マエズロス

 幼い頃の遠いおぼろな記憶に、アルクウァロンデにいる時、父と母を訪ねてくるマイアというものがあった。
 軽い装いを幾重にも重ね、波の色をしたヴェールを被った髪は珊瑚と海藻の紅で、海のマイアと言うにはすこししっかりしすぎた眼をしていた。
 アルクウァロンデでしか見ないそのマイアは、最高の敬意を払われて然るべき両親にずいぶんと気安く接していて、両親の方も実に嬉しそうに出迎えていた。
 だからこそ、さぞや力あるマイアであろうと思い込み、大抵の相手には物怖じなどしないのに、彼には何となく近寄りがたく、遠目に見るだけだったのだ。――その楽しげに語らう姿を。
 彼と両親の会話は飛び跳ね弾む軽やかさを持っていて、その織り成す音楽が心地よく眠気を誘うことが常であった。
 ふわふわととらえ所のない記憶の中で、だがたったひとつ鮮明に覚えている彼の声は、不思議なことにその眠りと結び付いている。

 ……記憶はたやすく目と耳と結び付いた。
「………マイア」
 指をさして呟いた言葉に、従兄は整った眉をしかめた。
「誰がマイアだ?」
「昔のあなた」
「生まれてこの方クウェンディ以外になったことはないが?」
「でもあの時、わたしにはマイアに見えてたよ?」
 いい加減に下ろせと指を掴まれ、何だか楽しくなって、にっと笑った。
「ね、マエズロス、あなた全然変わってないんだね。だから分かった」
「何の話だ?」
 ことさらにコドモ扱いするように頭をぐしゃぐしゃと乱される。膨れる。やめてよ。
「幸せって何かって、わたしがちいさい頃、父上と母上と話してただろう。あなた、こう言ったんだ」

 見つからないような、でも向こうの様子が見えるような、ぎりぎり声が聞こえるかどうか――そんな場所を見つけるのはお手の物で、その日もその“絶妙な位置”に身を潜めて、客人と両親を見ていた。そのうちにふわりと眠気がさして、つい頭が重くなって、うつらうつらとしていた…。
「じゃ、君には?幸せって?」
 父のからかうような声がした。すると、重い頭に馴染むように、静かに、とても近くで声がした。
「一生では短すぎて見つけられないものだ」

 従兄は呆れたように笑う。
「今言ったこととは丸きり違うが…」
「どうして。一緒だよ。“生涯倦まずにいられたら”そんなふうに追いかけられるものがあったら――わたしたちの生ですら短いに決まってるよ」
 そんなものかな、と従兄はすこし夢みるような目つきをして、わたしはこっくり頷いた。