「私の曲に気が付いたら詞がついてめちゃくちゃ有名な歌になってる…」
と、エレンミーレが言ってきた時、ハイハイ良かったですねと軽くあしらったのはマグロールである。ちょっと忙しかったんですぅううとは後程ダイロンに零した愚痴である。
「詞が色々あって面白いので比べてみたいですね。マグロールが知っているかはわかりませんけど」
「すみませんでした」
「そりゃあもう港に行けばどこでも聞けましたね。港に…、ああ、行かなかったんですね、そうですね」
「お師匠さん…」
「ダイロンもこの前聞いたんでしたっけ?」
「え、あ、うん」
入ってきたばかりのダイロンがおろおろとこちらを見て来る。大丈夫です拗ねてるだけです。早くルーミルさん帰って来ないかな。そんなことを思いながらマグロールは小さく頷いた。
そろそろと上目で見てみれば、エレンミーレはあからさまにぷいっと横を向いて、唇をとがらせていた。
「……話を聞かなかったのは悪かったと思っています」
エレンミーレはぷいっとしたままだった。マグロールはちょっと低い声を出した。
「でもそれが別の子をいじめていい理由にはなりませんからね」
じい、っと見上げてみると、とがった口の端がすこし下がる。ややあって、もう分かりやすく拗ねた声が返る。
「…………いじめてませんー」
「泣いてましたよ、リンディア」
事実を告げると、ぐ、とかそういう声を出してエレンミーレが口を曲げた。ダイロンがぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。
リンディアは件の歌の詞を書き出すべく呼ばれたらしい。彼は確かに「歩く譜箱」の異名持ちだが、何かこう不機嫌なヴァンヤ伶人に急かされてはそれは恐ろしかったことだろう。マグロールは、エレンミーレにいじめられましたってエルロンドに泣きついて良いですよと入れ知恵した。
経緯はともかく、件の歌の詞は、なんと5つもあるらしい。
気を取り直したエレンミーレがいたく満足げに笑う。
「良い歌でした」
「自分の曲に良く言うと思いますけどそれでこそお師匠さん」
「あっエレンミーレさんのなんだ!? どうりで」
言った後、しまった!というふうにダイロンは自分の口を手で押さえた。
「(どうしました)」
「(旋律がえげつないと思った…)」
エレンミーレがあんまり我が道を突っ走るものだから、後輩伶人たちは目と目で会話が出来るようになった。
「(合ってます)」
「(えとえと)」
「本当に、こんな詞がつくとは思いませんでした…」
しみじみ息をつくようにエレンミーレが言うのに、気を取り直したダイロンが尋ねる。
「いつ作ったの? どういう曲なの?」
「あー…」
エレンミーレは竪琴を引き寄せると、初めの方の旋律を奏でる。
マグロールはその調べに、湧き上がる細かな泡の粒を思う。
「ええ、その、海…、海が…。まあ、海の曲です」
歯切れ悪く言う。海。確かにそうだろう。湧き上がる泡はなめらかに広がり、広がり、波を生み、打ち寄せ、飲みこんで果てを知らず流れ…
きらめく波の下を、深い底へ向かう水のつめたさを、たゆたう風景、飛沫の音楽。
遠い空に続くよう、すすむ船の、灰色から銀色の――
「言葉が、途中の詞で混ざるんですよねえ」
マグロールは息を呑んだ。気づけばエレンミーレとダイロンは寄り添って歌詞を覗き込んでいる。
「西方語にシンダリン、アドゥーナイクにシンダリン、シンダリンにクウェンヤ、アドゥーナイクにクウェンヤ、クウェンヤにシンダリン、歌われた場所で違うと言えばそうですが」
「ヌーメノールでも歌われてたんだ」
「ええ、でも私が聞いていたのはこちらの途中がシンダリンので、クウェンヤの方のは今回リンディアが出してきたんですよ…」
あの子何を頭に詰め込んでいるんだろう。少し不穏なことをエレンミーレが言う。
―――その歌は、港で歌われる。中つ国でも西の地でも変わらず。そしてどうやら波の下に沈んだ贈り物の地でも。
「歌ってください」
え、とエレンミーレが顔を上げた。マグロールは微笑んだ。
「聞きたいです」
「………唄うの、初めてですよ?」
「おれも聞きたーい。エレンミーレさんの曲って、エレンミーレさんの声にすごく合う」
ダイロンが笑った。くすぐったいような顔をして、エレンミーレは詞を手に取った。アドゥーナイクに、クウェンヤ。
ああ、それだ。マグロールは胸がどきりとするのを感じる。祈りの歌だ。おまえも…
(彷徨っていたのだろう)
宝玉の声が海を奏でる。遠い潮騒を、マグロールは思い出しはじめる。