水の王は恋を覚えない

 水の王の姿の雑さといったらない。

 イングウェの視認した限り、ウルモはマンウェの所に来る時、不定形流動体である。流動体でマンウェにぺったり張りついている。流動体の時はほとんど喋ることはない。歌いはするが。
 ヴァラールの会議の時は曲がりなりにも姿を結ぶ。他のアイヌアのようにクウェンディに似た姿だ。しかし形も雑だが面貌に至ってはますます雑で、アウレが「直してやるべきか……」と重い声で呟いていたのも知っている。

 さてその昔大いなる旅の道中、島を動かしてくれていた時はというと、これが姿を見た覚えがない。
 そもそも声を聞いた覚えもほとんどない。
 旅の最中もその後も、ウルモと一番良く話していたのはフィンウェのように思われた。
 だが、ことこの件に至っては、フィンウェも他者の姿形に無頓着であったから(着飾るとかそういったものとは違う意味で、である)、水の王が多少雑な姿をしていたとして、特に疑問も抱かずに接していただろうと思われる。
 原因はきっと、視覚情報への疎さにあるのだ。
 マンウェは見る力に長けている。対してウルモは、聞く力が鋭いのである。それは彼の意識が広大な水そのものに拡散しているがゆえなのだろうが、結果的にほとんど盲目といっても良い。だからこそ姿形に頓着せず、勢い結ぶのは雑な姿になる。
 通常、他者を判断するに依るのは視覚情報が主になる。
 ヴァラールの本性と呼べるところは音楽に近く、実像を持つものではないという。最も近く姿で現すにしても、形も定まらず、光と彩りはもっと鮮烈になるだろう。クウェンディに似て結んだ今の姿、その瞳に大いなる力の透けるのは見ることができる。
 水の王はほとんどクウェンディと関わろうとしない。確かにそれならば姿を結ぶ必要がない。

 そう思っていたのだが、マンウェの言としては少し異なる。
「怠慢だよ」
 ある時、にょん、と不定形流動体をのばしながらマンウェは怒ったような声音で言った。
「いつまで先延ばしにする気?」
 ウルモであるきらきらしたみずいろの不定形流動体は、驚くべきなめらかさでマンウェの手を逃れると溶けたように消え失せた。
「逃げられた」
「………怠慢、とは?」
「もうアルダにいるのに、いつまでも名に姿を結ばないってこと」
 マンウェはイングウェを抱き込むと、額に額を当てて世の初めに、と続けた。
「私達に“見えた”時から決まってる——名に姿が伴い、姿には名が付く。そうやって世界は出来ている」
 クウェンディが姿に名を結び合わせていくように、まず名があるアイヌアはアルダのために姿を結ぶ。名は姿に、姿は心に、心は力に、力はすなわちヴァラールの名である。
 マンウェは痛みのように清い青い瞳を静かに伏せる。
 ウルモ、はやく、
「恋を覚えればいいのに」
 恋ゆえに姿を求めるのなら、確かに水の王には最も遠い話なのだろう。彼の愛は広く流れゆく。天と地をめぐり、すべてを知りながら誰にも。誰も。触れない。
 抱き合うことに没頭したので会話はその後は続かなかった。

 水の王が色とりどりの雫を携えてくるのはまだ遠い話である。