エステはローレルリンで何をしてるの?
と訊かれたことがある。
「ん?ねてるの」
そう、と夫は素直に頷いた。彼の領域たる夢の部分にはエステは全くいないのを知っていたにも関わらず、その後何も訊かずにいるイルモのそういうところをエステはこよなく愛している。
頼まれたら断れないとか。苦労を背負いこみやすいとか。そういった方向に行きかねないやさしさ。それを。
愛している、のだが。
「エステぇ…!とって、ウルモとって…!!」
まさかこんな脅迫をされるはめになっているとは思ってもみなかった。
エステが午睡から目覚めると、辺りはちょうど近づいた太陽の光で金色に包まれていた。
間もなく夕暮れ時に入るローリエンはあたたかい灰色の影に朧になり、息を止めたように静かだ。
と思うのも束の間、きゃー、としか表し様のない叫び声が聞こえて、エステはすべるように湖水を渡った。
ローレルリンも今は正しく水を湛え、光の滴の名残は底の深くに溜まった鏡のようなきらめきにしかない。
その湖水の先、幾つもある泉のほとりで、叫び声をあげたのはエステの夫、ローリエンの主たるイルモである。
「ん?」
エステは口癖になっている声を上げて、眉をきゅっとひそめた。
イルモは何か躍起になって手をぶんぶん振っていて、その手には何か絡まっているように見えた。
最後の茂みを抜けると、イルモはエステに気づき、すこし涙目で呼びかけてきた。
「たすけて…!」
「ん、」
伸ばした手の先、絡まっているのはまさにきらきらしたみずいろの塊――見る間に形を変え、腕を這い登る――イルモがやだああ、と泣き声をあげた――
「ウルモ、ひさしぶり」
「ああエステ、イルモが話を聞いてくれない」
「絡まるのやめたら?」
「わたし置いて普通に話しないで!?」
「ほら」
エステがウルモに触れようとすると、何故かウルモはりゅりゅりゅと逃げたので、またイルモは悲鳴をあげた。
「なまぬるい!きもちわるい!!」
「話を聞いてくれ」
「夫の悲鳴を背景に聞くのはやだよ」
「エステぇ…!とって、ウルモとって…!!」
本格的に泣き出したイルモを可愛いなとは思ったが、このままでは埒があかない。夫を抱きしめるようにしてべりっと不定形流動体を引き剥がすと、ぼとぼとと泉に落ちたウルモは濃い青に体を明滅させた。
「君まで私を助けてくれない」
「ん? 助けないとは言ってないよ。なんでイルモを泣かしてたの」
「夢を頼むのに、見た方が早いかと――」
「見るのは良いけどあなたのそれ気持ち悪いんだ…!」
エステの背後からイルモが泣き声のまま抗議したので、ウルモは泉の傍にみずいろのひとがたを立ち上げる。
「どこでも不評だな」
「あっ本当になまぬるい」
エステが雑な形の手と握手してみていると、イルモはエステの背中から恐る恐る顔を覗かせる。
「そのままでいてくれる?ちゃんと見るから」
エステとウルモがうにうにと手を握り合ったままでいるうちに、イルモはことんと額をエステの背に預け、
――ん、流れた。
エステも一緒にその幻影を見た。
三人でああでもないこうでもないと作り上げた夢はまず上々の仕上がりになった。
最も、また不定形流動体になったウルモにイルモはがんとして近寄ろうとしなかったので、始終エステを間に挟んでの試行錯誤になったのだったが。
「ごめんね、エステ」
「ん? いいってことよ」
夫の頭を撫でながら、エステは少し考えた。どこでも不評と分かっているわりにウルモがあのままでいるのは何故なのか。――あのままだったから今、ペローリの向こう側と関われているのも事実なのだが。
「形、考えるのしてあげた方が良いかしらねー」
イルーヴァタールの子らの夢の傾向から考えるに、エンドールでも不定形流動体はきっと不評に違いなかった。