アマンの東岸は、南北にそれぞれ全く違った気候を持つ。
南の端はヒァルメンティアの山裾が大きく張り出し、海は暖かい。一説によると、ヒァルメンティアの切り立った崖を越え、さらに海岸線を辿れば、南方でもやはり寒くなり氷の張ることもあるという。だが踏破できる範囲での「南」は暖かいものだった。北の端に位置するのがヘルカラクセ、軋む氷の海峡である。張りつめた氷の大地は大きく東へ向かい、その果ては中つ国の北西の端、アラマンへ続いているのだという。
さて、エイセルロスはたびたびアマン中を駆けめぐっていた。中つ国への道はふたつしか無かった。船を造るか、歩いて氷の海峡ヘルカラクセを越えるかである。かれは初め、テレリ族に船を借りようと思い立った。そこでかれはトゥーナの影なす道を降り、光を受けるトル・エレスセアを眺めやると、そのまま北へ向かい、白鳥の港を目指して歩んでいった。エイセルロスはしばしばアルクウァロンデまでも駆けていったが、船を造る工程を目の当たりにするのは初めてだった。
テレリ族はさざ波のように歌いながらその仕事を成していた。木を伐り、帆を織り、縄を編み、寄せては返す波に揺られながら船を形造っていくのである。かれはじっとその光景を眺めていたが、やがて立ち上がり、真珠の宮のオルウェの所へ挨拶をしに行った。
オルウェは浮かない顔をしているエイセルロスに理由を問うた。エイセルロスはしばし逡巡した後、静かに言った。
「船を、借りようと思ったのです」
訝しげなオルウェに、かれは続けた。
「わたしには、リンダールの妻がいます。中つ国に。長い間、言えずにいました。けれどわたしは中つ国へ行きたい。妻に、あいたい」
エイセルロスはしばし黙した。かれの心は決まった。
「船を借りようと思ったのです。ですが、わたしは今日初めて船を造るところを見ました。木を伐る姿を、帆を織る姿を、縄を編む姿を、そしてそのひとつひとつが丁寧に組み合わされ、海と語らい、波をすべる船となっていくのを見ました。美しかった。あれは、リンダールの方々の宝なのだと、思いました。わたしは宝を借りるに値するでしょうか。……いいえ、誰であれ、気軽に借り受けられるものではないのです。ですから、わたしはもうひとつの方法を取ろうと思います」
エイセルロスは、ほっとしたように笑った。
「幸いにも、わたしの足は充分に駆けられます。心を強く持ち、警戒を怠らなければ、氷の海峡を越えることが出来るでしょう。越えればわたしの望みは叶います。長らく願ったことが」
「いいや、エイセルロス。それはいけない」
オルウェはかぶりを振った。
「確かに船はわれらの宝、貸すことはできない。どんな理由があれ、どんなに親しい者にも。だが氷の海は越えられまい。そこで命を落としてしまうかもしれない」
しかしそこでオルウェはほほ笑んだ。
「けれどローメンディル、船は貸せないが、わたしたちは船造りの技を貸さないわけではない」
エイセルロスは驚嘆してオルウェを見つめた。海の民の王は、静かに続けた。
「そなたが船を造れば良い。そなたに請われて教えない者はおるまいよ。技はわれらのもの、そしてわたつみの主たちのものだが、そなたが自分の手で覚え自分の手で成すのなら、それはそなた自身の船だ。誰にも奪えない」
エイセルロスは深い感謝の念に頭を垂れた。
それからかれはテレリ族に立ち混じり、その技を習い覚えた。木と語らい伐る術を、組み上げ形にする術を、帆を織り広げる術を、縄を編み結ぶ術をである。テレリ族はかれを歓迎した。かれの一途さと熱心さは、誰の心をも打つものだったからである。
エイセルロスは海に触れ、海を学び、海に親しんだ。今までとて幾度も訪れていたが、立ちふさがるものとしてではなく、助けとなるものとして触れ合うのは初めてであった。かれの心は浮き立っていた。なんとなれば、この海はフィリエルに続いているのであった。かれは自らが波に溶け海を渡り、川を上って星明かりの森にたどり着く心地がした。中つ国はアルクウァロンデよりもなお暗い空と薄明のもとにあるのだった。その薄明でかれはかの女と出会い、永遠の愛を誓ったのだった。
じきに!エイセルロスの心はかれ自身に言った。長くはかからない、じきに!そしてかれは船造りに戻った。