イルモはマンウェにけしかけられてうっかりエステに求婚したのだが、そのこと自体を後悔したことは一度もない。
そもそも夫婦になる前だって、今とあまり変わらない生活をしていたのだ。
マンウェとヴァルダのおしどりぶりは有名だが、その陰に隠れて、イルモとエステだってほぼ常に一緒にいた。
めったに離れたことがなかった。
せいぜい、イルモが兄と妹に会いに遠出をする時くらいだろうか。
何せエステは会議でもないと、一歩もローリエンを出ようとしないのだから。
日の半分は寝てるし。
だが。
「エステ、メリアンがここを出て中つ国に行きたいと言ってて…」
「ん?いいんじゃない?」
「エステ、ローリエンに温泉湧いたら楽しいなってマンウェが言うから造ろうかと思…」
「ん?したら?」
「エステ、ローレルリンの木をヤヴァンナが…」
「ん?好きにしなよ」
イルモは思い出す。――求婚した時を。
「エステ…時間があるならちょっと聞いてくれ…」
「ん?何?」
「…………」
イルモは紙を無言で差し出す。
ちゃんとしっかりクッキリ書いてある。婚姻届、と。
マンウェお手製、特製のヴァラ用婚姻届。半分はもう埋まっている。
「良ければこれにサインを」
「ん?いいよ」
さらさらさら。ぽん(捺印)。
「……ありがとう」
「ん?いいってことよ」
イルモはたまに思う。
もしかしなくてもエステは、わたしと結婚したって、分かってないんじゃなかろうか、と。
そもそもエステから話してくれるなんて、軽くウン百年前に、
「エステ、今度作ってみた夢は“重い火傷と手足がなくなったような痛みと頭痛に悩まされている、鎖で縛られて幽閉されているあなた向けの癒しの夢”…なんだけど」
「うわ誰が使うのそんなピンポイントなの」
というツッコミくらいだった気がする。
あれ、しかもこれもエステから話してない。
イルモはマンウェにけしかけられてうっかりエステに求婚したのだが、そのこと自体を後悔したことは一度もない。
ただ、時々、愛されているのかどうか、むしろエステは、イルモをイルモだって認識してるかどうか、すこし、疑っている。