宝の砦

 ノルドール上級王フィンゴンがその親しい友マエズロスの所を訪うのはよくあることである。
 けれど今回は大いに突然で、さらに即位してから初めての訪問であったから、ヒムリングの大砦は一時騒然とした。
 重ねてフィンゴンはひとりきりで訪れたものだから、主のマエズロスの眉間には深い谷が刻まれたままである。
「お前は友の住処を訪ねただけだと言うだろうが」
 私室に引っ込んでもそれは変わらず、渋面のままマエズロスは懇々と言った。
「上級王というお立場を良くお考えになって頂きたく」
「悪かったよ」
 フィンゴンが真面目に答えたので、マエズロスは虚を突かれたように息を飲み、溜息混じりの小言を落とした。
「……ほいほい謝るな」
 フィンゴンは笑うと、それにしても、と言葉を接いだ。
「報せが凄かったな」
「お前がアンファウグリスを突っ切って来たりするからだ」
 ここは砦なんだぞ。言いながらマエズロスは杯を投げる。
「砦は外敵からその背後の地を守るためのものだ。この場合の外敵はどこだ?北だろう。北から来る奴があるか」
 マグロールが気づかなかったらどうする気だったんだ。聞きながら杯を受け止めて、フィンゴンは肩をすくめた。
「気づくだろ」
「触れを出せ。ひとりで来るな」
「単騎駆けはどうやら血筋でね」
 くれよ。杯をフィンゴンが差し出すと、マエズロスは青い壜から金色の液体を注いでみせた。
 あかがね色の杯は、触れあうと見た目にそぐわぬ円やかな音で鳴った。

 杯を重ねてもどちらも酔ってはいないのは良く分かっていた。
 どうして来た。と砦の主が尋ねれば、夕陽がやたらと赤かったから。と上級王は答えた。
 どちらも理由が要るわけではなかった。
 砦、砦、ああ砦ばっかりだ。のどかな街は無いのか、街は。
 酔った風にフィンゴンがわめくので、マエズロスは砦でも街でも都は都だと拗ねた声を出してやった。
「アマンにも、あったさ、砦は。――フォルメノス…」
 言ったのは、酔っているのだという言い訳が出来るなと思ったからかもしれない。
 フィンゴンがなぜか慈悲深いような目をして続きを促した。マエズロスはごくごく静かに言った。
「外を容れず、内に抱えた宝物を守る」
 うんうんと、フィンゴンは微笑んで頷いた。
「疑心暗鬼のドラゴンの巣さ!」
 マエズロスは笑い声を続けたが、フィンゴンはとろけそうな微笑みのまま、頭を何度か振った。
「なんだ」
「あんたは、それは嫌い?」
「何が」
「宝物を守るのは嫌い?」
 マエズロスはつくりものの右手をこつんとフィンゴンの額に当てた。いて、と小さな声が上がった。
「嫌いではない」
 神妙に告げると、フィンゴンは声高く笑い出した。マエズロスは重い声で続けた。
「だが守るべき宝はどこだ?」
 フィンゴンは笑うのをやめなかった。笑いながら杯を自分で満たし、マエズロスの杯も満たし、ばかみたいに何度も杯をぶつけてきた。
「おれはここで、安心できるけど?」
 ぴたりと笑いをおさめて、マエズロスの目を覗き込んで囁くと、フィンゴンはぐっと杯を空にした。
 マエズロスはゆるりとひとつ瞬くと、ほう、と息をついた。
「そういえばお前、賞金首だったな」
「その通り。おちおち外では眠れません」
「ひとりで来たくせによくも言う」
 マエズロスもぐっと杯を空けた。
「おお、我が宝の君よ」
 そして杯を放り出すと、フィンゴンの両手をとって、甲に口づけた。
「お守りいたしましょう。我が砦に抱かれて、おやすみなさいませ」
 垂れた頭の上で、フィンゴンがまた笑い出した。

 朝の太陽は薄い金色をしていて、ほら赤くないぞ、帰れよ、ひとりで帰すわけにはいかないなマグロールと行け。とそっけなく言ったマエズロスを見て、フィンゴンはひとしきり笑った。
 それからひとつ、金色の光の中でくしゃみをした。