燦光洞の領主

 その年(1)の冬の初め、ローハンの王エオメルは単騎、燦光洞へ赴きました。ギムリが来ていることを知っていたからです。
 真昼にあってなお薄暗い洞の中では容易に尋ね人が見つかるとは思われなかったので、エオメルは洞の入り口で灯火を掲げ、よく通る声でこう呼びました。
「朝を愛する御方よ、ここにいらっしゃいますのか。」
 そして遠い響きのように返って来た声を辿るように奥へ足を踏み入れたのです。奇しくもそれはあの大いなる年、この峡谷での戦いでかれらが潜んだ路と同じでした。
 ドワーフは石の一部になったように黙然と座っていました。かれの足元には、人間ではとても足りないだろうと思われる小さな灯火が置いてありました。
 エオメルを見つけると、ギムリは暗闇の中で灯火にちかりと目を光らせて、それから重々しくこう言いました。
「おお、何たることだ。ここはどこです?」
「洞穴です。」エオメルは記憶を呼び起こすように続けました。
「ヘルム峡谷の下にあるのです。われらはここを備蓄庫として、また万一の際の避難路として使っていますが、この洞穴はあまりに深く、峡谷の至る所に根を伸ばしていて、全貌を知るものは誰もいないのです。とはいえ戦の用に足るほどの場所のことは、把握しております」
「全貌をね。」
 ギムリは笑い、立ち上がりました。
「ここで会うとは思いませなんだ、夕を愛する御方よ。マークの王がお一人で、どうなさいました。」
「グローインの息子ギムリ殿よ、勿論あなたに会いに来たのですよ。」エオメルは言い、ギムリは肩を竦めました。それからふたりはぶらぶらと、外へ向かって歩いていきました。
 幾つかの角を曲がった時、エオメルは不意に話し出しました。「あなたが年に1度、または2年に1度、ここへ来ていらっしゃることは存じております。とはいえ、報せが来たとして、わたしがすぐに駆けていっても、あなたもすぐに発たれるものだから、こちらで会い見えることはありませんでしたね。わたしにとってはヘルム峡谷は角笛城の所在ですが、あなたにとってはこの洞穴――燦光洞が何よりの大事でしょう。ガンダルフは何と言いましたかな?」
「アグラロンドと。」ギムリは微笑みました。「エルフの言葉でね。」
「そう、エルフの言葉だ。われらの言葉での呼び名もありますよ。」エオメルは一度黙り、それから優しい声で言いました。「朝を偲んでいらっしゃる。」
「ええ。」ドワーフは同じく優しい声で答え、また沈黙が落ちました。
「春には、あなたの故郷へお帰りでしたか。」
「ええ。はなれ山へ。父に会いに行っておりましたよ。旅立つ前に。」
「旅に出られるのか。」
「いいえ、旅に出たのは父です。」
 エオメルははっとドワーフを見ました。ギムリは胸に片手を当てていました。その胸元に、何か輝くものを抱いていると見えて、何故だかエオメルは涙が溢れてくるように思ったのです。
「少し前に海へ行きました。」
 性急に口に出したことに、ドワーフはゆっくりと頷きました。
「妻の故郷(2)へです。妻を連れて、というよりも妻に連れられて、ということになりますか。わたしに草原と馬が必要なように、妻には時々海が要るのでしょう。海は、」
 ギムリはエオメルの言葉を遮るように言いました。
「わたしも海へ行ったことはありません。」
 エオメルは顔を背けました。ギムリはますます優しい声で言い募りました。
「とはいえ、いつか海へは赴くことでしょう。わたしの朝が去ってしまった海を見に。だがそれは当分先のことになります。わたしはひとりで海に行くわけではないのだから、当分先になります。アロドは元気にしておりますか。」
「ええ。」
 エオメルは頷きました。もうすぐそこが出口、または入口でした。
「発つ前に、エドラスへ寄って頂けませんか、ギムリ殿。できればあなたから、エレスサール王へお渡し頂きたい書状があるのです。」
「喜んで。」
 ギムリは頭を下げました。優しい礼を尽くされて、マークの王はやっと微笑みました。それからさっと身を翻して、エオメルは然るべき光の下では眩い輝きを持つ燦光洞を後にしました。ドワーフはまた石になったようにそこに佇んでいました。

 ミナス・ティリスのエレスサール王へ書状を届け、ギムリは白い都のてっぺんで、ぼんやりと東の方を眺めていました。冬の夜で、空はよく澄んでいました。
 ギムリの館はこの都のすぐ裏、ミンドルルイン山にあるのですが、年の半分もの間留守にしていたため、エレスサール王が友を留め置いたのです。
 かくして現れた王は、ギムリの隣に立つと、同じように東を眺めながらこう言いました。
「エオメルからの書状は読まれたかな。」
「いいや。あれはエレスサール王宛てだろう?」
 アラゴルンは片眉を上げて見せました。「あんたへの内容が主だったが。それではわたしから告げて欲しいと思ったのだろうな。」
 ギムリは訝るようにアラゴルンを見ました。友である王は、微笑んで告げました。
「エオメルはこう書いて来ている。あんたに差し支えがなければ――グローインの息子ギムリ殿、あなたが朝を偲ぶあの洞穴、エルフの言葉でアグラロンド、ロヒアリムはグレームシュラフと呼ぶ燦光洞に、ドワーフの呼び名を付けて頂きたい、とね。確かに、この都であんた方ドワーフの手助けを必要とするところは、だいたいのところ済んだと言っても良いだろう。あんたが燦光洞にたびたび出かけていって、その美しさに心を慰めるのと、それと同時にこの美に手を入れたいという切なる望みを抱いて戻って来るのはわたしも知っている。エオメルもきっとそれを分かっている。そしてかれは、あの洞窟に、正しい価値を知る者に住んでもらいたいと思っているのだよ。
 だからギムリ、これを機にあんたが一族を連れて燦光洞へ引っ越して行っても、わたしはそれを止めはしない。あんたはずっと長い間、ただわたしのために働いて、素晴らしい数々の仕事を成してくれた。今あんたが自分の望みに従って行くのなら、わたしはそれを喜んで送り出したいと思う。」
 ギムリは途中から口をぽかんと開けて聞いていましたが、アラゴルンの言葉が途切れると、呆れたような、驚いたような長い嘆息をしました。
「やれ、やれ、ゴンドールとローハンで、わたしの身柄をどうするかの秘密会議が行われてたようだね!」かれは泣き出すかのような声で言いました。
「だけど、どちらの王の好意もとても嬉しいよ。確かに今のわたしには、燦光洞の仕事を考えて、それをひとつずつ成していくのは何よりの慰めになるだろう。友とは遠ざかるが、幸い呑気な旅の出来る時代だ。寂しくなる前に訪ねて行けるだろう。」
「では、受けると思って良いのかな、グローインの息子ギムリよ。」
「謹んでお受けするよ、ゴンドールの王エレスサールよ。」
 ふたりは顔を見合わせて笑いました。それからドワーフの眼は南へ流れ、イシリアンの森の方へ向きました。
「エルフにはあんたから言ってくれるかい。わたしが発った後にね。」
「面倒ごとをわたしに押し付けるのはよしてくれ。それにアロドのことがある。エオメルはこうも書いて来ている。アロドは、マークの騎士たちとは全く違う、変わった戦士の2人連れしかもう背に乗せようとは致しません。かれは豊かな老後を過ごしておりますが、きっとその2人連れの訪れを心待ちにしていることでしょう。――とね。レゴラスには、あんたから言うべきだと思うよ、燦光洞の領主殿。」
 ドワーフは何度か頷きました。
「やれやれ。それでは仕方ない。アロドのためだ。」かれは言いました。
「朝の思い出は、わが王妃も喜ぶことだろう。」エレスサール王は呟くように言いました。「今度はあんたのための仕事をわたしたちに披露してくれる時を、楽しみに待つとしよう。」

注釈

(1)第4紀15年を指す。この年の春、エレスサール王は北王国へ行幸した。またこの年、ギムリの父グローインが亡くなった。
(2)エオメルの妻はドル・アムロス大公の娘ロシリエルである。

(※HoMe13巻の存在は残念ながら確認されておらず、従ってこのような原稿の存在も確認されてはおりません)