つなぐ

 母はアルクウァロンデにいると言うので、フィンロドはティリオンを出た。出る時に父がランプを渡してきたので、さほど疑問も抱かずに受け取ったが、東の大門、影なす道へ一歩踏み出して、フィンロドはあっと小さな声を上げて立ちすくんだ。
 ティリオンの都の東の大門の外、トゥーナの丘の東側は『影なす道』という。その昔、光は西からしかもたらされなかったから、トゥーナの丘は自身の影をカラキリアに落とし、トル・エレスセアを臨む岸辺までが常に影の中にあった。その日々、影なす道を降って、幾度アルクウァロンデまで駆けていったことだろう。星明りの遠い岸辺をゆくと、淡い灯火を幾万燈した真珠の都が見えてくるのだ。ティリオンへ向かう時には影の中で、見上げればミンドン・エルダリエーヴァの鋭い銀の光が白い塔の照り返しで朧に燃え、手に取れる星はあのようなものであろうかと思わせたものだった。
 影なす道にはほとんど建物はない。影の中でも静かに根を張る草が、やわらかく丘を覆っていただけだ。――その筈が。
 フィンロドの眼前に様々な緑が広がっている。彼方の東の空で、今輝きはじめた太陽の光が燦々と空を明るく彩り、丘の緑をやさしく揺らす。その深さと鮮やかさを変える草々に寄り添うように、道を示すように、置かれたものがある。
 フィンロドはそのひとつを足元から持ち上げる。自身が今、父から受け取ったランプを持っているように、アルクウァロンデでは灯火の必要な時にそれを持つ。白い巻貝を基にしたランプは、アルクウァロンデでは最も見慣れたものだ。
 傾ければ、りゅりゅと水の音がした。太陽の下ではほのかな乳白色の殻の色を透かすそれが、灯火としてはどんな光を放つかを知っている。
 フィンロドは巻貝ランプを足元に戻し、目を眇めて丘を見渡した。道をたどって、ランプはどこまでも続いていると思えた。
「ひとつ、」
 フィンロドは歩みに合わせて口ずさむ。巻貝の数を数えて、降る足取りは光のように軽やかだ。
 ………千を超えてもう少し数えて、巻貝は輝く鋼に姿を変えた。石を抱える網の形、そちらはティリオンで最も見かける灯火のかたち。
 フィンロドは中腹で立ち止まる。行く先の岸辺を見て、そのまま北を見晴らせば、陽光に波を光らせる海の隅に、円やかな真珠の色が見える。フィンロドは弾かれたように丘を駆け降りる。

 母は一緒には来てくれなかった。フィンロドは、母に渡された巻貝のランプを持って家路を辿る。月光は遠く、星の光もまた遠い。巻貝のランプは石のランプはまろい金色、石のランプは青い星の輝き。歩むたびに光がふたつ、手元で揺れる。
 揺れる、揺れる、かつての日々よりも夜は深く、岸辺も暗く、胸を軋ませる。
 ふたつのランプを掲げて、夜の暗さを量ろうと思った時、それが見えた。
 青い輝きが丘を登っている。ゆるやかに道を示すそれは、中腹からは金色の光に変わり、都へと繋がる。頂点に白い塔がぼんやりと浮かび、銀の鋭い光が変わらずにある。青と金の光は、風が吹くたびにさらさらと揺れる。丘を彩る緑は、ランプを支え、ランプを隠して光を息づかせている。
 灯火に守られた道を登り、フィンロドは思っている。
 行きにひとつ。帰りにひとつ。
 ランプは誰から貰うのだろう。
 行きにひとつ。帰りにひとつ。
 暗い丘を行きて帰る、その歩みにひとつずつ。
 千を超えて、ティリオンとアルクウァロンデ、都をつないで灯火が咲いた。
 巻貝と石の境目に、フィンロドはふたつのランプを添えて置く。するともうどうしても父に今すぐ会いたくなって、フィンロドは丘を駆け上がる。

 東の空が暗い。押し寄せる嵐の報せに、丘を登って大門へ入るエルダールは皆、ランプを手に携えている。
 西へ遠ざかる太陽の光は、大門の西ではまさにとろけるような黄金の光を満たしているが、今この東の丘は、かつての名前に戻ったように暗い。
 影の中で、青と金の輝きがひとつずつ、並んで丘を登って来る。
 フィナルフィンは巻貝の金のランプを持っていて、エアルウェンは石の青いランプを持っている。
 ふたりの手はつながれている。
 重苦しく迫る影に胸ふさがる思いでいたフィンロドは、近づいて来る光にすこし微笑む。
 それから、大門をいっぱいに開いて父と母を出迎えて、影に沈んだ丘に背を向けた。
 嵐が近い。父母と両手をつないで、フィンロドはとてもちいさなこどもに戻った気分になる。