エルロンドの独白「仇敵」から何か外れた話

 思いやりゆえになのか単なる偶然なのか、ひとりきりになったある朝に、私は旅に出た。
 旅というほど旅らしくはないかもしれない。離れ島から“至福の国”その大地へ――
 今や名の由来を無くした“陰なす道”を登り、白い都の内側へ。

 どんどん人気の少なくなる道。本当に王宮なのかもわからないような細い奇妙な通路を抜けると、静謐な館が目の前にあった。門に掲げられていた紋章を見ることもなく打ち寄せるような庭へ入り、扉の前に佇んでいた。そびえる門は、だが不思議と温かく、心の緩むのを感じる。
 ああ、“離宮”だ。
 
 ふと、ひどく懐かしい思いにとらわれた。
 裂け谷と――似ている。
 開けた回廊から臨むのは色づいた葉ではなく、青々と繁る木々ではあるけれど――
 否。裂け谷が、似ているのだ。
 養い親は全く見事としか言い様のない怜人で、当然「見せよう」と思えば歌に乗せアマンの…ヴァリノールの情景を顕してみせた。白き都ティリオン、歌と言葉の館コール、炎麗の館の中庭や工房、広がる平原と緑なす丘コロルライレ、喜びに満ちた二つの木――けれど、この“離宮”は。
 マグロールは“離宮”については歌わなかった。
 そう、マエズロスから…彼の気紛れな、珍しい語りから“離宮”のことを知った。離宮とも言わなかった。どちらかと言えば無口なマエズロスが語ることは珍しく、せがめば詳細に説明をしてくれたが、決して歌い顕そうとはしなかった。
 ―――開けた回廊――葉は移ろい花を抱き――光の下で――風が抜けて――細かな繰り返す模様、円い柱、ゆるくまろい曲線のアーチ――扉のない扉、空間と空間が丸くつながって――走り回るには最適だったな、とマエズロスは呟いたものだった。その声がきっと耳の奥で響いていた。
 笑いさざめき、駆けまわる双子の息子を追いかけて、ふと思い出しはしなかっただろうか。
 “そこで私は育った。幼なじみと、呑気なことばかり言ってたな”……私たちに言うにしても、それとも過去の自分に――自分自身に言うにしても、苦い響きを帯びた声で。
 後悔のような気もした。たぶん、彼は思いがけず養育することになったペレジルにすまないと思っていたし、同時に二度と戻れない日々を宝物として抱えていた。
 だからこそ、仇と言われても、敵と見よと教えられても、深いどこかで違うという気持ちを育てていた。
 微笑みがわきあがる。
 裂け谷――私も、もうあそこには帰れない。そして還ってきても、マエズロスの“離宮”はここであってそうではない。限りなき生を生きるエルダールであっても、時の流れは止められない。
 だからこそ、会うのが。思いを、つなぐのが。
 眼を閉じる。抜ける風に、ざわめく木々に、うちにいるのだ、と思った。