宝玉女王の物語1(おとぎ話調タル=ミーリエルの話)

 昔々あるところに、たいそう栄えた王国がありました。
 王は心正しく、神を敬い、未来をよく見通す立派な王でしたが、ただひとつの悩みごとは後継ぎたる王子のいないことでした。
 王にはたいそう美しい姫がひとりおりました。産まれた時から銀よりも真珠よりも象牙よりも類いなく美しい姫でしたので、宝玉姫と呼ばれておりました。
 宝玉姫には父王も知らぬ秘密がありました。姫が産まれた時、その額には輝く角が生えており、手には銀のようにきらめく青いマントを握りしめていたのです。
 姫がマントを身にまとって
  おお朝よ 私の光
  影が形に添うように
  私の姿を変えておくれ
と歌うと角が輝き、姫は男の子に変身することができました。
 宝玉姫の母である王妃は角を恐ろしく思い、王には隠して決して見せようとしませんでした。宝玉姫にも角とマントのことは決して誰にも教えてはならぬと言い聞かせ、王宮の奥深くで誰の目にも触れさせぬよう大事に育てました。
 けれど姫はたびたび角とマントで男の子に変身し、王宮の外へ出かけていくのでした。
 王宮の南には深い森が広がっていましたが、これは王の持物ではなく、王の弟の大公の領地でした。大公は領地の森に誰かが入り込むのを禁じていました。そればかりではなく南の森には黒い針の毛並みを持つ恐ろしい獣が出るという噂でしたから、民もあえて近づこうとはしないのでした。
 姫もその噂は知っていましたので、外へ出るときも南には行かないようにしていました。
 けれどある日、どうした弾みか姫を乗せた馬は南の森に迷いこみ、姫は南の森の獣に追いかけられました。
 逃げ惑ううちに馬を無くし、転んだ拍子に変身が解けました。宝玉姫はきらめく角をさらし、光るマントを身にまとったまま森をさ迷いました。
 そこに現れたのは森の主である大公でした。宝玉姫は叔父に会うのは初めてではありませんでしたが、角をさらしていることに気づき、慌ててマントにすっぽりとくるまりました。
 ところで、宝玉姫の母である王妃が心から信頼しているのは、夫である王ではなく、この大公でした。
 王妃は幼い頃、大公と共に育ち、てっきりこの大公に嫁ぐのだと思っていたのです。
 王妃は大公にのみ宝玉姫の角のことを打ち明けました。角を隠して育てるようにと進言したのは大公だったのです。
 大公は言葉を尽くして宝玉姫に語りかけました。角のことを知っていること、そしてどうか輝く角をひとめ見せて貰えないかと頼みました。
 宝玉姫は大公の言葉を聞くうちに、頭がぼんやりと霞がかかったようになって、おずおずとマントから顔を覗かせました。夕暮れの最後の光に照らされて、輝く角が美しく光り、大公の目を射ました。
 突然、大公は剣を抜き放ちました。宝玉姫が驚いて身を引く暇もあらばこそ、大公は物凄い勢いで姫に掴みかかり、姫の角を切り落としたのです。目も眩むような閃光が走り、姫は一声叫んで気を失いました。
 宝玉姫が気がつくと、夜になっていました。大公はまだそこにいて、夜闇の中で光る角を握りしめて、何やら呟いておりました。姫は恐怖にかられてその場から駆け去りました。
 王宮に近づくにつれて額が燃えるように痛みました。姫は青ざめて震えながら自室へたどり着くと、一言も口を利かず、鏡を見ず、マントにくるまり寝台に潜り込みました。そして真っ暗な夢の中へ落ち込んで行きました。

 宝玉姫は三日三晩寝込みました。燃えるような高熱と凍えるような悪寒が交互に襲い来たり、切れ切れに見る夢はどれも重苦しく暗いものでした。
 それでもやがて悪夢は去り、宝玉姫がようよう身を起こした朝、傍らで微笑んでいたのは父王でした。姫は驚いて寝具に引っ込みました。父王は優しく笑って宝玉姫の額を撫で、臣下たちを呼びながら部屋を出ていきました。
 姫は恐る恐る自分の額に触れました。決して見せてはならぬ額は、今は晒されて、そして何もありませんでした。姫は鏡に駆け寄りました。覗きこんだ先にはただ滑らかな額があるばかりで、角も、その痕跡も何一つありませんでした。
 宝玉姫は母に私の角はどこへ行ったのかと聞きましたが、母はまるで角のことなど何一つ知らぬように首をかしげるばかりでした。ただ、銀色のような青いマントは枕元にきちんと畳んでありました。姫をまるごとくるんでしまえる大きさもそのまま、ただし、姿変えの歌を歌っても何も起こりはしませんでした。陽の光を受けてきらきらとさざめくばかりでした。
 宝玉姫は自分に角があったことが幻なのかもしれないとすら思いました。もう額を隠す必要もなく、隠れて暮らす必要もないのです。
 父王と共に食事をしているとき、王は姫の顔が見られて嬉しいと言いました。宝玉姫は、角を隠していたために父と向かい合って食事をしたことすらなかったことを思い出しました。
「余の娘はよほどの恥ずかしがりやじゃと思うておった」王は言いました。
「もう、私は隠れたり致しませぬ」
 宝玉姫は王をひたむきに見つめました。それから付け加えて、「世継の勉強も致します」と言いました。
 けれどもう、宝玉姫は男の子にはなれません。父王が、宝玉姫が男の子でないことを残念に思っているのは分かっていました。王のその心は、宝玉姫が世継として色々学び始めると余計にふくれあがりました。姫はまことに賢く、優しく、国を思う心に満ちていました。これで男の子であったならば、どれほど偉大な王となったでしょうか。来るべき女王となる日に、相応しい夫を見つけねばならないと王は思いました。

 王の世継として学びはじめてから、月日は飛ぶように過ぎていきました。過去のことが幻のように思えても、大公が宝玉姫の角を切り取ったのは確かでした。そしてその角をおそらくまだ大公が持っていると思うと、姫は落ち着かない気持ちになるのでした。姫は大公を警戒していましたが、そもそも王と不仲のため、大公が王宮まで来ることは滅多にないのでした。王宮では、姫は安心していられました。
 ところが角を失った日から数年経ったある日、宝玉姫は王の世継として南の森へ行くことになりました。もちろん大公への使いです。
 姫は世継として正しく装った後、マントをぐるぐる巻きつけて、呟くように歌いました。
  おお夜よ 私の帳
  影が形に添うように
  私の姿を隠しておくれ
 姫の額は燃えるように熱くなりましたが、何も起こりはしませんでした。ただそのマントは夜明けのようなきらめきから少し夕暮れのような霞色に変わりました。姫は溜め息をついて、マントを翻して出かけました。
 大公は宴を催していました。普段は立ち入りを禁止されている南の森は開かれ、民も大勢森を歩いていました。姫は十人の供と十頭の犬とを引き連れて行きました。宴には貴族たちが招かれていました。東の平原の領主も、西の山の領主も来ていました。西の山の領主は兄弟で来ていました。西の山の領主家は遠い昔に王家から分かれた家で、時々王妃をこの家から迎えるのでした。姫の母は違う家の出でしたが、父王の母はこの家の娘でした。
 使いは滞りなく済みました。宴も果てて、貴族も民も帰路につきました。宝玉姫は使いの仕事が済んでしまうと、まるでかつてのようにすっぽりとマントにくるまって大公にお別れを告げました。そして開かれた森の道を進んで行きました。
 ところが館が見えるか見えなくなるかの所で、道の外の森から不意に黒い塊が飛び出て来ました。それは南の森の獣でした。針の毛並みを持つ獣が一声吼え、宝玉姫と十人の供と十頭の犬とは慌てて大公の館へ駆け戻りました。しかしどうしたことでしょう、姫が館に入るや否や、館の門は音を立てて閉まり、十人の供と十頭の犬は館の外に取り残されました。そして森の暗い陰から、恐ろしげな唸り声が聞こえてきたのです。
 大公の館は静まり返っていました。宝玉姫は大公を探して呼び求めました。やがて応える声がして、大公が現れました。
 姫は南の森の獣のことを訴えましたが大公は首をかしげ、姫を伴って見に行くことにしました。門まで戻ってくると外は静まり返っていました。耳の痛くなるほど静まり返った中で、ふと大公は姫にマントを貸してくれるよう求めました。
 姫は断り、門に手を掛けました。
 その瞬間、大公の姿はあの黒い獣に変わり、宝玉姫に唸りながら襲いかかりました。姫は悲鳴を上げました。
 鋭い牙と爪がマントを引き裂きました。宝玉姫は門にすがるように倒れながらこう叫びました。
  おお夜よ 私の帳
  影が形に添うように
  私の身体を運んでおくれ!
 黒い獣は不気味な唸り声を上げました。霞色のマントは深い青にきらめき、半分にちぎれました。
 けれど宝玉姫は残った半分のマントにくるまれて、もう森のふちにおりました。
 十人の供と十頭の犬はどうなったのでしょう。姫がよろめきながら立ち上がったその時、森の奥から怒りに満ちた吼え声が聞こえてきました。姫はすっかり青ざめて駆け出しました。
 いくらも行かぬうちに、宝玉姫は東の平原の領主の列に追いつきました。
 助けてください、助けて!
 大公が獣になって私を襲います!
 姫は叫びましたが、その声は誰にも聞こえず、その姿は誰にも見えないようでした。
 宝玉姫は風のように列を過ぎ行きて、さらに駆けて行きました。
 次には西の山の領主の列に追いつきました。
 助けてください、助けて!
 大公が獣になって私を襲います!
 宝玉姫はまた叫びましたが、やはりその声は誰にも聞こえず、その姿は誰にも見えないようでした。
 姫は風のように列を過ぎ行きようとしましたが、ところがここで何か見えたのでしょうか、領主の弟がふと剣をひらめかせ、空を切りました。それは不幸なことに姫のマントを切りつけたのです。ぱっと青い光が飛んで、夜の帳の色をしたマントはちりぢりに舞いました。姫は空に落ちるように投げ出されました。
 そして宝玉姫はもはや知らない道に、ハンカチほどになったマントを握りしめて立っていました。
 乾いた道には潮の香りがしました。振り向いても森すら見えず、横を見ても岩が迫るばかり。前の方は薄明かるくなっています。巨岩に囲まれた道を、もうどうにも仕方がなく、姫はしょんぼりと歩いて行きました。
 道はくねくねと曲がりながら巨岩の隙間を縫うように続きました。光は前から射すのですが、陽の光でも月の光でもありません。
 その時、前から唸り声のような響きが伝わり、宝玉姫は心細くなって小さなマントの切れ端を握りしめました。響きは大きな溜め息のようにゆっくりと消えていきました。姫はおそるおそる歩みを進めました。
 そして、大きな大きな岩の洞に出たのです。
 洞の中には入江のように海が入り込んでいました。姫の国は大きな島でしたから、海は国の周りをぐるりと取り囲んで、幼い頃から馴染みの深いものでした。とはいえ、宝玉姫は海に近づいたことも泳いだこともなかったのですが。
 姫は波打ち際へ引き寄せられるように進み、はっと立ち止まりました。入り江には骨のような白い何かの残骸が打ち寄せられていました。
「水をください。水を」
 唸るような声がしました。宝玉姫ははっと振り返りました。その入り江には大きな黒い化物がいました。まるで南の森の獣のような、とがった毛並みの化物でした。けれどもそれはひどく疲れて、くたびれているようでした。化物は岸辺にいるのですが、岩と岩の間に挟まるように絡まり、それで身動きが取れないのでした。化物の顔の先には泉が湧いているようなのに、そこへはどうしたって行着かれないのでした。泉の反対側で長い尾の先は海に潜るように消えていました。
「水をください。水を。燃えるようだ!」
 化物は言い、そしてあの唸り声をあげました。
「わたしが水をやったら、おまえは何をくれる?」
 宝玉姫は泉の前に立ち、化物をじっと見つめました。黒い毛並みの奥で、暗い眼がきらっと光りました。
「姫よ、あなたを王宮まで連れていこう」
「王宮へは行きたくないと言ったら?」
「姫よ、あなたの望むところへいこう」
「わたしに触れないと約束するか?」
「姫よ、あなたの許しがあるまでは!」
 化物の答えを聞き、宝玉姫は両手いっぱいに水を掬い、化物に飲ませてやりました。
 化物は一度、二度、三度喉を鳴らして水を飲みこみ、まるで溜め息のような声を三度上げました。
 それから一度身体をふるうと、その毛並みはひとすじの先まで黒い真珠のような輝きに満ちました。
 二度身体をふるうと、身体中から目も眩むような財宝が転がり落ちました。化物は一回り小さくなったように見えました。
 三度身体をふるうと、長い尾がしなり、入江の骨のような残骸が引き寄せられました。化物は岩から抜け出し、入り江には骨のように白い一艘の船がありました。
「さあ姫よ、どこへ参りましょう?」
 化物は優雅に船に乗り、姫を仰いで問いました。
 宝玉姫はただ一言、こう言いました。
「西へ!」
 それから宝玉姫は、財宝の中から銀の杯を拾い、泉の水で満たして船に乗り込みました。
 姫の国は大きな島です。世界の西の果ての海に浮かんでいるのですが、島よりも更に西の西、世界の果てには神の国があるのでした。ですから島の人々は、西への航海は禁じられておりました。
 その禁じられた海へ、化物と姫を乗せた骨の船は進んで行きました。
 化物が帆柱へ息を吹き掛けると、息は炎のように光り、見る間に帆を張りました。光の帆に化物の尾が絡みついたと見えたのは、今やすっかり光の縄に変わっていました。光の帆を光の縄で操り、化物は船を進めました。
 ところが太陽を追いかけて西へ幾らも進まないうちに、怪物はしゃんとしていた背をこごめて、あえぎはじめました。帆はまっすぐに張られ、光の縄を掴む手はまた一回り小さくなったようでした。
「水をください。水を!燃えるようだ」
 化物は言いました。
 そこで宝玉姫は化物に近づき、銀の杯から水を一度、二度、三度飲ませてやりました。
「ああ、冷たい、冷たい」
 化物は喜び、その身体はますます光り輝きました。化物はしゃんと背を伸ばし、力強い腕で光の縄を掴みました。船は太陽を追いかけて西へと進んで行きました。
 太陽が西へ遠ざかり、背後の空に月が顔を覗かせた頃、船は向かい風に抗っていました。西へは行かせぬ力が強く働き始めていたのです。
 化物は光の縄を操り、船はじりじりと西へ進んでおりましたが、ついに化物は言いました。
「水をください。水を!燃えるようだ」
 杯の中はもう空でした。すべて飲み干してしまったのです。
 薄れ行く太陽の光を見ながら、宝玉姫は涙を流しました。その涙は瞬く間に杯を満たし、姫はその涙を一度、二度、三度、化物に飲ませてやりました。
「ああ、甘い、甘い」
 化物は喜び、その姿はますます小さく、けれど光り輝いて見えました。
 光の縄を掴む腕は逞しく、背は高く、西を見据える目は黒い真珠のように煌めいていました。
 船は風に抗い、西へと進みました。太陽は完全にその姿を隠し、船の背後から月の光が降り注いでいました。
 宝玉姫は振り返り、彼方に遠く王国の島が影のように佇んでいるのを見ました。
 風はますます強くなりました。光の縄を握る化物の手は絶えず強い力に抗っていました。
 宝玉姫は風に打ちのめされながら化物に近づきました。重い風に船はぎしぎしと軋みました。
「おまえの喉は渇いているの?」
「ええ、姫よ。けれど甘い涙で潤いました」
「おまえの手は血が滲んでいるの?」
「ええ、姫よ。けれど力は変わりません」
「おまえはどうしてこうまでしてくれるの?」
「それは、姫よ。あなたを愛しているから!」
 化物は答え、けれど帆を操る光の縄は放しませんでした。その掌は擦り切れ、血が滴っていました。
 宝玉姫は化物にすがりつき、こう叫びました。
「やめて、光の君。もういいの。もういいの!」
 その時目も開けていられない強風が吹き、化物はついに光の縄を離しました。化物と宝玉姫はもつれあって倒れました。風はぐんぐんと船を吹き返し、島へ向かって進めて行きました。
 宝玉姫は化物の手を取り、涙で傷口を洗いました。マントの最後の切れ端をすべて使って包帯にしました。化物は貴公子に変わっていました。
 貴公子は大公の息子で、黄金公子と呼ばれておりました。宝玉姫は、このいとこと会ったことはほとんどありませんでした。ふたりは見つめあい、見つめあううちに船は島の港へ流れ着きましたが、ふたりは一言も口を利きませんでした。
 船を降りる時、黄金公子は宝玉姫に手を差し出しました。姫はその手を取り、船を降りました。港には王も、王妃も、すべての人達が迎えに出ておりました。ふたりは散々に西へ向かった理由を問われましたが、ふたりとも一言も口を利きませんでした。