髭まで愛して①

 髭刈魔が出た、匿ってくれ――と赤毛の匠がよく分からないことを叫んで飛び込んで来たのを、キアダンは分からないまま受け止めた。
 そんな珍妙な理由でなくても、キアダンはマハタンの訪問はいつだって大歓迎である。
「髭刈魔?」
 気になった言葉を聞き直す。マハタンは青い顔色でこくこく頷く。
「髭刈魔だ」
「それはもちろん髭を刈る…」
「そうだ。発作的に目の敵になるらしい」
「…………つまり貴男が標的なわけだ」
 キアダンはつい先頃短く整えた自らの髭を撫でた。自分の髭はもう長いこと伸ばし続けていたものだが、マハタンはそうでなかったように思う。
 今だって綺麗に整えられているのだ。髭刈魔とやらは一体何が気にくわないのだろうか。
 頭を抱えたマハタンが唸る。
「最近は落ち着いてたのに。理由はなんだ?」
 深い深い溜息。キアダンはすこし首を捻った。
「知り合いなのか?」
「何が」
「髭刈魔」
「娘だが」
 ものすごく当然のことを言うように返されてキアダンの思考は停止した。
 何を言えばいいのか、口だけぱっくり開いた。今度はマハタンが首を傾げた。あの、キアダンはようよう言葉を紡ぐ。
「あの七人兄弟の母君の?」
「ああ。孫沢山にしてくれた」
「あのフェアノールの妻の?」
「うん。俺のひとり娘だ」
「………が髭刈魔」
「そうなんだ」
 おかげで家でおちおち寝てられない。また吐かれた溜息にキアダンは頷いた。
「それは。大変だな……」
「隙あらば全部刈ろうとしてくるんだ。伸ばせない」
「貴男が整えてるのそういう理由だったのか……」
「本当はドワーフみたいなのもやってみたかったのに」
「あれは毛質にもよるぞ……」
「にょこにょこ伸びないから大事にしないと」
「私もそんなに伸びが早いわけではなかったが……」
「これを刈ったら二度と生えてこないかもしれない!珍しいのに!」
「珍しいというか、こちらでは貴男ひとりしかいないよな?」
 いつになく胡乱な方向に愚痴が続くのでキアダンもせっせと相槌を打つ。
「稀少だから保存の必要性があると今まで説得してきたが、今度ばかりはダメかもしれない。目が本気だった」
 想像してみろ、愛娘が剃刀片手に薄ら微笑みながら近づいて来るんだ……
 ぐったりと呟き突っ伏すマハタンの赤毛をキアダンは宥めるように撫でた。
「剃刀はとても使いやすかったなあ」
「それは良かった。……こうなってみるとあの切れ味が恐ろしすぎるが」
 ああネアダネルはなんであんなに怒って、とぼやき、マハタンは突然動きを止めた。
「怒る?」
 確かめるように言い、がばりと起き上がる――
「そうだ。……怒ってるんだ」
「貴男がひとを怒らせるとは珍しいなあ」
 あまりに意外だったので笑えてしまった。笑うキアダンをすっかり下がった眉のマハタンが見つめた。
「…………マグロールの報復だ…」
「あ」
 マハタンの言葉にキアダンも思い当たった。つい先日、この匠はとあるものを作り、大はしゃぎにはしゃいで、そして、
「子をいじめたので母御がお怒りなんだな……」
「あぁぁあぁ包んでみたことは後悔していないがッ……」
 作ったのは梱包材で、梱包されたのはマハタンの孫であるノルドールの誇る伶人マグロールだった。梱包材を作るきっかけは、と言えば、キアダンは思い返して溜息をつく。どう考えても原因は自分だった。
「どうしよう」
「謝ろう」
 しょんぼりしたマハタンに、キアダンはきっぱりと宣言した。
「私も一緒に行く。原因だからな」
 さあ行こう。マハタンの手を握ると、赤毛の匠はあからさまに狼狽えた。
「えっ!? いやあなたが謝る必要は」
「髭ふたつ揃えて出頭しよう。なに、刈られる時は一緒だな」
「髭ふたつ…」
 繰り返して、マハタンはぷは、と息を抜くように笑った。
「迷惑をかける」
「貴男のことなら迷惑なものか」
 大真面目に会話して、髭エルフふたりは髭刈魔の処へ出向いた。
 百世紀より久々にふたりの髭のない姿がお目見えするかどうかは、ネアダネルの機嫌次第である。