はがねのハニー④

 焚船の煙がほそく上がり、午後の金色に霞みがかった空に溶けていくのをキアダンが見ている。
 ひとつ、ふたつ、ひとつ、船蓼場を見下ろす高台の上で、エレストールは浜に打ち寄せる波を数える。詮無いことをしている。
 今度の航海に送り出した船は五隻、そのうち一隻がようよう戻り、こうしてこびりついた貝を落とす。波を掻き分け進むうちに船底になついていく貝や虫は、船足を引っ張り、終いには海の奥底へと船を引きずる。
「西の船には魔法もあろうがな」
 にがい響きのキアダンの声を、波の音にも紛れずに聞いた、それを覚えている。

 そう昔の記憶ではないのだが、今のキアダンの様子を見ると、だいぶ昔のことだったかと錯覚する。
 むしろ邪魔をしているのではないかという勢いで鍛冶師の後ろをうろつくのは、とうてい多くの水夫を束ね、諸候と諮る港の主には見えない。
「キアダン、少しは落ち着いてください」
「落ち着いているとも!」
 声をかけても返るのは浮かれた声ばかりで、エレストールは重い息をつく。
 鍛冶師もやりにくいだろうに、そう思ったのは誤りではなく、鍛冶師は作業を終えてのち、エレストールに苦い顔して笑った。キアダン様は鍛冶の仕事は慣れておられないのですな。ええ。それはそうでしょう。けれど、
「話は緻密なものでした。――どなたに訊かれたのでしょうか。お会いしたいものです」

 遠洋から今度はすべるように帰った船を、以前のように船蓼場は迎える。
 しかし今度は焚船の用意はない。澄んだ青空にはひとすじの煙も立ち昇ることはなく、高台から船の底はよく見えた。
 その、苔を思わせるはっとするみどり、およそ知らない鮮やかな色にエレストールは感嘆の吐息を漏らす。
 鋭く息を吸って身を固めたのはキアダンである。
 貝も虫もなつかせず、波を切って飛ぶように走った船底には、薄い銅の板が貼られている。そのあかがね、そうであった筈の底は今や一面のみどりで覆われている。
「どんな魔法を使ったんです」
 エレストールが問うと、少し息をついてキアダンは笑った。
「魔法ではない。が、魔法のようだな。訊いたんだが」
「鍛冶師に?」
 虚を突かれたようにキアダンはエレストールを見た。
「鍛冶、――そうだな、匠だ。はがねに惚れている。そうだ。鍛冶師だ。その筈だ」
「どうして筈、なんです」
「私は見たことがない」
 キアダンはひどくせつない眼をして言う。
「彼は……清い炉のようだと思う」
 エレストールは目を閉じる。瞼の裏に思い描くのは火の落とされた炉の光景だ。
「火を思うのは見た目だけで、彼というのは、全く、森にいる気分にさせてくれる」
 熾火も真っ白な灰に埋もれ、熱すら引いたそのただ白い、そこにまばゆい光が差している。光の中では見えないほどで。影の中では冷えていて。目を開けば、キアダンは船底のみどりを恋うるように見つめている。
 そうだ。そうだ。キアダンは繰り返した。
「私は西の森を見る。彼方の不思議に溢れた森を」
 エレストールは波を数える。詮無いことを、けれどこの話には似つかわしい。