とても気持ちの良い夜だった。
何かが溢れ出す、そんな気持ちでいた。
言ったことのほとんどは自分でも覚えていないし、頷く友も逐一意味を分かっているわけではないだろう。それくらい散らかった話し方をしている自覚はある。
その日はあんまり月が綺麗で、飲み過ぎたと言われればそうかもしれなかった。
口はとめどなく言葉を紡ぎ、心は遠い思いにたゆたっていて、どうにも物狂おしい気分だった。
こみあげてくるものが溢れ出しそうな時に、友が優しく肯ってくれるので。
ナルヴィ、呼ぶと、こちらを見る薄色の瞳が、まるで星明かりに揺れる花のようにひっそりとしているので。
大好きだと言う。
君が大好きだと言う。
それしか言葉を知らないように繰り返す。
何度言ったら伝わった気になるのか分からない。
あんまり繰り返して、なんだか辛いような気持ちでいると、ナルヴィが俺の右手を取って、なだめるように包んで叩く。一度、二度。
それを見ていると、息が腹の底に落ち着いていくのを感じた。
遠い思いと今の気持ちが混ざり合って、月の光は見事な虹の色をしている。
*
強かに酔い、友がふと饒舌になる時がある。
(おそらく世間の評価とは違って)普段からおしゃべりでないとは言わないが、そんな時、この丈高いエルフの殿は、息をつぐのも惜しいというように喋る。
きっとこのお喋りを止めたら、呑みこんだ分の言葉が涙に変わるのだろう。
ケレブリンボールが溶けてしまいそうに泣くのをナルヴィは知っている。
喜びに、また楽しさを探してきらめく水色の瞳が、そういう涙を溜めこんで少しさびしい色をしているのだと思っている。
後から後から溢れる涙に、浸って溺れて溶けてしまいそうだと、初めて見た日に思った。
言葉には溺れない。
時折り混じる、彼の生来の言葉の響きに、溶かされてしまいそうなのはむしろナルヴィの方なのだ。
エルフの間で禁じられたもうひとつの言葉は、海を越えた西方で使われていたものだ。
海を越えて中つ国へ来たエルフたち〈ノルドール族〉の元々の言葉で、ただ友の話すそれは、それまでにナルヴィが幾度か耳にしたものとも違っていた。
月光に照らされた銀の鉱脈のようだと思った。
ざわめく月光に呼応して歌う、銀のようだと。
ナルヴィは言葉の意味を理解しようとは思わなかった。禁じられた言葉だからではない。友が何を言いたいのかはその声音を、表情を、響きを見れば分かったし、ケレブリンボールもおそらく、理解してもらおうと思って話しているのではなかった。
今宵も銀が歌うのを聞いている。
さざ波のように銀は広がり湖になる。溶けていく。たゆたっている。
艶めく夜の密かな彩りだ。
*
明けて朝、何かおかしなことを言わなかったかと訊くと、ナルヴィは至極真面目な顔で、お前さんが妙なエルフなのは今に始まったことじゃなし、と言い切った。
「やっぱりヘンなこと言ってたのか」
「さて、私が昨夜わかったのは、」
ナルヴィはくっくと笑った。
「お前さんがたいそう愛情深く育てられたということと、お前さんのはとこは可愛いということと…」
「ギ、ル=ガラドには言わないでくれ…!?」
悲鳴みたいな声が出た。ナルヴィはおや、と片眉を上げてこちらを見た。
「会う機会もそうそう無いがね?」
「それでも!」
「それでも。言って悪いことでもあるまいに………そんなに真っ赤になって」
慌てて両頬を触ったら思いのほか勢いがついて、ぱちんと音が鳴った。
ナルヴィは薄色の目をまんまるにして見ていたが、溜息のように呟いた。
「お前さんは普段そんなに照れ屋だから…」
「わたしが照れ屋?」
熱が引かずに熱い頬を押さえて訊くと、友は俺の腿をばしんと一つ叩いて、
「愛の言葉を誰かの耳にたっぷり囁きたくなければ、酔っ払うのは私の前だけにすることだね」
といかめしく言った。
手から力が抜けるのがわかった。
身体が震え出しそうだった。
「ナルヴィ」
「何かね?」
「好き」
「昨晩山のように聞いた…ぉうわっ!」
「ナルヴィ、」
「ケレブリンボール、お前さん、どうして今泣くのかね!?」
「好ぎぃ~~~」
わんわん泣く俺に「全くなんてひょろ長いコドモなんだね!」と怒りながら、友の手は、やはりたいそう優しかった。