ご機嫌いかが

 広い廊下をフィンウェは駆ける。
 ゆるく留められていただけの髪は乱れほどけ、大気に舞う光の粒と輝かしく舞い踊る。
 思いばかり溢れて声が出ない。どこ、どこ、一体どこにいる。
 不意に横合いから伸びた手に掴まえられる。ぐいと強く引かれて、腕の中。

「……まさか、そんな格好で宴の席にお出ましになるつもりではないでしょうね」
 びくりと身をすくめたフィンウェに、声はなおも続けた。
「呼べばいつでも参りますとは言わなかったでしょうか?それともお忘れですか。私を捜しているのに、名を一言も口になさらないとは」
 片方の腕でフィンウェを抱きしめ、もう一方の手は髪をたどる。そっとすくいとり、口づけて、彼は囁く。
「フィンウェさま。お答えを」

「……とりあえず、放してくれないかな?」
 答えはより強まった抱擁だった。
「嫌です」
「それじゃ私は君の顔も見えない」
「顔を見なければ私のこともわからないと?」
「さあ、そんなことはないと思うけど――いや、記憶にある君の顔と違ったらどうしよう」
 耳元でふっと微笑む感じがする。
「子は成長するものですよ、父上」
「でも私の知る君はとうに成長しきって――、…」
 仰のいて、声はどこかに呑まれてしまった。抱きすくめたまま、彼がどこか恐れを滲ませて、言う。
「どうですか?記憶と同じ顔をしていますか?」
「……顔は同じだけど、こんな行動は記憶にない」
 すると彼は照れたようにそっぽを向く。
「成長の証です」
 やれやれ、と言いたげにフィンウェは微笑んだ。自由になった身で、彼に手を伸ばし、その頬に口づける。
「ああ、……あいたかったよ、フェアノール」

「フィンゴルフィンに会ったね?」
 問うと、フェアノールは憮然とした。
「会いました」
「どう?かわいいだろう」
「…………こどもは苦手です」
「またそんなことを言って。まあ、すぐに慣れるよ。君も“父上”になるんだから」
 ふわりと笑うフィンウェを、きょとんと見開いた目でフェアノールは見た。
「……どうして、それを」
「やだなあ。私がどれだけ君の“父上”してると思ってるんだい」