料理人の告白

 はい、勤めさせて頂いてずいぶん長くになります。もともと料理は好きでして…。
 あー、きっかけ、ですか…。
 そうですね…。強いて言うなら「成り行き」でしょうか。
 あれはまだ、ティリオンのあちこちを工事していた頃のことでした。

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 水道工事の関係で、噴水にならざるを得なくなった家がある。ウチだ。
 水はもう好き放題にウチに飛び掛って、暴れまわって、実はいまだもって治まっていない。ぷっしゅーと凄い音と共にウチはどんどん水にひたる。工事してる方々があれやこれやとやって何とか止めようとしているが、ムダなのは見りゃわかる。ダメだこりゃ。

 ぼーっと眺めて、思い出した。
 ぎゃー!パン焼いてたのにー!

 ちょっぴり香ばしくなったパンをわんさと抱えて、火の始末して、もうこれは転居決定だな、と少ない荷物を運び出していると、工事の方が申し訳なさそうに当分止まりませんすみませんと言ってきたので「家は出て行きますからいっそこのまま噴水か何かにしたらどうですか」と言ってみた。
 まあ別にワタシは良いのだ。幸い(それとも不幸にしてか)独り身だし、両親もすでにいないし、養子も取ってないし、気楽なものだ。ウチが多少使えなくなろうが、最悪道端で寝ることになったって、ここはアマンなわけで、寝てる間に襲われる心配もない。
「噴水か…良いなら、それも良いよね…」
 呟く声が聞こえてきたのはその時だ。え?と思って横を見れば、半分濡れて何ともぼろっとした格好の美人さんがひとり、パンを焼いてた鉄板を持って来ながらそう言っていた。
「これも大事なものじゃないですか?」
 渡された鉄板にワタシはちょっとびっくりした。
「あ、すいません」
 さっきはパンの方が大事で持ってこなかったのだ。水びたしになったせいかすっかり冷めて――家の方はといえば、いよいよ本格的に水に壊滅していた。よく考えると、美人さんの足の方が濡れているのは、この鉄板を取りに入ったせいかもしれない。ぅわぁ迷惑だ。
 美人さんは、どこからどう見てもノルドールで、男で、そしてやっぱり美人さんだった。ワタシは生きててこれ以上の美人さんを見た覚えはない。…いや何となく見覚えのあるような美人さんなんだけれど、どこで会ったのかさっぱり記憶にない。これだけ美人さんなら覚えてても良さそうなのに。
 美人さんが、先っちょがびしょびしょになった長い黒髪を(これまた見事な黒だった)絞りながらさっさと編み纏めているのを見て、そんなことを考えてると、ぐきゅ~、と間の抜けた音がした。
「あ」
「…………」
 美人さんはちょっと赤くなった。おなかをさすさすと撫でて、むすっとした顔をした。可愛かった。
「あのコレ食べますか」
 多少香ばしくなったパンを差し出してみると、ぱあぁっとすっごいイイ感じの笑顔を浮かべた――次の瞬間には、遠慮気味の表情をする。
「…えーと、貰っちゃっても、良い、の、かな」
 上目遣いのきらっきらした目が眩しい。あんまり冴えた灰色なのでちょっと青っぽい瞳。ていうか、美人さんの上目遣いは反則です。
「どうぞどうぞ。作りすぎましたし、工事の方々にあげるつもりだったので」
 言うと、じゃあ遠慮なく、と言ってパンを受け取った。立ち食いも何なので、横の塀モドキに腰掛けて、隣をぺしぺし払って招いてみた。美人さんはおとなしく隣に座って、――豪快にかぶりついた。
「すっごい美味しい」
 ごっくん、とまぁいい音をさせて一口目を飲み込んで、美人さんの発した一言がそれだった。さっきに負けず劣らず、目をきらっきらさせて、感動的な声音でそんなことを言ってくれた。ワタシは――嬉しかったが褒められ慣れてないので何ともビミョウな返事をした。
「やー、空腹は最高の調味料って言いますし」
「それもあるけどほんとに美味しい」
 ぱくぱくぱく。もぎゅもぎゅもぎゅ。ごっくん。
 いい食べっぷりでいい表情で最高の褒め言葉ばっかりくれるので、つい次から次へと手渡してみる。結局美人さんは7つも食べた。食べた後にそれに気づいてまた赤くなった。可愛い。
「ごめん…食べすぎた」
「いえいえ、それだけ美味しそうに食べて貰えると嬉しいです。お腹すいてたんでしょ?」
「う、……うんまぁ」
 もじもじと言う姿がすっごく可愛い。…美人さんはワタシより年上なのか年下なのかさっぱり分からなかったが(とりあえず既婚者ではあるらしい)、とにかくやることなすこと凄い可愛いひとだった。正直惚れた。……いやヘンな意味抜きにね?
「あの、それでこの家のひと――だよね」
「うんそうです」
「噴水って…良いの?」
「やーもうこれ直す方が面倒かなと」
 ワタシは本音を繰り返す。美人さんは多分工事に関わってるひとだろうし、言っといた方が後々面倒じゃない。
「それなら良いんだけど…」
 美人さんは壊滅的なウチを見て、何となく苦い顔をする。うん、苦い顔も何とも美人。
「ところで、家はこんなんじゃ帰れないけど……行くあて、あるの?」
 う。
 痛いとこ突かれた。
 正直言うと、ない。
 あて、皆無。
 なんてったってワタシは身寄りなし恋人なし友人諸君はほとんど大家族で、精神的にはどんと来いでも場所的にちょいと微妙だ。
 そんなのが顔に出てたのだろうか、美人さんはじゃあ――と、面白いことを言った。
「うち…来る?」
 はい?
 ………これってナンパでしょうかもしかして。多分マンドスの父上母上、教えてプリーズ。
 思いっきり縦に振りそうになった首をとどめて、なんでですかと視線で問う。
いや物凄く嬉しいどころか尻尾(ないけど)振って着いて行きたい気分だけど!だって美人さんだし!(ワタシは美人に弱い。悪いかコンチクショウ)何かすっごい頷きたくなるような雰囲気全開だし!
 ワタシの問いを受けて美人さんが話し出す。
「うん、何と言うか…あの、君、料理…好きだよね?」
 こくこく。首を縦に振る。声出したら「何でも言うこと聞きますハイ!」とか口走りそうだったので黙っておいた。そんなこと口走って引かれたらちょっと悲しいし。
「その…うちの厨は、広いわりにあんまり使えてなくて勿体無いんだ」
 んまあそれは勿体無い!……言っちゃあなんだが、ワタシは厨に目がない。ご近所の厨作りは大半ワタシが面倒みたと言っても過言じゃない。厨は料理するひとのためにあり、料理するひとは厨のために存在するのだ。使われてない厨…?ワタシが使っていいなら今すぐ参りますとも!
 と、心の中で思ったけれど、顔では「ソウナンデスカ」という返答を演じる。
「もし君が良ければ、だけど…。厨、好きなように使っていいから……家無いと困るだろうし、うちに来てくれないかな?」
 これに飛びつかずに何に飛びつく。

 ワタシは美人さんの提案に首を千切れんばかりに縦に振りまくって答え――
 今連れ立って歩いてるわけです。
 美人さんは何だかとっても上機嫌です。可愛いです。何故か鉄板持ってくれちゃってます。「うち」は上の方だそうです。ウチはティリオンでも結構下の方にあったので、なかなか遠いですが負けません。美人さんは上機嫌でイロイロ話してくださいます……
「良かった。路頭に迷わせたら私のせいだし」
 いえいえいえ、ワタシはちょっとそこらで寝たくらいじゃビクともしませんとも!
「さっきのパン、本当に美味しかったから…」
 いやいやいや、ホントにもう、そんな笑顔で言って貰えるとたまりません!
「正直、うちの厨でついでに私と妻のごはんも作ってくれると嬉しいなー、とか、考えてるんだけど…」
 ええええもうひとり分もふたり分もさんにん分も変わりません!泊めて頂ける分それでお返しします!
「あ、良いの? ありがとう!……ほんとに、お家、ごめんね?」
 いいえええそんな美人さんに謝って頂くようなことでは!
 ワタシはなんかそんな内心ハイテンションな返事を物凄くローテンションに口数少なく声に出しながら、ティリオンを上の方へ上の方へ登った。
 も1度言いましょう。正直惚れました。なんでこの美人さんはこんなにひたすらに可愛いんでしょう。同性なのは分かりきってますが、なんというかヘンな意味抜きにそう、尽くしたいというか…着いて行きたいというか…。
 そういえば名前聞いてない、と思った矢先に美人さんの「着いたよー」の声にはっと我に返る。
 …………………。我に。返る…。
 こっちこっちと手招きする美人さんにくっ付いて行きながら、ワタシの脳は軽くパニックを起こす。…ちょ、ちょ、ちょっと、待って…?
 ココ、ドコ?

 はい、ワタシ今、「上の方」っていうかティリオン最上部にいます。広場の隅っこです。ていうか真横にミンドン・エルダリエーヴァです。いやもっと正確に言いましょう。ミンドンの横の大っきな館です。それもまた微妙な言い方です。巨大かつ壮麗かつ、実は遠目にしかあんまり見たことのないような場所です。
 ………平たく言えば――王宮です。
 美人さんはごくフツウに歩いていき(ええええなんか横ですっごいびしっとした格好の方々が礼してるぅう)、ごくフツウにある1室にワタシを連れて行って、鉄板置いたりとかして(ワタシも荷物を置きました)、そのまま厨に連れて行ってくれまして、……その道すがら、
「水道事故のあった風2地区の家はそのまま噴水にして構わない、と伝えてくれ」
 とか
「風3地区でも水道工事をする時は、事前に周囲の家に確認を徹底するように」
 とか
「あ、今日から彼が厨の主だ。迷ったり困ったりしてたら助けてくれ」
 とか…
 ごくフツウに言っててですね…。
 目の前の出来事にワタシが内心口をぱっくり開けていると(外見は普通を保っている。と信じたい)、美人さんは、そういえば、とか呟いてくるりと振り返って言いました。
「そうだった。今さらだけど、私はフィンウェ。これからよろしく」
「……………」
 え。
 えええええ――――!?
 もうこの状況でこう言われたら信じるしかないんだけどちょっと待ってー!?
 フィンウェ? フィンウェって…
「……主上…?」
「? 何それ?」
 何って、あなたの敬称ですがフィンウェさま。

 見覚えがあるのは当たり前だった。
 美人さんは、ウチの――ノルドールの、唯一無二の王さまでした。
 つまりはワタシにとっても“わが君”だ。なんてこった。

  +++   +++   +++

 で、ですね。
 その日以来、ワタシは王宮でフィンウェさまのごはん、作らさせて頂いてるわけです。はい。弟子もそのうちどんどこ増えました。ごはん作る相手も増えたり減ったりしました。
 はい、今ですか?“離宮”の通いもさせて頂いてます。
 成り行きで王宮に住むことになりまして(そして厨の主となりまして)、フェアノールさまとは生まれた時からお付き合いさせて頂いております。はっはっは…さすがにここまで付き合い長いとですね、妙な遠慮もないというか、人慣れないフェアノールさまも流石に慣れてくださるというか、でして…。
 でも、今も昔もフィンウェさまのごはん第一なのは変わりないですよ? フェアノールさまも、そのへん、分かっててくださいます。
 なんでかって、……そうですね、あの時、パンを良い笑顔で凄い勢いで食べてたフィンウェさまが忘れられないから――とでも言っておきましょうか?
 鉄板見るたびに思い出しますね。これをフィンウェさま運んでくださったんだなぁ――とか。ははは…。気づかなかったとはいえ、とんでもないことしたもんです。
 まあ、今後はこの鉄板、焼き菓子分野で活躍しそうですが…今度パン焼いたら、思い出話と一緒に持って行って差し上げようかと思いますよ。今は書類に埋もれかけてる主上に、ね。