愛は痛い

 フィンウェは“暴力的”という言葉からはほど遠いエルフだ。
 愛情表現の手が出たり足が出たりは、恋人だったり友人だったりで色々あるものだが、ことフィンウェに限っては、心底怒った時ですら手が出るか危ういものがあった。彼の場合、物理的な手段よりも、精神的心理的なそれ――つまり、言葉――の方が鋭く、かつ効果的であるのが一番の理由だ。他にもさまざま理由はあるが、彼が明かさないことは他の誰にも知れない。
 が、そんなフィンウェは、エルウェを殴る。
 それはもう容赦がない。限りなく拳だ。
 目撃した者もそうそういないが、見た者はまず目を疑う。そして容赦のなさに、一体エルウェは何をしたのかと訝る。……理由は実に他愛ない。ちょっと気に障る事言われたーとか人前でキスされたとか尻触られたとか私のプリン食べた、とかだ。こどものケンカだ。
 右の拳で殴られた時は、エルウェは特に気にしない。この石頭、と涙目で怒ってくるのを可愛いと思う。へらへら笑ってまた口説きにかかり、ドリアス時代にうんと増えた家臣たちを遠い目にさせる。
 左の拳で殴られた時は、エルウェは大いにうろたえる。
 ――今やすっかり「シンゴル」と呼ばれる方が断然多いエルウェが、まだ単なるエルウェでしかなかった頃、フィンウェの力はもっとずっと弱くて、利き手の左ですらとんでもなく弱くて、殴られても全く痛くはないが避けるのもそれ以上に簡単だった。
「避けちゃだめ!」
 ぷんすかぷうとむくれた勢いでフィンウェが宣言したのはいつだったか、エルウェはそれ以来、特に左で殴られる時は甘んじて受ける。エルウェにとってはそれはフィンウェの数少ない「甘え」だからだ。
 ばか、ばか、ばか、と叩く擬音のように口に出しながらフィンウェが拳を当ててくる時、エルウェはこれはこれで良いんじゃないかと思って殴られている。だって、こんな愛情表現は他の誰にもしてはいないのだから。