞こえた声に起き上がる。
 草原の遠くから馬に乗って、赤毛の甥が駆けてくる。
「おーい、夢の上―――♪」
 立ち上がって手をぶんぶん振った。
 マエズロスは物凄い勢いで駆けてきた。久しく見ていなかった満面の笑みをたたえて――
「天の下ぁぁぁあああああっ!!」
「わぁ―――!?」
 そして突っ込んできて飛び蹴りをくらわした。のを必死で彼はよけた。
「ちっ…。…おや、これはこれはフィナルフィン叔父上。ご機嫌うるわしいようでまことに結構なことでございますね」
「いや舌打ちした時点で無意味だから」
 ひらりと降り立って、確かに小さく舌打ちした甥は、他に誰もいないのに公式スマイルで話しかけてきた。
 ……うわぁすっごい怒ってる。フィナルフィンはへらっと笑った。
「なんか怒ってるみたいだけど、私の恋文が通じたようでふぎゃっ!?」
 嬉しいよ、と言おうとした口は、マエズロスの手でつねられて悲鳴をあげる。
「へえ。そう。恋文」
 えらく低い声でマエズロスは言った。
「恋文な時点で相当間違ってるけどそうか手紙を人の背中に貼るのが最近の流行なわけかそれは寡聞にして知りませんで申し訳ございませんでしたねそれとも海の都の流行ですかエアルウェンに聞いてみましょうかぁ~?」
 ぎゅぅうぅ――、とマエズロスはフィナルフィンの頬を引っ張った。
「ひ、ひらひはらひへ」
「………」
 しばしの沈黙。……マエズロスは手を離して、うずくまって、大地に手をついた。
「……いたい…」
 マエズロスは手をついたまま肩を小刻みに揺らしている。フィナルフィンは両手で自分の頬をさすると、もう一度痛い、と言った。
「………へ、変…っ、すっごい変な顔っ」
 ぷ、く、く、とこらえきれない笑い声が聞こえる。フィナルフィンはぼやく。
「痛いよマエズロス…」
「僕、はっ、腹がいた、いよっ」
 頬を押さえて涙目で見下ろすフィナルフィンと、地面にうずくまってこちらも涙目で笑い転げるマエズロス。貴重な光景と言いたいが、これが日常だった時期があるのだった。確かに。
 ぶすっとふくれてフィナルフィンは川べりに近づいた。泥を丸めて泥玉を持ち――投げる!
「笑いすぎだ―――っ!!」
 べちゃ。
 マエズロスはぴたりと笑いをおさめた。
 首の辺りをぬぐって、手に付いた泥を眺めた。
「……いきなり泥玉、なわけ」
「さっきいきなり飛び蹴りしてきたのはどこの誰だっけ」
 マエズロスは立ち上がると、豪快に泥河に一歩踏み込んだ。
「毒食らわば皿まで――ッ!」
「絶対意味違うよそれっ!?」
 ひゅー、べちゃ。
 フィナルフィンは自分のツッコミ体質を軽く呪った。マエズロスの狙いは正確だった。
 ぺしぺしと胸の辺りをはたくと、フィナルフィンも泥河に踏み込む。こうなったらもうヤケである。
 一触即発。双方、臨戦態勢を整える。先に行動に出たのは――マエズロスだった。
「…どう考えたってあの呼び出し方はおかしいだろ!」
 ひゅ~、べちゃ。命中したかしないかぐらいの時に、フィナルフィンも泥玉を投げ返す。
「んなこと言っても普通に呼んだら来ないくせに!」
「行かなくないだろ!どうして恋文なんだよ!!」
「恋文だったら来たじゃないか!」
「恋文じゃなかったら…もっと穏やかに来たわボケ――!!」
 王宮ではまず出さないような大声で、口ゲンカと同時に泥を投げる。叫ぶあまりに避けそこねる。というより、避ける気もないらしい。何せ“毒食らわば皿まで”――
 ―――かくして、ちょっとの間に泥だらけエルフがふたり出来上がった。
 服はもちろんのこと、一番悲惨なのはおそらく髪だった。ふたりとも長かった。…今やすっかり泥まだらである。
 泥のかたまりのようになってきても、一旦ヒートアップしたふたりは、ちっとも治まりゃしなかった。お互いの距離もどんどん縮まり、事態は取っ組み合いの方向へ転がっていった。
 ……がし。両者、胸倉を掴みあって、さて開戦合図にどんな悪口雑言を言ってやろうかと口を開いた――その時。
 ばっしゃあぁぁあん。
 豪快な音と共に水がふたりの頭上から降り注ぐ。
 半端に落ちた顔の泥もそのままに、まだ胸倉を掴みあったまま、フィナルフィンとマエズロスはその方向を見た。そしてふたりして叫んだ。
「「アナイレ!!」」

   Ⅲ

 今日も今日とてアナイレは、大好きで大好きでしょうがない義妹エアルウェンと大っぴらな密会の真っ最中だった。本当ならばネアダネルも誘いたかったところなのだが、アナイレが発見した時、彼女はまだまだ手のかかる双子と、それ以上にある意味では手のかかる夫と共にいたので、声をかけられなかったのだ。
 さて、アナイレが王宮の廊下をエアルウェンと笑いさざめきながら進んでいくと――隅っこで額をつきあわせて何やらブツブツやっている息子と甥を発見した。
「あ。母上」
 フィンゴンが先に気づいて振り返る。カランシアは軽く会釈し、一歩ひいた。
「何を見ているの?」
「うん、マエズロスの背中に貼ってあったやつ」
「…?」
 フィンゴンが差し出してきた紙を覗き込む。
「「あら」」
 王家の妻たちは揃って声をあげた。
「マエズロス殿はさぞや怒ったでしょうね」
 エアルウェンがくすくすと笑う。
「……物凄く怒って飛び出していったのですが、何かご存知ですか叔母上」
 カランシアが訝しげに問う。アナイレとエアルウェンは顔を見合わせて笑った。
「フィンゴン、あたくしに教えて頂戴?この歌は何の歌」
「えーと…恋歌」
「そうよ。意味は?まず…こちらの」
「え、えっと…。天の下――で…」
 母に問われてしどろもどろになるフィンゴンに、カランシアがはぁ、と溜息をつく。
「“天の下にあって、私は貴方を呼んでいます。けれども返事はない。降り注ぐ光の雫に時が過ぎ行くのを感じ、心は千々に乱れるばかり”――でしょう」
 すらすらと唱えられた解釈に、エアルウェンは「まあ」と声をあげ、アナイレは微笑んで言った。
「勉強して頂戴ね、フィンゴン」
「……ハイ」
「こちらは、どのような意味?」
 母子攻防をそっちのけでエアルウェンは続けてカランシアに訊く。
「えー…“貴方は来ない。貴方を待ち泥河にただよい沈んでしまった私のこの身であるのに、心だけは夢の上にあります”」
「――見事な恋歌だこと」
 言われて、カランシアは小さく唸る。解釈を告げただけなのだが、どうにも恋の歌というのはむず痒い。
「確かに、おもう歌だわ。だから作者に抗議しに行ったのよ」
「でも母上、その作者って――」
 問いかけたフィンゴンを遮るように、アナイレはエアルウェンに向き直る。
「エアルウェン、連れて行っていただきたいところがあるの。お願いしてもいいかしら?」
「ええ、多分わたくしの行きたいところも同じ」
 そのまま、潮の引くようにさぁあっと行ってしまう。残された黒髪のふたりは、無言で顔を見合わせた。なんだか今日は、置いて行かれてばかりのような気がする。

   Ⅳ

 王宮を、厩へ向いながらエアルウェンはふふ、と笑った。
「それにしても、殿ったら、なんて恋文! “裏”はそりゃあ素直だったけれど」
「フィナルフィンは昔からマエズロスを怒らす名人だったもの。今頃大いに取っ組み合いでもしてるのじゃないかしら?」
「それは大変」
 馬に一緒に乗って、義妹の前で、アナイレは遠くを見る。――恋文を、歌を書いたフィナルフィンの気持ちを考える。

 フィナルフィンとマエズロスとアナイレは幼なじみである。そりゃもう仲が良いんだか悪いんだか絶妙な仲の良さで、今だって、周囲にひとの目がなければ、子どもの時と変わらない口調になる。
 “天の下”たる私が呼んでるのに、君ったらちっとも返事しないんだもん。どれだけ時間が経ったと思ってるの?悲しいよ。
 泥河で待ってるからね。来ないと拗ねるからね。――“夢の上”へ。
 “天の下”も“夢の上”も、子ども時代に3人で考えた秘密のあだ名だった。周囲のひとに色々あだ名を付けて、それでこっそり会話をしたり、手紙を送ったり。でも、そう、3人とも大人になって、立場もどんどん変わって…
 フィナルフィン、とうとうキレちゃったわね。アナイレは思う。
 それは、次第に立場に縛られていくマエズロスに対してかもしれないし、…そうさせる一環になってしまっている自分にかもしれなかった。
 彼は多分、不安になったのだ。変わってしまうことに。終わりが考え付かないほど永い時の中で、変わらずにいるのはおそらく、難しいことだと思う、けれど…――それとも不安なのはあたくしかしら。アナイレは苦く笑う。
 喧嘩、していて欲しい。そう思う。変わらないでいてほしい。特にマエズロスには。忘れないでほしい。立場、という点でいけば、一番彼が大変なのだし変わらなくてはいけないことも多いのだろうけど。

 ―――かくて、辿り着いた泥河で、アナイレは呆れと嬉しさが入り混じるという貴重な心持ちを味わうことになる。

   Ⅴ

 義姉さますごい、とエアルウェンは感心した。
 水が汲めるものを、と言われて水を通しにくい布を貸したのだが、アナイレはそれで器用に水を汲むと、零れる前に、豪快に取っ組み合い寸前の泥エルフにぶっかけたのだ。
 エアルウェンは、そんな大胆な振る舞いをするアナイレは、数えるほどしか見たことがなかった。見たことがない、とは残念ながら言えない。
 感心するエアルウェンの前で、アナイレはこの上なく強気な背中で、居丈高に叫んだ。
「あ~ら、あたくしの愛する幼なじみは全く変わってないのね!安心したわ!!」
 叫ばれた泥エルフ――エアルウェンの夫と、甥は、なんとも微妙な表情をしていて、たまらずエアルウェンは吹き出す。アナイレは満足そうに(おそらくは)にんまりと笑うと、くるりっと振り返って言った。
「エアルウェン、乗馬を教えてくださらない?せっかく遠出したのだし」
「ええ――、いいわね、それ」
 エアルウェンは笑いながら夫の馬を呼び寄せた。
「うちのひとの馬にはわたくしが乗るわ。義姉さまは――こちらに」
 口をぱくぱくさせているフィナルフィンにひとつ、鮮やかな微笑を残してエアルウェンは馬に乗った。アナイレが自分の馬を御して、駆け出すのを見て、彼女も走り出す。
 風を切って――、ああ、まったく、殿の顔ときたら!

   Ⅵ

 その残された殿――フィナルフィンは、マエズロスの胸倉を掴んだまま言った。
「夢の上。乗せて?」
「……ヤだって言ったら?」
 ふうっと溜息を落として、フィナルフィンは顔を横に向け、あららと言った。ぱっと手を放す。マエズロスも手を放して、水と一緒に垂れてきた泥を目からぬぐう。
「あー、歩いて帰ろう。ふたりで」
「なんで僕まで?」
 ぬぐった目の先でフィナルフィンが指し示す方を見て、…マエズロスは思い切り眉をひそめた。
「―――なんか仕組んだ…?」
「いや、私は何も。仕組んだとしたら、むしろ、鳥篭姫じゃないかなぁ」
 ……マエズロスの馬は、いなかった。勿論アナイレとエアルウェンについていったのである。
「…海月姫のノリの良さはどう言い訳するつもりだ天の下……!」
「いい奥さんでしょ?」
 またも掴みかからんばかりの勢いで寄ってきたマエズロスの肩に手を置いて押し留め、フィナルフィンはへらりと笑った。
「あのね?今日は宮中で“ネルヤフィンウェ殿ご乱心”もいいんじゃないかなーって」
「…………」
 マエズロスは黙り込む。ご乱心。確かにそう言われても仕方のない感じで飛び出してきたかもしれない。
 肩から背中に回った手が温かい。マエズロスはむぅ、と口をとがらせた。
「―――、……一緒に“アラフィンウェ様ご乱心”が入るなら」
「いい?」
 ……ああ、めちゃくちゃいい笑顔だ……
 マエズロスは困ったように息をついた。本当はうきうきしていたけど、わざと素っ気なく言った。
「わかったよ。お兄ちゃんやめればいいんだろ」
「そうそう。私にも久々におにーちゃんぶらせてよ」
「父親なヒトが何言ってんだか…。しょーがない、なぁ」
 やれやれと言ったマエズロスに、フィナルフィンは幸福そうにけらけら笑った。
「さ、行こう!」

   Ⅶ

 王宮恒例、たいていは妙な顔ぶれになる(顔を合わせた瞬間、踵を返す親戚がいるからだ)“みんなでごはん”を終えて、フィンゴンとカランシアは、やっぱりあの紙をとくと眺めていた。
 テラスには他にひともいないし、それこそ食事時だったので、王宮もずいぶんと閑散として、静かだった。あーでもないこーでもないっていうかコレ意味あんのかとか言い合うにはそぐわない雰囲気だったが、とにかく、誰にも邪魔されない雰囲気であったことは確かだった。……その声が聞こえてくるまでは。

「あーあーあー、ごはん!ごはんに間に合わないよ!!」
「…え、本気で食事に間に合うつもりだったわけ?信じらんない」

 非常に聞きなれた声が、全く聞きなれない口調で聞きなれないことを話している――…
 苦虫を100万匹ほど噛み潰したような顔で、カランシアはフィンゴンを見た。なんだか恐ろしくて視認したくない。だが声は容赦なく近づいて来た。

「なんだよ何でさ」
「だってこの格好で“みんなでごはん”? ヤバいだろそれは」
「こんな格好になったの誰のせいだよ」
「僕? 僕じゃあないよね絶っ対にフィナルフィンのせい」
「私ィ?」

 フィンゴンは目を剥いた。片方は間違いなくフィナルフィンだと確定してしまった。

「当ったり前だろ怒らした方が悪いよ」
「怒った方が悪いって」
「怒らせるようなことしたのそっちだろ!大体すぐに僕の背中に引っ付いて、ちゃんと歩こうとし、ってうわっ、何す…ちょっ!」

 ばっしゃあぁああん。盛大に水しぶきの音。テラスの上でカランシアもフィンゴンも身を縮める。…見たくないような見たいような想像がつくような見てしまったら立ち直れないような。

「ええ!? ちょ、マジで!?」

 ま、マジで!? はこっちだ! とテラスのふたりは心の中で絶叫した。

「おーいちょっとちょっと!フィナルフィン!生きてる?」
「…………」
「………何死んだフリしてるわけ?」

 ああどうしよう、あの冷たいトーンの声には間違いなく聞き覚えがある。フィンゴンは遠い目になった。

「バレた?」
「当たり前」
「わー、泥落ちたよー」
「………その噴水の掃除するの、誰だろうね…」
「は、はうぅ! ヤバいよ父上に怒られる!」
「―――おじいさまの前に女官長あたりに冷たァっ!? ぎゃー触るな冷たい!!」

 ああどうしよう、今がっつり「おじいさま」とか言ったの聞こえてしまった。カランシアは死んだ魚のような目になった。

「薄情者ー」
「薄情で結構!」
「つーかーれーたー」
「疲れたじゃない重い冷たいひっつくな!」
「だってマエズロス何気にあったかいんだもん」

 一瞬でテラスのふたりは手すりに張り付いた。そして、見た。

「当たり前だろ濡れてないんだから。ああもう、僕の泥乾いてたのにまたぐっちゃぐちゃじゃん」
「たいして変わらないじゃん」
「叩けば落ちただろ。乾いてたら。――あ、カランシア。フィンゴンも」

 ボロボロかつ泥まみれで背中にこれまた泥だらけ水びたしの金髪の叔父をひっつけて、ごくごく普通に挨拶をしてくるマエズロスを。

「食事は済んだ…んだろうな。暇だったら悪いが私と叔父上はこんな格好だから、湯を、痛ッ!!」
 “いつもの”口調で話しかけてきたマエズロスは、唐突に叫んだかと思うと、背後のフィナルフィンをぎろりと睨んだ。
「何。この期に及んでまだ喧嘩売るわけ。買うよ」
「今お兄ちゃんしてたー反則反則罰ゲームー」
「はァ!?」
 カランシアはあんぐりと口を開けたまま、フィンゴンを横目で窺った。哀れな従兄どのは、自分よりも、もっとぽかんと口を開けていた。顎が外れそうだ。
 手で己の顎を押さえつつ、階下に目を戻せば、なんというか“非常に砕けた、というかキレた?長兄”はまだ何やらぎゃーぎゃー言い合いながら、叔父を引きずって庭から室内に入っていくところだった。
「うん、幼なじみって良いものだね」
 不意に反対隣から聞こえた声にびくっ!として見やれば、そこには祖父フィンウェがにこにこしながら階下のふたりを眺めていたようで。ねぇ?と軽く同意を求め、カランシアが顎を押さえたまま固まっている間に、悠々と退場していった。
 おじいさまの去っていく背中は、何も教えちゃくれなかった。
 カランシアは顎から手を放すと、溜息をひとつ。
 そして“良いもの”であるらしい、自分の幼なじみたる硬直した従兄を、軽く蹴っ飛ばしてやった。