思いがけないアレ食べ会

 ヴァリノールの平原に佇む茶と灰の石の館、コール。
 主はエレンミーレ、ヴァンヤールの伶人。
 共に住むのはルーミル、ノルドールの伝承の大家。
 謎めいて近寄り難い印象を持たれる館と主たち。
 だが――

「香り草入り兎肉シチューが食べたい!」
「袋小路屋敷の食料貯蔵庫を空にしたい!」
 ……実態は欲望に忠実なオトナたちである。

   *

 ヴァリノールの平原のただ中に、歌と言葉の館コールはある。
 階の館とも呼ばれるそこは、やわらかな茶と灰色の段々を重ねた形をしている。
 館の主人はヴァンヤールの伶人エレンミーレ。
 だが、館をつくったのは彼ではない。ノルドールのルーミル――伝承の大家である。
 『ヴァンヤールの大移住』の際にエレンミーレと離れがたかったルーミルは、コールを築き、住んでくれるように請うた。
 ……と言えば恰好がつくが、真実は「エレンミーレ行っちゃやだ行かないで一緒にいようよ二つの木の光が見たいんだったらここでいいじゃんここに住もうよほらここなら二つの木もエレアリーナもティリオンも見えるよアマン一望だよ!!」と縋りついて泣き落とした、のである。
 泣き落としでイケると思ったのか、移住の気配を察して館を建てているあたりが策士である。
 普段はエレンミーレに「このボケノルド!」とさんざんに罵られている。ルーミルは暗記能力に欠けるあまりに文字…最初の文字サラティを開発した。音を表す記号を書いておけばいいんだ!というのがその主張だったが、暗記能力がないくせにどの記号がどの発音を表すのかは覚えているあたりが不思議である。
 性格はサラティにも出ていますよ、とエレンミーレはうっすら微笑みながら告げた。サラティの書写方向は定まっていない。上から下でも左から右でも、下から上でも右から左でも、あげく左から右に行って左に戻ってきて、と畑の畝のようにうねうね耕す書き方でも問題ない。いつだったかルーミルはぐるぐると渦巻状に書いていたこともある。あまりにも野放図なので初めて教わった時に、少年のフェアノールの眉間の皺がとんでもないことになっていた。そうでしょう私もそう思います。エレンミーレは心の中で密かに同意した。そしてフェアノールがほぼ全部作り直す勢いでテングワールを完成させた時、拍手喝采した。ありがとう、整理と秩序ありがとう。ルーミル自身だってテングワールにわぁ綺麗~、と喜んでいた。ボケノルドはズレていてこだわりも強いが、素直ないいこなのである。
 さてそんな素直ないいこのルーミルに泣き落としされたエレンミーレはヴァンヤールの伶人である。宴でもあれば上級王イングウェの近くに侍る。矜持は高く性格もきついのだが、同時に猫かぶりもお手の物であり、人当たりは本来は悪いが猫かぶってれば実に良い。社交が出来なくては伶人やってられない。というか交流は嫌いではない。……そういう人物がご立派な館を手に入れた。となるとやることはひとつである。
 コールは歌と言葉の館。主は伶人。同居人は言語学者。言語の解明、伝承の継承、歴史の記録、記憶を語る場…コールはアマンにおける一大サロン、同時に図書館でもある。クウェンディの叡智の収集された場、文句があるならコールにいらっしゃい、だ。余談であるがエレンミーレはこの言い回しをどうしてもどこかで使いたかったらしく、怒りの戦いの出陣時に戦場で敵に「あーはっはっは!文句があるならアマンまでいらっしゃい!!」と叫んでいたらしい。ルーミルは後にそれを聞いて非常にしょっぱい思いをした。敵、来たら困る。
 エレンミーレもルーミルも共にクウィヴィエーネンの生まれである。もちろん『大いなる旅』を経験してアマンにやって来た。都の作られていくのも、文化が発展するのも、二つの木が枯れるのも暗闇も戦いも新たな光も、すべてを見てきた。かつ、このコールの主たちである。謎めいて近寄り難い印象を持たれるのは当たり前と言えるのだが、実態は欲望に忠実なオトナたちだ。

 であるので。

 コールには赤表紙本がある。原本もあるが写本もある。分冊版もあるしクウェンヤ訳版もある。活字を作ってみた時、大はしゃぎしながら組んだのも赤表紙本だった。やたらと重い第1号の活版に、今も組まれたまま残っている。
 エレンミーレとルーミルが、適当に寄り添って別の本を読んでいることはよくあることで、その日もふたりは寛ぎながら本を読んでいた。赤表紙本だ。違う写本だった。開いている頁も違った。
 が、ある一瞬ふたりは同時に叫んだ。
「香り草入り兎肉シチューが食べたい!」
「袋小路屋敷の食料貯蔵庫を空にしたい!」
 エレンミーレは淡茶の瞳を細めてにんまりと笑った。
「それは、君も食欲が刺激されたって考えて良いんだな?」
「うん、おなかすいた…」
 とりあえず何か食べよう。
 ふたりは部屋を出て食料を探しに行った。レンバスしかなかった。若干がっかりしながら齧った。

 そういうわけで計画は本格化してしまった。

 サムワイズ殿なんて言ってたっけ?根菜の類関係は料理人殿に丸投げでいいんじゃないですか。それより兎を捕るのが大変なような。あとバターだよバター!ものすごい量だよ見てこれ!ルーミルこれ作り方ちょっと確認してもらった方が…こんなに使うんですか?使うよ!どうしようかこれ作りにいった方が良いよね?粉も挽きにいかないといけませんよねえ。せっかく作るんだから誰か呼びたいよね~。
 ぐだぐだ話しながら料理の作り方を書き出した。材料を見て、調達経路を考えて、ある日ふたりは館を出た。
 エレンミーレは平原へ兎狩りに、ルーミルは牧場と都へバターと粉を採りに行きました。
 どこぞの童話のような行動になっているが事実である。
 とはいえエレンミーレに狩りの経験はほとんどないのでルーミルは牛乳を入れた壺をぶんぶん振り回しながら、兎獲れたかな~?などと考えたりした。獲れてなかったら分けて貰うしかないよね。誰に頼もうかなあ。ぶんぶんぶん。考え事をしすぎて壺が飛んでいった。あ。吹っ飛んだ壺はぽぉんと音がしそうな軌跡を描いて知り合いの腕の中におさまった。
 そんなこんなで館に帰って来た時にはルーミルはバターをしこたまと小麦粉の袋を抱えていて、エレンミーレは兎を2匹首尾よくぶら下げていた。
「グロールフィンデル誘っちゃった」
「フィンゴンに兎獲って貰ったので御礼に食べに来なさいねって言っときました」
 双方とも適当に誘ったにしては大物であった。

 エレンミーレ兎捌けたの獲れないけど捌けるってどういうことなのうわあぁあああ見てるこっち見てるやめて首向けないでぇええなどとルーミルが騒ぐのを聞きながら、エレンミーレはせっせと兎を肉にした。こっち見てる場合か君は粉を量って振るえよ。エレンミーレは兎を捌き終えて豚肉の塊を手にした。
「なんかやたらと良い肉だな」
「あ、それね、エルロンドさまが出してくれて」
「はァ!?」
「ばったりお会いしてこれのこと話したら、ビルボのポークパイならこういう肉の筈って」
「……ぁあ」
「作り方も聞いたから。あとチーズ持ってきてくれるって~」
「……………てことはいらっしゃるんですねエルロンド」
「あ、うん」
「そういうことは早く言えこのボケノルド!」
 かくして翌朝、館の扉をほとほと叩いたのは稀有な半エルフが最初であった。

   *

 ポークパイ焼いてミンスパイ焼いて、生地をこねて焼いてこねて型抜いて焼いて、バターと小麦粉を合わせるのにルーミルが物凄く手馴れてきたり、作り方書いてるのどうして途中からサラティになるんだこのボケノルド!と怒鳴られて解読したり、お腹すいたレンバス齧るぜ!みたいな事態が発生したり、いろいろあったが準備はまあまあ順調と言えた。
 エルロンドは向こうの部屋で読書に励んでいる。マエズロスと一緒だ。
 1冊読み終わるとひょいっと顔を出して何か手伝うことありますか、と訊いてくるのでエレンミーレが顔に出さずにでれでれしている。あーかわいい癒される。あああ~~かわいいぃぃ。いいこだなぁああもおおぉぉおぉ。そんな感じにでれでれしている。エレンミーレの愛情表現はだいたい複雑骨折しているが、ルーミルには見れば分かる。
 マエズロスは昨夜遅くに『ふらっと来ました』風に館に来た。勿論ふらっと来たわけではない。
「フィンゴンから逃げてきたので泊めて下さいルーミルさん」
「フィンゴンさまから!? 明日来ちゃうよ!?」
「ああ、それ位でちょうど良いです」
 真顔で言ったマエズロスにルーミルが口を開けていると、横からエレンミーレが言った。
「痴話げんかでしょう。どうぞ」
 マエズロスは答えずにゆっくり微笑んだ。
 寝るところはいくらもあったのに書庫の長椅子に陣取ったのはルーミルには何故かわからない。明日の献立は何ですか、と訊くのでつらつら18品ほど並べ立てたら、お茶は4時、ですねと歌うように言ってさらさらと献立表を書いてくれた。
 それで、長椅子から長い脚をはみ出させて寝ていたものだから、エレンミーレがエルロンドに「手伝うこと今特にありませんから読書でもしておいでなさい」と書庫を示して、……すぐに「わぁ!?」という声が聞こえてきた。
「可愛がってるね?」
 エレンミーレに尋ねたら、ふふふと笑って孫弟子ですもの、と言われた。
「おじいちゃん精神だったのか」
「いやあ可愛いです。可愛くない弟子が育てたとは思えない」
「マグロールさま可愛いじゃんか。宿題が出来てないから来れないって言ってたよ」
「もうそういうの良いから来ればいいんですよあの子はもう!!」
 今度捕まえに行ってやる。呟かれてルーミルはびくっとする。この武闘派が走り出す前にマグロールに忠告をしておかないとかわいそすぎる。
 エレンミーレは生地を、びったん、と叩きつけた。そこに今度はマエズロスがひょいと顔を覗かせて、エレンミーレさん小部屋の鍵を貸してください、と言った。

 お酒を持ってやって来たのはエレストールだった。
 こちらが蜂蜜酒、こちらが葡萄酒、こちらが発泡麦酒、それから…と言い出したのをエレンミーレが遮った。
「ず、いぶん沢山ですね?」
「グロールが持って行ってくれと…」
「グロールフィンデル?こんな重いものばっかり何やってるんですかあの子」
「ちょっと珍しいものを採りに行くと言っていましたが」
 そうなんですね。さあさあ入ってあなたも読書ですね。エレンミーレが続けると、エレストールはきょとんと首を傾げた。
「わたしも?」
「エルロンドとマエズロスが勤しんでまして」
「それは嬉しいですね」
 いそいそと奥の小部屋に引っ込むのを見届けると、ルーミルが奥ってさ、と話しかけてきた。
「愛しの弟子の小部屋ですけど」
「だよね?」
「ふふふふ若気の至りを愛で子とその周辺に見られるが良い」
「すごい悪役みたいな発言やめようね」
 愛情表現がねじくれ曲がってるとはよく言われる。弟子の方もそんなところが似てしまったらしく、そこは見習わなくて良かったのにとも思うが愛しい弟子に変わりはない。
「なんで会いに来てくれないんですかね?」
「………これにかこつけて誘えばよかったのに」
 ルーミルが刺さるような一言をくれたので睨んでおいた。

   *

 シチューがぐつぐつ香草のいい匂いを漂わせて誰かのお腹がきゅうんと鳴いた頃にフィンゴンが来た。
 憔悴していた。
「…マエズロスさま、来てるよ」
 ルーミルがビビりながら言うとフィンゴンは風のように駆け込んで突撃していった。エレンミーレがもう出来ますから長引かせないで!と叫んだ。
 それからは盛り付けとの戦いだった。若干頬を赤らめたエルロンドがそそくさと書庫の方から逃げてきて、今度こそ手伝いますと言った。エレンミーレはまた顔に出さずにでれでれした。
 ローストビーフと言うがローストしてないローストビーフとか。甘酸っぱいグランドサラダとか。スコーンとケーキは積んじゃって良いですかねぇ、ちょっとそのチーズとクラッカー適当にお願いします。ピクルスこの皿で良いですか、ポークパイとシードケーキ切っちゃって、云々。
 食卓に所狭しと並べたら、話に聞く袋小路屋敷の思いがけないお客たちの宴っぽくなってきた。わくわくする。
「シチュー、配ってしまっても良いですかね…?」
 真ん中にどどんと鍋を置きながらエレンミーレが呟いた。
「グロールフィンデルがまだだよ!」
 えー、とか言っているのを宥めていたら、
「グロールフィンデルただいま参りました!」
 と良い声が聞こえた。エレンミーレがさっさと席に着く!と叫んだ。はい!でもこれ手土産です!差し出されたものにエレンミーレがきらきらした。
 えっ!? これ!? なんでですかどうしたんですかやだー! ちらっと覗いたら乳氷菓だった。主の大好物まんまと持ってくるなんて本当デキた男である。

   *

 宴は4時どころかだいぶ遅れて始まった。
 遅れて来た男・グロールフィンデルは気配りの男であり物配りも巧かった。さっさと取り分けてくれるし届かなかったら取ってくれるし。「頼れる奴…」と周囲が何度か呟いていたのがちょくちょく聞こえてきた。
 ごきげんになったフィンゴンは蜂蜜酒をくぴくぴ飲みながらミンスパイを食べ続けていた。小動物みたいに膨らました頬をマエズロスがつつきたそうに見ていた。
 そのマエズロスはアップルタルトがお気に召したらしく、エレンミーレさん後で作り方教えて下さいね、とお願いしていた。良いですけど。と言ったエレンミーレがなんだか微妙な顔をしていたのは、きっと「マエズロスが作ったアップルタルト」だなんて何かとんでもない宝物になっちゃうんじゃないだろうか。と考えていたからに違いない。全力で同意する。
 頼れる男グロールフィンデルの隣でエレストールが不意に涙目になった。どうしました!? と、トマトから酢が…。ピクルスのトマトと卵がお気に入りで食べていたのは見えていたけれど、どうやらトマトが弾けた際に酢が喉を直撃してくれたらしい。どれどれと食べてみてルーミルも悶絶しかけた。これは直撃する。口直しに温かく果実とスパイスが入った葡萄酒を飲む。浮いている果実も甘くて美味しくて、むぐむぐ食べていると何かふわふわしてきた。
 眼の前でお肉をつまんだエルロンドが手を滑らせてフィンゴンのシチューに肉を飛び込ませた。す、すみません!肉を除くがソースがシチューと混ざっている。焦るエルロンドの前でフィンゴンはにっと笑って「エレイニオンには内緒な」と囁くと、くいーっとシチューを飲み干した。頬を染めるエルロンド。逆隣ですごい勢いで顔を逸らすマエズロス。あ、これ、惚れるわバカヤロウ的なやつ…
 そこまで考えてふわふわしすぎてルーミルは後ろにがくっと倒れた。
「ルーミル!? 君葡萄酒の果実食べて――」
 エレンミーレの声が遠くに流れて消えた。

   *

 ルーミルが酔っぱらってひっくり返った以外は概ね良い会だった、と言えるだろう。
 エレンミーレ曰くの愛しの弟子、マグロールの小部屋が気に入ったマエズロスとエルロンドは何故か宴の後ものんべんだらりと居続け、エレンミーレはくすくす笑いながらふたりをせっせともてなし、ルーミルはふわふわが終わったらヅキヅキしだした頭を抱えてそれを見守った。もう葡萄酒の中の果実なんか食べない。
 準備から含めてずっと楽しかったなぁ。ぼんやりと考えてルーミルは笑う。
「今度はマグロールが呼べると良いね」
「………今度の予定なんかありませんよっ」
 ふくれたエレンミーレを見てルーミルは笑みを深くした。そんなこと言って、作り方をせっせと書いていたのを知っている。
「マエズロスのアップルタルト争奪戦で忙しいかもしれないもんね」
「マエズロスにはタルトをここで作ってもらうことにしましょう!」
 さっそく手紙を書き始めたのでルーミルは今度こそ吹き出した。エレンミーレが拗ねたように睨んできた。