「“なんだか僕の背中ばっかり見てる気がする”って言われたんだ」
ルーミルがそう織り機の前のミーリエルにこぼした―――何百年か後、
「“なんだかわたしの背中ばっかり見ている気がする”って言うんです」
とフィンロドはフィンウェにこぼした。
言われた相手は同じように数度瞬きをした後、小さな溜息をついて、答えた。
***
今日も今日とてフィンロドは、兄弟よりも親しいかもしれない同い年の従弟のところでお喋りにいそしんでいた。会わなかった時のことをぶちまけ話して、けらけら笑い合って、じゃあ行くね、といつものように席を立った。するとトゥアゴンがこう言った。
「なんだか私は、君の背中ばかり見ている気がするな」
え、と振り返ったフィンロドに、トゥアゴンは微笑してまたね、と言った。
***
歌と言葉の館コールはいつも不思議に賑々しいが、その騒ぎの入口の大きな階を好むのが、館の主の片方――ヴァンヤのエレンミーレだった。
トゥアゴンが行った時、案の定彼は階に座っていた。声をかけると夢を見ているかのように緩々と顔を上げ…ぎょっと目を見開いた。
「ぁ、フィンロドに、会いました?」
トゥアゴンは面食らった。
「……フィンロド?」
「この前はフィンロドで今日は君―――あ」
エレンミーレは勢い良く立ち上がると、首をかしげて一瞬固まった。
「ああ、まずはこんにちはトゥアゴン」
「……こんにちは、エレンミーレさん」
お互い礼をして、…エレンミーレは困った顔で吹き出した。
「すみません、妙なことをしてますね。ルーミルに用ですか?」
「いえ、特に用はなくて…」
そういえば、どうしてここまで来たのだろう。首をかしげかけたトゥアゴンに、少し話しませんか、とエレンミーレは言った。
少し上の階に腰掛けると、広がる原と大気に満ちる光がよく見えた。なるほどこの光景が好きなのかとエレンミーレの方を窺うと、彼はぼんやりと遠くへ視線を飛ばしたまま、
「“なんだか君の背中ばっかり見てる気がする”」
「え」
「――って、言ったんですって?フィンロドに」
こちらを向いて、笑った。
「私も言ったことがあるんです。ルーミルに」
「え…」
トゥアゴンがきょとんとしてエレンミーレを見返すと、彼は居心地悪そうに目線を泳がせた。
「そりゃね、迎えるのはヴァンヤとして性に合いますよ。合いますけど、ご存知でしょう。あの鉄砲玉ノルドったらあっち行ったりそっち行ったり、一度話し出したら止まらないし、家が何処かなんてさっぱり忘れきってることもあるし――ボケてるんですから」
やれやれ、と言いたげに肩をすくめて、はぁーあ、とエレンミーレは口で言った。トゥアゴンは微笑んだ。“鉄砲玉ノルド”の評に自分の従兄を思い出す。
「私の場合は嫌味のつもりだったんですけど」
エレンミーレはトゥアゴンをちょいちょいと招いた。耳元でそうっと囁かれたのは。
「………愚痴、だったんですか?」
「ぐ、愚痴?」
予想外の言葉に問い返せば、エレンミーレはあら?と首を傾げる。
「先日、フィンロドが来たんですけどね」
**
「――というわけで相談に来ました」
「……。えと」
軽く血走った目つきで言われて、ルーミルは引いた。
「あの…ね、フィンロドさま…。相談って…」
「わたしとトゥアゴンのことです。どーしたら仲直りできますか!?」
「あ、いや…直るも何も仲違いはしてないんじゃ…」
もごもごと言い募るルーミルに、思いっきりフィンロドは詰め寄った。
「だってあのトゥアゴンが!今まで何も言わないと思ったら言ってみたらそんな愚痴!」
叫ぶと同時にとうとう涙がばたばたと零れだした。ルーミルはますます焦った。
「ええと…。だからさ、あのさ、フィンロドさま……お知恵さん、なんて言ったんだって?」
ふえーん、と泣いていたフィンロドは目をぱちぱちさせて言った。
「“同じくらい顔も見ているはず”だって…」
「…………そのとおりなんだけどさ」
「で、“分からなかったらルーミルに訊いてみなさい”って…。…だから聞きに来ましたルーミルさん!教えてください!」
「うぐ」
**
「“お知恵さんに課題出されたよー”ってその後私に泣きついてきましたけどあのボケノルド。…いえそれはどうでもいいんです。愚痴だったんですか?」
「愚痴…というか…。思ったことを言っただけというか…」
しどろもどろにトゥアゴンは答えた。それよりも聞きに来たというフィンロドのことが気にかかる。その前に祖父フィンウェにもどうやら相談したらしいし。
「……あの、フィンロドが迷惑をかけましたよね…。すみませんでした」
「あんなの迷惑のうちに入りませんって」
エレンミーレに頭をよしよしされる。
「愚痴でもいいんですよ。言わないより言った方が、ああいう鉄砲玉タイプには良く効きます」
「効きますか…」
「……まぁ、効きすぎる可能性もないとは言えませんが」
寄り添って、ぼーっと広がる原を眺めるともなしに見ていると、エレンミーレがくすくす笑い出す。
「効きすぎたかどうか確かめていらっしゃい。――フィンロド!」
はっと目を向けた階下には、間違えようのない従兄の姿。
トゥアゴンは急いで階段を駆け下りた。
階下の公子方を眺めて、エレンミーレは思い返す。
“君の背中ばっかり見てる気がする”そうこぼした自分に、ルーミルが返した言葉――
『――つまりさ、大地を中心にして空が動いているよね』
ルーミルはここで、そう、この階でそう言った。
『それと同じでさ、結局、僕は君を中心にして動いてるんだよ。君に帰ってきてるんだよ』
彼が真面目に言っているのは勿論承知で、けれど告白めいた物言いに、ついエレンミーレは視線をそらした。
『背中も見るけど、それ以上に顔も見てるはずだよ。詳しく説明できないんだけど、僕はそういうふうに君を思ってるんだ』
ああ、どうして彼はいつもこんなに容易く私を嬉しがらせることだろう。
今の今、そんなエレンミーレの階下では、また別のやりとりが行われている。
「あのさ、トゥアゴン」
「ん?」
「わたしたちは、一緒に行けると思うんだ」
フィンロドが真剣な目で言うものだから、トゥアゴンは少しぎこちなく頷く。
「うん…」
「だから、背中ばっかり見てないで君が来たらいいんだよ」
これってすっごい良い思いつきじゃない?と目が訴えていた。トゥアゴンは苦笑する。まったく、この従兄ときたら!
「………成程、分かった。君がルーミルさんよりワガママだってことが」
「違うよー。それを言うならトゥアゴンがエレンミーレさんより活動的なんだろ!」
どうかな?ふたりは笑いあって、光あふれる原を歩く。館を離れていく。
**
……遠ざかるふたりの背中は金の光に溶けるよう。
「エレンミーレ」
階の上から呼ぶ声がする。夢からさめたような心地で振り返ると、ルーミルが、口をとがらせて言った。
「僕が君について来てって言わないのはさ、僕がわがままだから――じゃ、ない、よ」
「知ってるよ」
エレンミーレは階を上がる。
「君が超ワガママなことくらい」
「…エレンミーレったら」
抗議の声を聞きながら、エレンミーレは階に座った。高い階からは、光に滲んで、あの仲の良いノルドの公子方の後姿が――遠ざかる。
「もちろん、分かってるよ。私がすごくヴァンヤらしいヴァンヤだからだろ」
軽く見上げて、からかうような声を投げる。
「迎えるよ。鳥頭テレリだって、鉄砲玉ノルドだって」
エレンミーレは視線を戻す。強い金の光が視界を満たす。
「……迎えるよ。君であれ、誰であれ」
目の前で、光は薄れ、幻影が消える。かつての幻が遠ざかり、そう、―――夜が降りてくる。
背中に温もりを感じた。温もりが言った。
「僕だって、一緒に待つよ」
エレンミーレは微笑んだ。ただ、愛しくて。