狩り

 その黒髪が陽に透けて銀色なのだと初めて気づいた。いとこ殿は肩のすこし上でぷつりと切った黒髪を揺らして、頭をほんのりと傾げた。ファラゾーンはそれを白昼夢のように思って見ていた。
 きり、と弦が鳴る。秋の日暮れは早い。すぐに冷える。あと少しで戻らねばならないだろう。
 ミーリエルはつと目を伏せ、息をついた。
「なに」
「え」
「何かおかしいか? さっきから見て……」
 言いながらファラゾーンの方を見たが、すぐに眉をひそめて前を向いた。下唇が小さく噛まれて、ファラゾーンはそのふくらんだ赤をつつきたくなる。
「――わたしが獲物になった気分だ」
 ファラゾーンは肩を揺らしそうになった。手を伸ばしそうになった。だがそうする前に、ミーリエルはひゅっと息を飲み、弦をかすかに鳴らし、光の方へ矢を放った。――次いで鋭く短い鳴き声、草と木を踏みしだく慌ただしい足音、重いものの、落ちる音。
 ミーリエルが立ち上がる。赤みを増した光の中で、細めた目で遠くを見ている。そうしてまた、息を、つく。
「獲った」
 高揚を隠し切れない声で言った。カリオン、獲った!ファラゾーンは立ち上がり、輝く瞳の小柄な身体を抱きすくめた。正しくミーリエルはびくんと竦んだ。
「……狩りは終わった」
 耳元で囁くと、弓をぐっと掴むのが分かった。温みのある黒髪に頬ずりするように首を傾けて、ファラゾーンは自分の獲物を堪能する。

 外でならば少年のような装いだが、王妃のミーリエルはそうはいかない。成人した頃からずっと続けているほとんど身体の線を見せない外衣と、頭も顔も、ほとんど全身を覆うヴェールで、色彩の塊のようにひとつになっている。長いことファラゾーンは、いとこ殿の髪の色も知らずにいた。
 誰だか分からなくって良いだろう、などと言いながら、近頃はミーリエルは銀色の真珠のような眼だけを覗かせている。外衣が白の時はどうにも柱のようにも見える。そんな恰好をしているのはミーリエルしかいない。
 遅い昼餉を取ろうかと次の間へ来たが、何故か噎せるような芳香がきつく、どうにも胸がむかついた。王宮の、王家の住まうこのあたりにはまだ慣れない。ファラゾーンは狩りの最中や艦の上の慌ただしい食事を懐かしく思って並んだ皿たちをじろりと見下ろした。
 その時、扉が勢い良く開く音がした。中にファラゾーンしかいないことを分かっているのだろう。そんなことをするのもひとりしかいない。ここで生まれ育った、本来の宮の主だ。
 見やると、ヴェールをのけたミーリエルは眉をひそめて立ち尽くしていた。警戒と困惑の入り混じった顔。良く知るようになった表情だったが、すうっと血の気が引いたのでファラゾーンも戸惑いを覚える。
「……食べたのか」
「食べてない」
「食べるな」
 ミーリエルは速足で部屋を横切ると、窓を開け放った。秋の終わりの風が吹き込み、強い芳香を散らしていく。
 窓辺から振り返った、逆光の中で、責めるように銀色の瞳が光った。
「おまえは敵が多いんだな」
 ファラゾーンは並んだ皿をもう一度見て、ふっと笑った。
「王位を継ぐべき姫を無理矢理に娶ったりすると、こうなる」
 ミーリエルははっきりと顔をしかめて、また速足で扉の方へ向かった。怒らせただろうか。扉の向こうへ消える背中を見送って目を閉じた。吹く風は冷たさを帯びてはいるが、そのひんやりとした新鮮さを有難く思う。すこし遠くでミーリエルの声がする。誰を呼んだのか…、
「ジムラフェルは陛下と共に食事を致します」
 はっと目を開くと、ちょうど戻って来たミーリエルと目が合った。
 ぴくり、肩を震わせた王妃は、それでもまっすぐにファラゾーンを見返して、苦い顔で言う。
「わたしとおまえを一緒に殺そうとする莫迦はいない」
 だから王宮ではわたしと食事を取るといい。言われたことに途端に気分が上向く。ファラゾーンは微笑んだが、ミーリエルはますます眉を顰めた。
「わたしは戦のことは知らない。おまえは知ってる」
「ああ」
「狩りは知らなかった。この前おまえに教わった」
「そうだな」
「王宮で陰謀の中を過ごすのは慣れてる、」
 ミーリエルはそこで、言葉を切った。せわしなく何度か瞬き、それから、ふと雪のゆるむようにかすかに微笑んだ。
「……わたしがおまえに、教えられる」
 囁き声になった。目を伏せたミーリエルに、ファラゾーンは大股で近づいた。心構えを聞こうか。俯きがちなつむじに声をかけると、ミーリエルは睨むように見上げて来た。
「獲物になるな。狩りをしろ」
「得意だ」
 手を伸ばしても今日は竦まなかった。ファラゾーンは狩りは得意だともう一度言った。獲物はおとなしく腕の中にいた。