「恋歌なの?」
やけにくぐもった片割れの声で意識が浮上した。エルロンドが目を開けずにいると、ギル=ガラドの声が「きかなかったのか」と答えた。
「聞いたかも」
「どうだろう。マグロールは子守歌の方で唄っただろうが、」
眠りの少し残る思考の隅で、言葉が繋がっていく。歌の話?思っていると、降り注ぐように歌が聞こえた。
深い闇をみなければ
遠い海を渡らなければ
星のもとへはゆけない
それがあんまり近くだったので驚いて目を開くと、目の前に黒髪が広がっていた。昼間はやわらかな金色の彩が見えるが、夜の月あかりには銀色にひかる、――どうしてギル=ガラドも同じ寝台にいるんだろう。エルロンドはぼんやりしたまま手を伸ばして彼の髪を思うさま梳いた。ん、とギル=ガラドは少し顔を傾けて、エルロスを呼んだ。
「エルロンドが起きた」
にゅっとギル=ガラドの背中に腕が伸びてきた。エルロンドは片割れの手を軽くはたいたが、エルロスは一向に気にせずギル=ガラドを抱きしめてうんうん唸っている。
ギル=ガラドは小さく笑った。と、また歌が降り注ぐ。
怖い夢をみなければ
暗い森を通らなければ
君のもとへはゆけない
エルロスの腕から力が抜けた。見ていて面白いくらいだった。
「あれ? 寝たか?」
「……ねてないよぉ」
するっと腕が消えた。エルロスは仰向けになったようだ。ギル=ガラドも仰向けになって、エルロンドの方を見て微笑んだ。
「うん――そろそろおひるね時間は設けなくても良いかなと思っていた。エルロンドはたくさん寝るがエルロスは寝ないし」
「なんか微妙に気になる話するよね。花びら貝の男の子の話とかさ」
「あれは赤桟橋の親父さんの話だから、まだ本人から聞けるよ」
「えっ? そういうやつ…」
エルロスはぶつぶつぼやいた。エルロンドはその間じっと思い返していた。知っている子守歌だ。確かに、詞が違う。
「マグロールは子守歌の歌詞だったよ。恋歌なの?」
エルロンドが訊くと、ギル=ガラドは溜息のようにうん、と答えた。
「私もそう聞いた、というだけだが。西に渡った者とこの地に残った者の歌だと」
ああ、と双子は同時に声を洩らした。だから遠い海、なのかと。
「あの…、あのさあ」
エルロスが嫌いなものを飲み込んだ後みたいな声を出した。
「おひるね時間、無くすんじゃなくって、こういう話する時間にしない?」
エルロンドは天井を見つめながらにっこりした。エルロスがぐるぐるもやもやしていたのを知っていたからだ。
「この本どこから?とか聞きたいことたくさんあるよ」
「そうだよお話のこととかさあ……歌のことも」
「ああ、うん…?」
双子でたたみかけたので、ギル=ガラドは考えこむような応えをした。
「そうだな。私も館を出ることが増えるだろうから、三人で集まる時間は確保した方が良い」
え、とエルロンドは音のない驚きを吐き出した。エルロスがきゅっとギル=ガラドの腕に抱き着いた。
「どっか行くの?」
「あちこち行く――が、まずは街へ、一緒に行こう。人の子の歌が聞ける。元気で面白い」
うん、それは行くけど…。エルロスの声がしぼんだところで、エルロンドも反対側の腕に抱き着いた。
「かえってくるよね?」
ギル=ガラドが一瞬身を強張らせたのがわかった。
「……ん、勿論」
おとなの声で答えたな、と思った。エルロスがとがった声で言う。
「かえってこないとか、無しだから」
「わかってる」
「どこ行くか知りたいんだけど…」
「教える」
「ついて行ったらダメなの?」
「まだ分からないな」
双子が両側から言い募っても、ギル=ガラドはひとつずつ答えてくれた。エルロンドは安堵と共に、遠い嵐が近づいてくる予感を感じていた。