魂は行方不明です

 ………これは夢だ。
 とか思って頬をつねっても変わらないのが現状。平たく言うと痛い。
 いや夢だ夢だ。夢に決まってる。よくある夢小説ってやつ。自分の身に起こるなんてありえない類のやつ。
 そういう分類で言うなら、今の私はアレだ。知識ありトリップ、成り代わり系。……いや、憑依?
 中身が違うって信じてもらえない上に「記憶喪失」ですらなくて「またいつものお遊び」認定って、普段どんなことやらかしてたんだ、フィンウェさん!

 私は単なる現代日本人の学生だ。いや、確かにアマン王国に留学してる、コール大学2年生だけどさあ。あ、日本で大学は出ましたが(笑)。もっかい学生ね。んでまだヴァリノール・キャンパスにも行ったことがない。というか、こんなトンデモ事態になるべきは私でなく、ちーくんだろう!?
 ちーくん、私の双子の妹は、根っからのフィンウェさん好きで、……腐女子だ。真面目に学術的勉強をするのかと思いきや、ナチュラルに勉強を生かして二次創作とかしたりする。アマン王国の歴史は束教授の創作を通して世界に知れたので、この場合はそっちの二次創作になるんだろうか……それとも歴史系なのか?どっちにせよ、歴史研究でも腐女子の妄想でもあんまり深くツッコまれてないのがフィンウェさん。そしてちーくんの専門。
 ちーくんは中学生の時から全開でフィンウェさんを愛していた。もう全開熱弁研究対象。あの私に比べて英語やる気なかったひとが、フィンウェさんに惚れてからというもの、とことんまで勉強に励み、未邦訳文献を愛で読み解き、ついには大学で留学するに至った。私も留学はしたかったけど……アマン王国になるなんて思わなかった。つーか王国が実在したことにびっくりしたクチだ。
 まあ、なんというか私の留学目的は、ちーくんに語られた情報がどこまで史実でどこから捏造妄想なのかを見極めたかったからなんだけど……ちーくんたら、微妙に筋道通った理論をブチたてて二次創作していた。史実はキッチリ押さえてある。そんで、そこから思考回路や性格定めてる。ちょっと、実はそうだったんじゃないかって信じられるくらいに……いや信じるにはヒドすぎる性格なんだけど……
 私がまだアマン王国が実在すると知らなかった頃、束教授の創作……歴史小説?である「シルマリルの物語」を読んだ。フィンウェさんは名前と立場しか記憶に残らない。でも、マイナーキャラだよ!と言い切れない。だって名前は忘れるはずがない。ファザコンの主役の父親だもの。
 そして史実のアマン王国の歴史、そのあたりは、あまり画像資料が残ってないのでも有名だ。ていうかフィンウェさんの顔とか本気で残ってない。他の王族連中は大体わかるのよ。画像が微妙な資料だけど……そこからちーくんが遺伝系統とかをせっせと調べて捏造してだね……私にイラスト描きの指令を出すわけだ。
 私は日本で美大を出た。絵で。一応日本画描きなんだけど、イラスト描くのも好きだった。ゆるゆるデフォってね。ちーくんは全く画才も努力もなかったから、きっとその分私に来たんだろう。で、腐女子の妹に言われるがままイラストを描き続けてきた。若干デッサンの勉強に、なったっちゃあなった。しかし私は断じてちーくんの創作は読まないことにしている。……カップリング傾向は知ってるけどさあ、描いたから。
 さて、で、画像資料の微妙なフィンウェさん始め王族連中を、私は描いたことがあるわけだ。ちーくんたら夢みがちなくせに妙に現実的で……束教授曰く「エルフ」であるアマン王国古代の王族は、やたらとガタイがいいのだ。エルフって……私のイメージでは儚げとか華奢とかだったのにな……。ちーくんの注文は非常に細かくて、そこ押さえればかなり楽に描けたけど、フィンウェさんの注文はマジ細かかった。ていうか形容が矛盾してた。見た目どう見ても男なんだけど、全体的第一印象はまず「少女」って、それどんな魔法生物。あ、エルフか。
 しかし……私はちーくんに「フィンウェさんに興味はない」と言ったことがある。あいつの返事はこうだった。
「うちのフィンウェさん君がモデルなんだけどねえ」
 だからって、これは、無いわ!!

 ………朝、目が覚めたらフィンウェさんになっていました。まる。
 しかも私、っていうかフィンウェさん、あー、この体は普通に起きたわけじゃなかった。だって、膝の上に頭が。誰だこの美形。
 私の膝の上で眠ってる美形、見覚えがあるっちゃ、ある。うん、立体にするとこんな感じなのか。フム。
 だからこれは夢の筈なのだ。私の膝の上でフェアノールが寝てるとか、ありえん。
 そう考えて辺りを見回してみた。鏡があって、そこに映ってたのは、フェアノールを膝枕したまんま、薄らクチあけて鏡を凝視してるフィンウェさんだった。
 えええ………ちょっ、これが夢小説とかそういう類のもんだとして……なにその超めんどくさそうな「フィンウェ成り代わり」って……。
 どうせ夢なら私はフィナルフィンに仕える名も無き民になりたいよ。アマンは出たくないし、いやフィンウェさんでも出ないけど、だってその前に死……うん、はあ。
 ちーくんの語り内容からするに、そして私もちょっとはコール大学に入って勉強したんだ……私がフィンウェさんになれる筈がない。本物ドコ行ったんだ帰って来い。
 そんなこと考えてたらフェアノールが起きた。
 すごーく幸せそうな顔で「父上」だって。……良い声だな。語尾にハートが飛びそうだけど。
 愛い。愛でたいんだけど、いや、後で幻滅より今斬り捨て御免だよね。許せフェアノール。変な誤解より良いはずだ!
 だから私は言った。
「あの、ここはどこであなたは誰ですか?というか、私は誰ですか?」
 ―――予想外にフェアノールは落ち着いていた。いや、憮然とした顔はしたけど、取り乱したり落ち込んだりはしなかった。
 きわめて冷静に彼は答えた。
「ここはティリオンの王宮のあなたの部屋で、私はフェアノールといいます。あなたの息子です。あなたはフィンウェ、我らノルドールの王たる方です」
 うん、過不足ない良い答えだフェアノール。意味もわかるし。って、それは私が知ってるからだけど。
「はあ」
 間抜けた声が出た。フェアノールはむっとした顔で私の手を取った。
「今度は何のお遊びですか、父上。妙な夢でもご覧に?」
 ………ええと。
 違った信じてないだけだった。それも綺麗さっぱりいつものことみたいに。
 いつも何してやがったんだ、フィンウェさん?

 し、信じられない。
 洗いざらいブチまけて話したのに、フェアノールってば1ミリも信じてないでやんの。
 都合良く解釈しちゃって、今は私に抱きついてる始末。嘘だろ!?
 っていうか可愛いからやめてよ、なつくの。私のおかん魂が疼くじゃないか。思えばひどい姉妹だった。私はおかん、ちーくんはカレシ。花も恥じらう乙女はどこいった。
 えー……いやいやいやああああ無理だから!このままフィンウェさんとか絶対無理だから!だって政務できないし!助けてヴァラ!……そうだよヴァラールならわかるに違いない!
 ちょっと、離しなさいフェアノール!
「ヤです」
「ヤじゃない。マンウェさまの所行きたいの。お願いだから連れて行って」
「そこまで徹底してお遊びなさるんなら私だって負けません。嫌です。離したくない」
「遊びじゃなくて本当だってば……道がわからないの。会えないと困るの」
「本当にお困りなら大人しく私の腕の中にはいないはず」
 フェアノールはにこりとにやりの中間みたいな顔で笑った。
「ヴァラなんぞに易々と渡すものですか」
 こんのファザコンが!!
 心の中で盛大に罵ってみる。文献読むたび「はあ?」ってなったものだけど、フェアノールというひと、もう筋金入りのファザコンなのだ。知ってたけど、こうして愛を受ける立場になってみるとよくわかる。
 愛が重い。正直ウザい。
 可愛いけどさぁ……ほどほどが重要なのだと思うわけだよ、何事も。っていうか。
「何触ってんのっ!?」
「父上の身体」
「うあぁ何か生々しい!」
 ナチュラルにセクハラすんなこのバカ息子!
「おじいさま、こちらに……」
 と、声がして入ってきた人物は、
「………失礼しました」
 私たちを見て、そう言ってくるりと――
「待て待て待て!誤解しないで!どっか行かないで助けて!」
 私の悲鳴に動きを止めた。見るのが申し訳ないと言った風に目線をくれた。
「いえあの……お取り込み中のようですから……」
「取り込んでないやましいことしてない!大事な話があるのちょっと来て!それで出来たらフェアノールどかして」
「ムリです」
 即答かよ。
 とりあえず私は抱きしめられてない方の手で、ぶんむくれてぎゅうぎゅう私を抱きしめているフェアノールの額にデコピンした。
「っ!」
「離しなさい」
「…………」
「フェアノール」
 フェアノールはしぶしぶ……本当にしぶしぶ……私を離した。
 ほっと一息ついて、私はとりあえず、困った感じで立っているその子を呼んだ。
 赤毛の細身美青年。私をおじいさまと呼んだ。
 間違いないだろうけど、これから話すことを信じてもらうには、やっぱりこの一言から始めよう。
「……で、ここはどこで君は誰?ていうか私は誰?」
 さてマエズロス、どう出るか。

 私は今、猛烈に怒りを感じている。
 この身体の持ち主のフィンウェさんにだ!
 結論から言おう。マエズロスにも信じてもらえなかった。フェアノールみたいにお遊びと決めつけてはこなかったけど、信じてないのがありあり分かる。だって「そうですか」って言ったんだよ「そうですか」って。
 フツー、信じたならじゃあ本物はどこに?って反応にならない?ねえならない!?
 くっそおおおおおおおお!

 差し支えなければ、お名前を伺っても良いだろうか。と言われて――私は感動で泣きそうになった。
 やっといたよ常識人!中身違うって信じてくれるひと…!ああもう、ついていきますイングウェさま!

 ええと。なんでかフィンウェさんになっちゃったひとです。どうも。
 フェアノール・マエズロス以下、会う人会う人だーれも信じてくれなかったけど……ヴァラでさえ!(まあこれは私が呼びかけちゃったのも敗因だ)ひっついてくるフェアノールが可愛いっていうかいい加減ウザくなってきて、どうしたもんかと思ってたら、マエズロスが「そういえばおじいさま、今日はイングウェさまとお茶の日では……?」とか助け船(だって信じてる!)を出してくれたので、フェアノールを振り切ってやって来ましたタニクウェティル。来たは良いけど、どう案内してもらおうかと思ったら、私を見つけたヴァンヤ(だろう。金髪だったし)がにこやかに案内してくれた。顔パスか。さすがフィンウェさん。
 連れてかれた庭の東屋では何ていうかきらきらしたひとがいました。……いやイングウェだって分かってるけどさ。描いたし。そうかこんなにきらっきらなのか。ちーくんのあだ名「輝さま」が納得な感じ。
 イングウェさまは私を見て、一瞬思案顔になった。え?――と思う間もなく、ゆうるり微笑んで、
「遅かったな、フィンウェ――まあ、座らぬか?」
と椅子を勧められて。
 ああだかうんだか言ってとりあえず座った。
 イングウェさまはお茶を淹れてくれて……んー紅茶?よりも少しなんだか違う気がするけど。んー、アフタヌーンティーっぽい何かだなこの「お茶会」は。クッキーらしきものとかスコーンらしきものも置いてある。お茶が美味しい。
 イングウェさまも斜向かいに座ってお茶を飲む。あー風が気持ちいい。……って和んでる場合じゃなかった。私フィンウェさんじゃないんですって伝えなきゃ。
 お茶を置いて、「あの――」と声を出しかける。と。
「その……差しつかえなければ、貴女のお名前を伺っても良いだろうか?」
 ………え。
 私はちらっと周囲を見る。人なし。つまり、このイングウェさまのお言葉は私に――フィンウェさんの姿をした私に向けられてるわけで。え。え。えええッ!?
「中身違うって分かるんですかイングウェさま!」
 衝動のままに叫ぶと、イングウェさまは何だか苦く笑った。
「誰にも信じてもらえなかったのだろう?」
 そして手を伸ばすと、私の――フィンウェさんの?頭を軽く撫でた。
「ようこそアルダへ、異界のひと――なぜこうなったのかを説明しようと思うのだが……知っているようだが私はイングウェという」
 じわじわ、と安心して私は泣きそうになった。やっと信じてもらえた。ていうか説明って……知ってるのかイングウェさま。なんでこうなったのかを………うあああ良かったよぅ。
 とか思ってたら泣いてたみたいだ。おろおろしながらイングウェさまが、うつむいた私の頭を撫でる。うわあああんっ!何か一気に涙腺がゆるんで、私はがばあッとイングウェさまの胸にすがりついてわんわん泣いた。イングウェさまは優しく抱きしめてよしよしと頭を撫でてくえた。
 後で冷静になったら恥ずかしくて顔から火が出るかと思ったけど、その時は本当に、安心してた。嬉しかった。撫でる手の優しさが、何を思ってるかなんて、知らなかった。

 落ち着いた?というか、泣き止んだ私にイングウェさまは語った。この世界の基礎知識。私にとっては確認になること。そして達観の笑みを浮かべた私に、痛ましそうに目を伏せた。
「貴女が今ここにいる理由なのだが……」
 そう、それが大事。
「フィンウェは憑依体質というか。その、呼び込みやすいタチなのだ」
 ………は?

 苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらイングウェさまが説明してくれたことによると、こうだ。
 フィンウェの中身が違うひとになるのは、これが初めてではない。というか、今まで何百人と(!)入れ替わって来た。周囲が信じないのはそのせいもある。
 この入れ替わりはフィンウェ自身の意志で行われていて、病のようなものでもあって……
 ……てちょっと待て。今、いろいろとスルーしきれないことをたくさん言われた気がするんだが。
「ええと……待ってください。周囲が信じないのは何故ですか?」
「細かな理由はたくさんあるのだが……フィンウェはフィンウェなのだ、としか言いようが無いな……」
 なんだそりゃ。何百人も入れ替わってて気づかないとか、あり得なくない?皆知ってるんじゃないの?
「私が知っている……というか信じるのは、見えるからだ」
「見える?」
「………貴女は黒い髪に黒い瞳の少女だろう?髪を結って、花飾りをつけている」
「!」
「フィンウェが入れ替わっている時は、フィンウェの後ろに、中身の姿なのだろうな………彼や彼女が見えるのだ。透けてはいるが。アマンでは私だけが見る。今ここにはいないが、中つ国のエルウェにもきっと同じものが見える」
「つまり。……別人が見えるから信じると?」
「ヴァラにも見えないらしい。見えるものと聞くことを合わせれば、信じるしかない。フィンウェとの付き合いは長いからな」
「その……つまり、私がここにいる以上、本物はどこへ?」
 私が一番聞きたかった質問をすると、イングウェさまは少し辛そうな笑みを浮かべた。
「ここに。奥の奥、奥深くで……眠っている」
 指し示されたのは私の身体。つまり、フィンウェさんの身体だ。
 黙りこんだ私にイングウェさまは続けた。
「フィンウェはここにいるが、身体を動かしてはいない。動かしているのは貴女だ。今の貴女は、フィンウェの身体が知っていることはできる。貴女自身が知っていることもできる。感覚は違うだろうが……そして、知らない記憶を知っているはずだ。それがフィンウェの記憶と能力だ」
「あ、私は………どうすれば?」
「思うように。貴女はただ、少し長い夢を見ているだけなのだと思って」
「夢?」
「そう。フィンウェが目覚めれば貴女は自分の時と場所に戻る。元のところに」
 ………ドリーム肯定されちゃったよ。なんてこと。
「……何しても、良いんですか」
「わたしとしてはフェアノールを可愛がってやってほしいけれどね。フィンウェがこうなもので、あの子はむらのある愛情しか貰っていない」
「王の仕事なんて私、できません」
「どう変えても良い。やらなくても良い。長い休暇も良いだろう」
「なんで……私なんですか……」
「――それはわたしには分からない」
 イングウェさまは抱きしめてくれた。私はまた泣いた。